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1988年5月29日(日) 国際サイクルロードレース東京大会
その日少年は、前年の夏に親に買って貰った一眼レフカメラ
50ミリレンズ付き、リコーXR500AUTOを携え
都営三田線の内幸町駅を降りると、地上に出てすぐ目の前にある
日比谷国際ビルを目指した。
キッカケは
1点目は中学校に進学した少年は、さほど目的を持たずに
「写真部」に入部した。
それまで部活は入部せずに、帰宅部でやり過ごそうとした少年は
兄から「何かの部に入らないと、内申点に響く」と言った一言から
生来のチキンハートでまずいと思い、手続き締め切り日の放課後
早く言えよ、と担任の先生に嫌味を言われ
とりあえず上下関係や変な肉体的、精神的なしごきの無さそうな
写真部に入部した。
そこでまずは、同級生と共に鉄道写真を撮る事から始めるのだが
ある日仲が良く一緒に写真を撮りに行ったS君の自転車を見せてもらうと
それまで前後に付いていたはずのシルバーの泥除けが外された
700Cの細いホイールとタイヤ、当時流行のTURBOサドルを着けた
赤いミヤタのカリフォルニアロードを目の当たりにし
「カッコいい自転車に仕上げたなぁ」と衝撃を受けた。
2点目は、写真部の中にも意地が悪い、嫌な先輩が居る中で
落ち着いた物腰で面白い話をしたり、生でネイティブな関西弁で会話する
楽しい1年先輩のKさんを、ある休みの日に私服姿で見掛け
その時に乗っていた
600アルテグラコンポ、LOOKパテントの多分PD-6401ペダルを着けた
サイクルメイトヨシダ製の「アンタレス」ロードレーサーを見て
「こんな自転車があるのか!!!」とカルチャーショックを受けた。
元々体力的な面やスポーツはまるでダメだが
メカをいじる事が好きな少年は
とりあえず今はカメラを先行させ
その後に自転車に手を伸ばそうと考えていた。
その手始めとして先のXR500AUTOを親にせがんで
金融流れ品1万円ナリを高輪の松坂屋カメラで購入し
以後当時まだバリバリ現役で走っていた
茶色い国鉄車両クモハ12が居る鶴見線を撮りに行ったりしていたところ
毎週末鶴見線では食傷気味の中で
その年の3月から購入を始めた「サイクルスポーツ」誌5月号の
イベント情報を何気に見ると…
「’88国際サイクルロードレース東京、大阪、名古屋大会…」
の記事を見つけた。
![](https://assets.st-note.com/img/1702299174993-08cA0R6IDK.jpg?width=1200)
今まで電車と言う動体を撮り、流し撮り等のテクニックも
自然と身に付いたところで、偶には人も撮りたいなぁと
思っていたところでのイベントであった。
この時少年は横浜の中学2年生。
自宅にあった昭文社マップルの首都圏地図とにらめっこしながら
出発地の日比谷でスタートを見届けた後に
大井ふ頭での周回コースに移動のスケジュールを組み立てた。
横浜から京浜急行で品川を経由、三田駅から三田線に乗り換え…
中学入学から鉄道の知識は増え、2か月に1度は松坂屋カメラに行き
ショーウィンドーを眺めに行くのは最早ルーティーンとなり
品川界隈に行くのは慣れっことなった今、内幸町に向かうのは訳ない。
しかし大井ふ頭にどうやって行ったかは覚えていない。
多分、京急の立会川駅からひたすら真っ直ぐに行って
大井中央陸橋を渡ったのだろう。
あの途方もないストレートの道をひたすら歩いたのは
一重に若さなのだろう。
出発地の日比谷国際ビル前でスタート時の
写真を撮ったが、残念ながらその時のネガは発見できなかった。
スタートはあっけなく終わり
梯団が去った後はサッと交通規制が解除になったのを覚えている。
この時、テレビ朝日がテレビ中継をしていたそうで
ソウル五輪の選考会も兼ねていた事から
交通規制も大々的に行われていた。
そして、少年も日比谷から大井ふ頭に転戦した。
![](https://assets.st-note.com/img/1702300755399-P9secEfMLM.jpg?width=1200)
多分、大井税関交差点の辺りと思われる。
![](https://assets.st-note.com/img/1702300887424-IzV9W0Cugb.jpg?width=1200)
「おはようサンデークイズマラソンみたいに、日比谷から近い皇居の周りを走ればいいのに。」
等と思いましたが、まぁ、日本の自転車競技に対する見方を考えれば
この当時、これでも本当に頑張っていたのだと思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1702301909682-7NvITeEcLk.jpg?width=1200)
ファウラー・ブライアン・アンドリュー選手と思われます。
’88年頃はソウル五輪が有り、自転車競技や趣味が世間から認知され始めた頃だと
思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1702302273306-JS1leYH5O0.jpg?width=1200)
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![](https://assets.st-note.com/img/1702302662066-1PW0IggIXt.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1702302749452-5QLXQ19kqU.jpg?width=1200)
2位、シン・インホ選手(韓国)
![](https://assets.st-note.com/img/1702302907796-id8AjfkzLj.jpg?width=1200)
4位、アマルデール・ダニエル選手(フランス)
5位、トレジ・ロベルト選手(イタリア)
![](https://assets.st-note.com/img/1702303129993-HQZ8lmdIBd.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1702303260445-Wn4q2HM76K.jpg?width=1200)
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![](https://assets.st-note.com/img/1702303536264-5cUF5DhbIC.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1702303697217-rJljKAshYR.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1702303730989-3saczyoFZz.jpg?width=1200)
1位、高橋松吉選手(BOSCO)
2位、円谷義広選手(日本鋪道)
3位、トレジ・ロベルト選手(イタリア)
![](https://assets.st-note.com/img/1702303887186-vpzxl4jJfO.jpg?width=1200)
撮影データ
RICOH XR500AUTO 50㎜F2
FILM:FUJI NEOPAN SS(自家現像)
おしまい。