2030年

 これまで携わったコンピュータ相手の仕事をあと五年以上も続けなければならないことに嫌気をさし、六四歳で早期退職し、阿々弥守(あーみっしゅ)特別村で農作業をしていた松野昭雄だが、上京したのは五年ぶりだった。
 早期退職前も社会の変化の速度が加速度的に速くなっていると感じていたが、いまだに物理的な形状を有する貨幣や紙幣を使用し、印刷物で知識や、情報、感情のやり取りをする人々が暮らす阿々弥守特別村から上京した松野昭雄にとって、東京の人々はまさに異星人だった。
 久しぶりに見る東京の人々の多くは、スマートでそれなりの容貌なのだ。退職前、松野は勤め先の部下の結婚式、まさにそれは昭雄が部長となった頃でさえもはや遺物となりかけていた風習だったが、その結婚式の後の居酒屋で仲人を務めた役員が、「この頃の女は昔と違って皆きれいになったな。スタイルも良くなった。やはり、家事労働の軽減や食生活の改善が大きいのかな」
 と、つぶやいた。昭雄は、「化粧品技術の影響も大きいかも」とも思ったが、その頃以上に洗練されているのだ。
 松野昭雄が暮らしてきた阿々弥守特別村は、技術革新についていけず、IT機器を持たせても、もたつき、足手まといとなることを恥じ、居たたまれなくなった人々、コンピュータやネットワークによる最新技術に拒絶反応を起こす人々、逆に技術革新にどっぷりつかり過ぎて嫌気をさした松野昭雄のような人々が、自発的に移住する地域だった。ベーシック・インカムをもらうものの、多くは農業や昔ながらの工芸品を作り、それを生存の意義としている。そのため、紫外線を多く浴び老化が激しい。だから、居住環境、職場環境、健康維持や医療制度等の全てについて、最新の環境が整った東京に暮らす人々が若々しく、容姿秀麗なのは、わからないでもなかった。
 だが、東京の全ての人がそうかというと、そうでもない。パラパラと令和、平成どころか、昭和の時代によく見かけた容姿の人も見かけるのだ。彼等が低所得であるが故に、最新の現代文明の恩恵を享受できないのかと思い、その身なりを確かめれば、昭和を思わせる小太りの男が、仕立ての良い背広に時計をはめている。金やダイヤモンドらしき宝石のネックレスと指輪を身につけた肥満した女もいた。短足、ガニ股でバーコード状のはげ頭だが、身なりは成金そのもの男もいる。眉目秀麗、容姿の整った男女の中に時折紛れ込んでいるそんな醜男、醜女に、久しぶりに上京し、やはり小男で貧相な容貌の昭雄は、嫌悪感より親近感を覚えた。一方、多くのスマートな男女には、どこか活気を感じなかった。
 松野昭雄が五年ぶりに上京したのは、別れた妻との間の息子、天野寛に同居を誘われたからだった。息子の寛は、七十間近の昭雄の身の上を案じるようなことを言っていたが、それだけではないような気がした。昭雄はベーシック・インカム以外にも年金収入や金融資産があったが、それが目当てかもしれないとは思った。それでも、寛が中学生のときに離婚して以来、身近で過ごせなかったことへの罪滅ぼしの気持ちもあり、誘いに応じたのだ。
 そうは思って同居を始めてみたものの、昭雄は、自らの若い頃のことを思い、三十半ばで親と一緒に住む息子が感じるはずの窮屈さ、息苦しさを予感した。そのうち気まずくなり、やがて昭雄は元の阿々弥守特別村に戻る事態を、半ば覚悟していた。
 上京した当日の晩、松野昭雄は。退職前によく通った盛り場を歩いてみた。ネオン輝く光景は昔と同じで、飲食店、居酒屋、それに「人類最古の職業で、どんな不況のときでも生き残る」業種も相変わらずだった。そこは、昔と同じく、扇情的な看板で人を誘い込もうとしていたし、雑居ビルに店を構えていた。
 松野昭雄が首をひねったのは、所々の店の看板に「生」なる文字が書き込まれていることだった。その「生」の看板は、大きさもデザインも文字のロゴも全て同じで、認証マークのようだった。まず目に入った居酒屋で「生」なる表示を見たときは、昭和後期の生まれの松野昭雄が連想したのは、ビールだった。ただ、異性との疑似恋愛を体験させる風俗店の看板にもそれが書かれていた。そこで松野昭雄が連想したのは、かつては感染症の蔓延を助長するとされていた行為だった。しかし、コーヒー・ショップにも同じロゴの「生」の看板を掲げた店があり、松野昭雄は訳がわからなくなった。
 不思議に思った昭雄は、路地奥の雑居ビル一階の看板横に「生」と言うマークを掲げたすし屋に入ってみることにした。路地に入り、すし屋が入居する雑居ビルの手前で、昭雄はいきなり三人組に道を塞がれた。
「じいさん、痛い目に遭いたくないなら、持ち物を全部差し出しな」
 と、一人がナイフを取り出した。三人とも半ズボンの下からは丸太のようなふくらはぎが生えていた。すね毛が濃く、すねから足首にかけてのタトゥーがより一層グロテスクさをかき立てていた。タトゥーは、半袖シャツからはみ出た腕にも一面に彫られていた。スマートとは言い難く、体は頑丈そうだが、全体に縦方向に圧縮され、その分、横と厚さ方向に伸張し、足が丸太のようになるのも納得できる体格だった。丸刈りにした頭には、所々切り傷のようは禿げが点在していた。懐かしくもある昭和の遺物のような風体だった。
「そうか、いまだこんな連中も生き残っているのだ」
 若い頃、アメリカに出張して同じような目に遭ったことのある昭雄は、のんきに構え、内ポケットに手を入れた。すると、昭雄と三人組の間に二人の人間が、まさに風のように割り込んできた。ひと組の男女で、二人ともボディビルで鍛え上げたような体を、ぴっちりとした黒のボディ・スーツで覆っていた。ファッションモデルとしてでも通用しそうな容姿だった。二人は、ナイフを持つ男の両脇を固める仲間二人の腕をつかみ、それを後ろ手にしてねじり上げた。腕が折れると悲鳴を上げる二人を、助けようとナイフ男が近づくと、ボディ・スーツの男は、
「近寄ると、腕をへし折るぞ」
 と、さらに強く腕をねじり上げた。腕をねじられた男は悲鳴を上がった。「おじいさん、早く逃げて」
 これは女の声。長い髪が肩の辺りで揺れていた。
 難を逃れた昭雄だが、一体どういうカップルだったのだろうか、と不思議に思いながら家路についた。アジア系の容貌ながら、退職前の昭雄が、海外出張で利用した航空機の中で視聴したハリウッド映画のアクション俳優そのものカップルだった。もっとも、逃げ出したので、すし屋の看板脇の「生」と記されている表示の謎はわからないままだった。

 寛のマンションに戻ると、寛は鍵をかけた自分の部屋に閉じこもっていた。いずれ、互い息がつまるだろう、と思うからこそ、同居早々のいさかいは避けたかった。昭雄は「ただいま」と寛の部屋の外から声をかけ、あてがわれた部屋のベッドに横になった。ベッドに寝て、あらためて寛が哀れに思えた。寛は、数時間前に昭雄を助けた男とは違い、背は低く、鼻はペシャンコで目は細い。さらに、昭雄にとっては義母、寛にとっては祖母に当たる女に甘やかされ、小さい頃から柔らかいものしか食べさせられなかったため、顎が退化して小さくなる一方、なぜか歯だけは発達し、歯が小さな顎と口からはみ出していた。外見だけではなく、極端に臆病で、冒険心に欠けていたのも、母親や祖母に甘やかされたからだろう。それでも、なぜか毛深さだけは人並み以上で、口の周りは髭のそり跡でいつも赤く、山賊のようだった。昭雄を助けた男とはほど遠い容貌で、とても女性に好意を抱かれるような容姿ではなかった。
 ただ、寛は昔からゲームが好きだったので、その延長線上で、ゲーム業界で収入を得ているようだった。それに加え寛は、昭雄が妻に分け与えた退職金で、飛躍的な成長を始める直前のアフリカ企業の株を買ってもらっていた。今はその配当もあり、なんとか日本での中流以上の生活レベルを営み、納税もしているようだった。
 もっとも、そんな生活をしているのは寛だけではない。日本は、農業生産高はもちろん、工業生産高も、世界の中で中以下の国に転落した。縮む日本の乏しい生産力を補うため、阿々弥守特別村の村民も含めて、気の利いた日本国民は皆、投資を行い、暮らしを成り立たせていた。それが、国策でもあり、そのための授業が義務教育の中に組み込まれていた。そもそも、国家予算の半分以上が、かつて中央銀行が投資した海外資産からの配当収入であり、国民全員に給付されるベーシック・インカムの財源の一つでもあった。
 離婚前に昭雄が、息子である寛に対して抱いた歯がゆさや不満は、今の状況では、逆に捨てたものではない、と昭雄は思い直すのだ。
 寛が中学生の頃、ゲームに熱中する寛に小言を言うのは昭雄であり、その昭雄に対して「細かくて口うるさい。イライラする」、との苦情を妻に吹き込むのは義母だった。昭雄は、寛が臆病で冒険心や向上心がないのも不満だったし、その原因は寛を溺愛した義母だ、と思い込んでいた。
 しかし今の昭雄にとっては、寛が高望みせず、馬鹿正直に母親や祖母から相続した株や投資信託を乗り換えることなく持ち続け、その配当収入を生活の糧にしているのは能力相応の生き方だと考え直していた。おかげで、老境の昭雄の平穏が乱されずに済むからだ。
 寛との同居生活が始まった昭雄だが、農作業等で体を使う機会がなくなったので、朝食後は近くの公園に行き、そこで一時間ほど、運動することを日課にすることにした。同居して一週間後、朝食のときから寛はソワソワと落ち着きがなかった。その日に朝食として届けられたのは、昔懐かしい和風の朝食だった。なめこのみそ汁、納豆、焼きのり、大根おろしに干物の魚、卵焼き。どれもこれも昭雄の好物ばかりだった。じっくりと時間をかけて食べたい昭雄だった。最後に残しておいたのは焼きのりで、しょう油につけたそれで白米を包んで食べることは、昭雄にとってこの上ない最高のごちそうだった。最後の晩さんは何にするかと問われれば、間違いなくこれを頼むのだが。
「今日は散歩に行かないのか」
 と、寛がこれまでの見せたことのないじれた様子で尋ねてきたので、残った焼きのりは、そのまま紙を食べるように口に入れた。
「なにか事情があって、外出してほしいのだ」
そう察知し、一口茶を飲んで食事を終え、身支度をした。

 マンションのエントランスに出ると、大きく「NILE」と印刷された、人の背丈ほどもある段ボールを載せた配達ロボットが、エントランスの前で電話をかけていた。年をとって耳の悪くなった昭雄だが、「松野昭雄様あての荷物を持って参りました」と、聞こえたような気がした。
 昭雄の退職前、公園は子供連れの母親や父親、あるいは保母さんに引率された幼児達の居場所だった。しかし、阿々弥守特別村民から普通の日本国民に戻った昭雄が見た公園は、老人だらけだった。昭和後期生まれの昭雄は、第二次世界大戦直後に生まれた叔母から、昭和中期の日本は、至る所子供だらけで、道は遊ぶ子供達に占領されていた、と聞いたことがあった。だが、復帰した昭雄が見た公園に、子供の姿は見えず、いたるところ老人だらけだった。公園もジャングルジムや滑り台、ブランコ、砂場に代わって老人向けの設備が多く導入されていた。老化防止、筋力低下防止に役立つトレーニング器具が多く置かれていた。かつては、保母さんに見守られた幼児達が走り回りっていた公園広場では、インストラクターが、老婆、老爺相手に、チイチイパッパのお遊戯代わりにエアロビクスやヨガの指導をしていた。
 晴れて参政権のある日本国民に戻った昭雄にも、エアロビクス等への参加資格はあったが、比較的スムースに体を動かす老婆達に混じって、硬くなった体をリズムに乗り遅れ、ちぐはぐに動かしている山羊髭男や、片足立ちでバランスを崩すヤカン禿げ老爺は、他人事ながら気恥ずかしかった。昭雄は黙々と鉄棒にぶら下がり、バーベルを持ち上げ、トレッドミルで走った。寝たきりにつながる体力低下を防ぐつもりの昭雄だった。公園に群がる老人達の内、男性のほとんどは無言だったが、対照的に老婆達は、賑やかだった。

 公園から戻ると、いつも通り寛は部屋にこもっていた。夕食は共にしたが荷物について何も言わなかった。
 互いに干渉し合わないよう、別室で大半を過ごしていたが、食事や用便の際に自室の外に出ると、時折寛の部屋のドアが閉め忘れていることがあった。のぞくと、机とともに人が一人、立って入れるほどの大きさの箱があった。離婚前、昭雄がギターの練習をするために購入した防音ボックスに似ていた。さらに、人の背丈ほどの棺桶を思わせるプラスティック製のケースが二つ並んでいた。
 机にはやはりヘッドセットとコントローラがあった。離婚前、中学生の寛が、義母に買ってもらったヘッドセットにコントローラを使ってゲームに夢中になっているのを、苦々しく思った昭雄が、小言を言った。すると寛は、
「なら、パパの好きな将棋はどうなの。将棋もゲームだよ。なぜ将棋は良くて、ゲームは悪いの。それにいろいろな発明や発見は、役に立つという発想ではなく、面白くて熱中しているうち、たまたまたどり着いただけ。面白さこそ大事なのだと先生が言っていた」
 と、生意気に反論した。まず昭雄にとっては、「おとうさん」ではなく、「パパ」と呼ばせる妻や義母の流儀が気に入らず、さらに教師の入れ知恵である、寛の論理展開に腹が立った。思えば、これらの積み重ねで「もうどうでもいいや」、という思いが次第に膨れ上がり、離婚、さらに早期退職、そして阿々弥守特別村への移住につながったのだ。

 阿々弥守特別村を離れて上京し、同居してわかったのは、寛が昭雄に同居を持ちかけたのは、少なくとも経済的な理由ではなかったことだ。三十過ぎの寛は、ゲーム関連の仕事に関わり、かなりの報酬も得ていた。今の日本でゲーム産業は、投資事業とともに国家を支える産業なのだ。寛は、その産業に携わるとともにベーシック・インカムと投資からの配当金があり、日本国民の平均所得以上の収入は確保している。金銭面で昭雄を頼る必要はないことがわかってきた。だから昭雄は、寛が父親を呼び寄せた理由が、寛が昭雄名義で購入したものにあるのではないかと思い始めたのは、「NILE」の宅配があってからだ。
 昭雄は阿々弥守特別村への移住時に、PCやスマホといった機器を全て破棄したが、上京直後に再度買い求めた。昭雄が買い揃えた機器は、退職前に使ったことのあるノート型のPC、タブレット、スマートフォン、それにスマート・ウオッチだった。他に眼鏡装着型、指輪型、ネックレス型などがあったが、やはり、昔使い慣れた形式が無難だった。
 PCで「NILE」を検索してみた。それは、昭雄が阿々弥守特別村で隠遁している間に急成長したショッピング・サイトだった。興味本位で様々な商品を検索するうちに、最新型「インカネ」なる代物にたどり着いた。大きさは、NILEの配達ロボットが載せていた段ボール箱相当だった。購入に際しては様々な条件、規制があり、それらを満たしているかを、公民権カードを生体認証で本人確認する必要があった。その上で、公民権番号とリンクした個人データベースと照合し、購入条件に合致することを確認することへの許可を求める表示がされた。照合するデータ項目が購入条件であり、十八歳以上であること、政府が行う参政権資格試験に合格していること、犯罪歴がないこと、ベーシック・インカム以外に一定額以上の収入があり、納税をしていること、一生に一度しか入手できないこと等が羅列された。インカネには、法律の規制があるらしかった。
 昭雄は購入サイトに入ろうと試みたが、既に購入済みとの表示が出てしまった。昭雄は阿々弥守特別村から寛の所に転がり込んだ翌日、寛に役所に連れて行かれ、公民権カードの再登録と指紋や虹彩による生体認証登録、さらに参政権資格試験を受けさせられた。その上、その日の夕刻、マンション管理会社への登録に必要だからと寛に言われて、訳もわからずに寛のPCの前に座らされて、支給された公民権カードで生体認証をさせられたことを思い出した。
 昭雄が暮らしていた阿々弥守特別村の村民達は、村外の流行、村外の話題や事件については、知る術はなく、興味もなかった。第一、阿々弥守特別村の村民、そして特別村の村外の国民でも、参政権資格試験の一部となっているIT機器に関する知識が乏しい国民(ほとんどが高齢者だが)には参政権がなかった。それは、令和初期にヨーロッパ東部で起きた戦争が原因だった。戦争を引き起こした強権的な大統領の支持基盤が、インターネット等の最新技術を使えこなせず、テレビなどによる官製報道を鵜吞みした高齢者達だったことが理由だ。現代の高齢者はその前半生の労苦を慰労される存在ではなく、おかしな世を作り出した共犯者であり、さらには足手まといで非効率な存在でしかないのだ。
 もっとも、参政権を剝奪されている人々に対しても、日本国民であれば、生きるに最小限必要なベーシック・インカムは支給される。衣食住には困らないものの、それでも現代技術文明を拒否する阿々弥守特別村の村民の大半は、農業や工芸品の制作などの肉体労働をしている。それは自身が存在していることへの承認願望、社会へ何らかの寄与することによる自己肯定だと昭雄は思っている。
 昭和の時代までの昔話や神話には、見てはいけないと言われると、かえって見たくなり、その結果悲劇を招くという筋立てが多々あった。結末がどうであろうと、好奇心をかき立てられたのは、松野昭雄も同じだった。
 昭雄は寛が、昭雄名義で手に入れたインカネで、何をしようとしているのか知りたかった。同居して十日ほどが過ぎたが、寛は滅多に外出しなかった。まるで、外の世界に興味がないようだった。在宅で仕事をし、モニター画面越しに仕事仲間と打合せをしているようだったが、それがなければ、平成や令和の初期に話題となった「引き籠もり」そのものだった。そんな寛が、必ず出かける日がある。月に一度のベーシック・インカム受領のための生存確認を、窓口で受ける日だ。病気や寝たきりは、訪問確認してもらえるが、寛は五体満足だ。寛の窓口確認の日は、インカネが届けられた三日後だった。
 寛が窓口確認のため出かけると、昭雄は前日に買い求めておいた数台の小型カメラを寛の部屋、そして防音ボックスに取り付け、さらにPCの画面をモニターできる分配中継器を取り付けた。寛は、阿々弥守特別村の村民だった昭雄を見くびっているので、昭雄がそのような細工をする能力、知識があるとは思っていないはずだった。昭雄のかつての妻と義母は昭雄を軽蔑し、昭雄のことを、寛に余り教えなかったのが幸いした。昭雄は単なる月給運搬人だった。離婚前、昭雄が寛に、自らのこと、友人や勤め先のことを話し始めると、二人に遮られるのが常だった。早期引退前、昭雄はサイバー・セキュリティの会社に在籍していたのだが、寛は義母と妻から、昭雄は単に技術者だ、としか教えられていなかった。
 カメラなどを取り付けると、昭雄は公園に出かけた。公園に集まる老人達だが、女性はともかく、男性の多くは互いに会話することなく、黙々と体を動かしていた。それでも、何度か会う度、人懐こそうに笑顔を見せた老人が、その日初めて昭雄に話しかけてきた。昭雄が自己紹介をすると、驚きの表情を浮かべた。
「ほー、阿々弥守特別村から復帰されたのですか。私もね、何度、あちらへ移ろうかと思ったことか。どうしようかと悩みながら過ごしているうちに、この歳になってしまいました。やはりこちらの方が、便利で安楽に過ごせるので。でも、IT資格試験に合格された上での復帰ですか?」
「はい。阿々弥守に入る前は、サイバー・セキュリティの会社に勤めていましたから、多少の知識があったので」
「ほー、それは凄いお方ですな。私なんか足下にも及びませんわ。私は、川原伴太(かわはらばんた)。元新聞記者、紙の新聞が消滅してからはWEBで記事を書いていましたが、もう引退してます」
「しかし変な光景ですね。阿々弥守特別村に移住する前の公園には、これほどの老人はいませんでした。老人ばかりで、子供の姿が全く見えません」「子供は大事ですから。こんな所では遊ばせられない」
 人見知りしないのは、新聞記者だったという経歴故なのか、と思いながら、昭雄は心に引っかかっていた疑問をぶつけてみた。
「ああ、あれね。そら、阿々弥守特別村から来られ、しかも私と同世代なら、ビールを連想するでしょうな」
 と大笑いして、意味を教えてくれた。さらに、インカネが何かを尋ねてみた。息子の寛が自分名義でそれを手に入れたことは明かさずに。 
 川原の説明は、ほぼ昭雄が想像していたとおりだった。昭雄は、
「川原さんは、お持ちではありませんか」
「いや、いや。持っていません。参政権資格試験に合格していませんし、納税もしていません。収入はベーシック・インカムとささやかな年金だけですから。フリーランスのライターなんてたいした収入ではなかったですから。それに、仮にインカネの所有条件を満たしていたとしても、あれを使いこなすだけの知識も体力はありませんから」
 昭雄はさらに思い切って、上京した晩の出来事を話してみた。入れ墨をした昭和の時代の悪相そのものの三人組と、彼等に脅された昭雄を助けてくれた二人について。
「助けてくれた方はともかくとして、襲った三人組は生身でしょうな。風体からして。まあ、インカネとしてわざわざ悪相を選ぶ人物もいるけれど、実際に悪事で使用したら、取り上げられる上処罰されますから」
「へえー、なんか奇妙だ」
 と昭雄はつぶやいた。
「何がですか」
「いやね、これだけ個人が管理されているのに、恐喝するような人物を野放しにしていることが」
「まあ、その点についてはいろいろ主張があって。人権を根拠に、その存在を否定してはいけないという人々がいる。それとは別に、社会の活力のため、国家防衛のための環境として、一定程度の暴力的環境も必要だと考える人もいる。とにかく、進歩派、人権派も、そして保守派さえも、異なった論拠ながら、取りあえず現時点では『彼等はそのままにしておくべき』という結論は同じなのですな。まあ、犯罪行為により罰金や刑務所に入れられるレベルは昔と同じです。えーと、あなた?」
「松野昭雄です」
「刑罰のレベルは、松野さんが阿々弥守へ移住なさる前と同じです」
その時、川原伴太の腕時計のアラームが鳴った。川原は慌てて、
「しまった、もうこんな時間だ。孫を迎えに行く時間だ。また次に」
 言い残し、公園に設置されている屋外トレッドミルで歩いていた時の倍近い速さで立ち去った。

 他にもいろいろ聞きたいことがあった昭雄だが、白髪を揺らして帰る川原伴太を見送った。昭雄が自宅マンションに着くと、宅配ボックスに阿々弥守特別村の友人からの昭雄宛の荷物が届いていた。日本酒だった。
 届けられた夕食は、個別に加熱装置の付いた鍋料理だった。一応、昭雄は寛に声をかけてみた。
「阿々弥守から良い酒が届いた。一緒に飲むか?」
「いや、忙しいんだ。仕事の期限が迫っている。また別の日に」
 寛は鍋を抱えて自分の部屋に引きこもった。それを見届けてから、昭雄も鍋と酒瓶を抱えて、ドアに鍵をかけて自分の部屋にこもり、モニターに映る息子寛の様子を見ながら、鍋をつつき、酒を飲み始めた。
 寛は、二つあるプラスティック・ケースのうちの未だピカピカと輝く方を開けた。カメラの角度が悪く、ケースの中は見えなかったが。寛は中からペラペラの上下がつながったボディ・スーツを取り出し、全裸になってからそれを身にまとった。それは頭部、顔面から足の指先まですっぽりと覆うものだった。
「これがハプティクス・スーツというやつか」
 冷酒を飲みながら、昭雄はネットで仕入れた知識と照合してつぶやいた。
 モニター画面の中の寛は、スーツを身にまとった後、PCの画面にと向き合った。しばらくすると、ケースの中から歳は三十前後、全裸ですらりとした容姿の男がむっくりと立ち上がた。全裸の男は立ったまま身動きしなかったが、寛は一心不乱にPCを操作していた。
「初期設定か。煩雑にしてあって、一定の能力がないと動かせない、とあったが」
 酔いで多少独り言の声が大きくなったことに気がついた昭雄は肩をすくめた。
 寛は、若い頃の昭雄が、新車を手に入れた直後のような嬉々とした顔をしていた。PCの表示を見ながらインカネの様子を確認することを繰り返し、初期設定作業を続けていた。インカネ、つまり分身をどのようにするか、自分の好みでできるらしかった。しかし、その初期設定は、一度きりで再設定は不可能な上、その後の学習と訓練も必要だった。一時間ほど寛は一心不乱にPCに向かっていた。
 寛の腕時計の呼び出し音がした。キーボードに向かう手を止め、腕時計に向かって応答した。
「うん、わかった。直ぐに支度する。それでは、一時間後ぐらいに」
 PCに向き直った寛が、キーボードを操作すると、寛のかたわらに立っていた男は、元のプラスティック・ケースの中に戻った。寛はそれまで着ていたハプティクス・スーツを脱いで、男が中に戻ったケースの中にしまった。もう一つのケースの蓋を開け、そこから若干色あせたハプティクス・スーツを取り出し、身にまとった。すると、ケースの中から男が起き上がった。それは、昭雄が上京した日、「生」と表示されたすし屋の前で、暴漢に襲われた昭雄を助けた男だった。 
 寛は防音ボックスに入り、ボックスの扉を閉めた。防音ボックスの中でもぞもぞとハプティクス・ウエアを着て身もだえる寛。もだえに反応して男は歩き出し、ドアスコープから外の様子をうかがった。昭雄が居合わせていないかを、確認しているようだった。さらに玄関に出て、マンションから外に出て行った。
 昭雄がネットで得た知識によれば、寛のハプティクス・ウエアに反応する男、つまり分身の視界は、寛が身にまとったハプティクス・ウエアの頭部を覆うヘッド・ギア装着のゴーグルに表示される。ゴーグルに表示される分身の視界は、PCモニターにも表示されていたが、それは分身の行動を記録し、後に寛が再生して楽しむためと昭雄は想像した。寛の分身は、夜の街を盛り場の方に向かった。分身のコントロールは、ヘッドセットと寛の脳波との交信、さらに寛の全身の神経とハプティクス・ウエアとの電気信号のやり取りで行っている。
 寛の分身は、ダンス・ホールに入った。分身は、音楽に合わせて色とりどりの光が点滅するカウンター席に腰掛けた。しばらくすると、分身の隣に若い女が腰掛けたが、それは暴漢に襲われた昭雄を助けた男女のもう片方だった。
 寛の分身と女は頰ずりし、バーテンダーに飲み物を頼んだ。グラスを合わせ乾杯し、中身を飲んだ。分身の味覚センサーの信号が、防音ボックスの中でハプティクス・ウエアに身を包んだ寛の味覚神経を刺激する。
「踊ろうか」
 女が言った。寛の分身は、
「いや、もう少しアレを見物しよう。面白いな。生身は生身なりの面白みがある」
 そう言った寛の分身の視界は、モニター画面に映し出されていた。ステージがあり、そこには、従業員を含めて店にいる人々とは異なった容貌、体型の男女が、コメディーを演じていた。男は禿げ頭に丸顔、鼻の下にはちょび髭があった。さらに下駄を履いて、昭和後半生まれの昭雄でさえ、記憶の底にしかないステテコに腹巻き姿だった。女の背の高さは、小男の相方の肩までしかなかった。女も、今ではめったに見られなくなった着物姿で、頭頂部で髪の毛を、ちょんまげ風に結っていた。昔懐かしいどつき漫才だった。昭雄が阿々弥守特別村に隠匿する前、どつき漫才、特に男が女に手を上げる漫才は、DVや男女差別を賛美するものとして、芸能界から追放された。それどころか、ボケとツッコミの内容の一部さえ、パワハラを助長するものとして規制された。しかし、ここでは復活していた。
 どつき漫才の最中、軽快な音楽がかかった。漫才の二人の容姿には不釣り合いなダンス音楽だった。音楽に合わせ、女は頭の上に手をかざし、空を仰ぎ見るような格好で踊り始めた。観客はゲラゲラと笑った。
「なんやねん、それは」
 ステテコ男が尋ねると、ちょんまげ女は、
「月がー、出た出た」
 と、歌った。
「おまえ、いつの生まれや、何歳や」
「わては、令和生まれや。昭和生まれのばあちゃんが、よう歌ってはった」「それ、昭和どころか明治、大正の歌とちゃうか。昭和の時代ならこれや」
 音楽が変わり、下駄に腹巻き、ステテコ姿の男が、「スィー、スィー、」と歌いながら泳ぐような格好で踊りだした。
 客も従業員もほとんどがファッション雑誌から抜け出たような容姿だったが、大笑いした。ステテコ姿の男と、さほど変わらぬ容姿の寛も、防音ボックスの中で、ハプティクス・スーツを着たまま笑い転げた。
 一方、モニターに映る隣の女は、ささやいた。
「あら、そうかしら、アレ、ほんとに生身なの。生ぶって、笑いを、とろうとしているのかも」
「それより、俺、今日、余り時間ないのだ。おやじと同居しているから、朝帰りはまずい。踊りは少しだけにして、後はたっぷり楽しもう」
 カクテルを飲み干した二人は、すばらしい振り付けで踊った後、そそくさと店の外に出た。向かったのは、ホテルだった。
 照明をつけたままのホテルで、二人は互いに服を剝ぎ取り合った。そして、互いの全裸をなめ合い、まさぐり合い、転げ回った。ボディ・ビル・コンテストにも出場できそうな二人なので、まるでレスリングをしているようだった。合体すると大声を上げ、最後は二人とも痙攣した。分身の神経センサーの信号がハプティクス・ウエアに伝達され、防音ボックスの中の寛も痙攣していた。
 
翌日の朝食時、寛はさすがに疲れた様子だった。目は充血し、クマができていた。背は低く鼻はぺしゃんこ。目は細く、歯が口からはみ出した容貌の寛。義母に甘やかされたため、体を動かすことは苦手。そんな実物の寛に、前夜の行為を知ってしまった昭雄は、話しかけられなかった。けれど、朝食の後片付けを始めた寛の背中を見て、「外見なんて、なんでもないさ」と声をかけたくなった。
 寛は朝食後、ろくに話もせずに部屋に引きこもった。WEBカメラで観察すると、寛はゲーム製作の仕事をしているようだった。昭雄は家を出た。
 公園の入り口で昭雄は、川原伴太と出会った。「おはようございます」と挨拶を交わすと、川原は、
「私はいつも、公園で体を鍛える前に、外周道路に沿って公園を一回りすることにしているんですわ。よろしければ、ご一緒に」
 昭雄は、腕を上下や左右に大きく振りながら歩く川原と並んだ。太陽がまぶしい土曜日、公園の外周道路脇のグランドには、老人以外の人が多かった。前夜、息子の寛、いや寛の分身が飲みに行ったのは、週末だったからだと、昭雄は気がついた。
「あの人達、どっちなんですか」
 川原は昭雄の質問の意味を理解するため、しばらく考えてから、
「ああ、そういう意味か。基本的には生対生、インカネ対インカです。まあ、混合もありますけど、その場合は生とインカネとが識別できるように協議します」
「インカネ対インカネではスポーツではないような気がしますけど」
「ふーん。私も昔はそう思いました。でも違いますな。それなりに筋肉や反射神経を使いますから」
 昭雄は防音ボックスの中で身もだえしていた寛の姿に思いが及んだ。川原は続けた。
「日本は我々が現役の頃から、縮んでいた。縮みながらも、日本に憧れる人は多かった。世界一安全だし、清潔だ。人口は減少し、農工業も縮小しているけど、過去の遺産、海外投資や特許料、それに数少ない競争力のある産業であるゲームで国民を養っていける」
 一息入れてから川原は、
「そんな日本に侵入を企てる人々を、あるいは、狙っている国がある。それらに対しては、抑止が必要だとなって。国民には兵役の義務が課せられるようになった。けれど、インカネ所有者なら、インカネで兵役をすませることができる。まあ、令和の時代以前には、『平和の祭典』などと呼ばれたものの、そのうちそっぽを向かれたオリンピックだって、愛国心に訴えるものですから。そもそも、スポーツには、チームワークや闘争心が必要でしょ。昭和の時代には、体育系の部活動では団結だの勝利だのの言葉が飛び交っていました。インカネで兵役を済ますにしろ、それなりの基礎が必要だ。それがスポーツです。スポーツをインカネでするにしたって、操作する人間の闘争心と反射神経は必要ですから。インカネ・スポーツもおおいに役立つ」
「国家防衛に必要なら、AI搭載のロボットを使えば良いと思いますが」
 川原伴太は、松野昭雄を見つめ返した。
「なるほど、阿々弥守特別村にいらしたからご存じないか。昭和の時代に毒ガスや生物兵器禁止の条約があったでしょ。それと同じようにロボット兵器禁止条約ができて、禁止されているのです。一応は」
 昭雄は、
「一応?」
 と、念を押すと川原は、
「そう、一応です。生物化学兵器を禁止する条約と同じですな。AIの方も、新たな開発は禁止されている」
「新たな、開発?」
 川原は、また昭雄を凝視してから、
「松野さんが阿々弥守に移られたのはいつでしたか」
 昭雄が答えると、
「私がWEB報道の記者を辞める直前のAIは学習結果の整理マシンでした。AIも、学習させる内容次第で、その出来不出来があった。まあ、数学の問題に例えるなら、過去の回答例から、最適な解法のテクニックを学習する。でも、そこには、ひらめきというか、論理の飛躍というか、直感というか、そういうものまで、取り込めていなかった。過去の回答例から公式通りの解法を提示するまでしかできなかった。しかし、それ以上のものを開発したら、人間の存在が脅かされると考えたのでしょう。そこで世界的に、それ以上の開発を、やはり条約で禁止したのです。一応は」
「ふーん」
 と、昭雄。その昭雄のつぶやきに川原は続けた。
「でも、条約の範囲内で開発するゲーム産業やインカネ産業が、いまや、日本の主力産業となっている。それは、戦争への備え、抑止力にもなっているわけです」
 公園の外周道路を一周して、二人は公園に入り、川原は、昭雄には目もくれずに、トレッドミルで走り始めた。走り始める前に、
「これで走ると、機械が心拍数に応じて、適切な負荷をかけてくれますからな。昔みたいに一人でジョギングしたら、ついつい楽をしてしまう。孫の面倒見るためにも、体を鍛えておかないと」
と言ったきり、黙々とマシンに向き合った。

 インカネの初期設定、チューニングには、一ヶ月以上がかかった。昭雄名義の分身が最初に外出したのは、初夏の週末の夜だった。昭雄名義の分身の外見は、もちろん、昭和生まれの高齢者であり、かつ醜男の昭雄の容姿ではなかった。三十前後の中肉中背、くっきりとした顔立ちながら優しげな表情を見せていた。
 昭雄名義の分身は、大きな荷物を載せた手押し車を押していた。その分身が何をするかは、昭雄はモニター画面で観察することができた。昭雄の分身は、雑居ビルにある音楽スタディオに入った。昭雄の分身の他に何名かが集まっていた。エレクトリックギター、キーボード、スティールギター、ベースギター。昭雄の分身は、ドラムセットを前にスタディオオオけた。昭雄の分身は、「ケン」と呼ばれていた。女性は一人、金髪で担当はボーカルだった。六人は練習を始めた。
 その日以来、寛は元からの自分分身と「ケン」と呼ばれていた昭雄名義の分身を、日によって使い分けていた。元からの分身は、どうやら「ヒデ」と呼ばれているようだった。ヒデと呼ばれた分身は、夜しか出歩かなかった。外出すると必ず暴漢に襲われた昭雄を助けた女と逢った。
 一方、ケンの外出はバンドの練習だけだった。
 夏も終わりの土曜の白昼、ケンは音楽練習スタディオから持ち帰ったドラムセットの入った大きな箱を引きずって出かけた。出かける先が、いつも昭雄や川原が運動する公園であることは、前夜の分身「ケン」と音楽仲間との会話で、昭雄にはわかっていた。公園の広場では祭りが開かれるはずだった。昭雄は、後をつけた。寛は、昭雄が公園で時間を過ごすことを知っていたので、昭雄が祭りを見物していても、変な疑いは持たないはずだった。
 夏祭りのステージには、「時空を越えて、前世紀のヒット曲を」という文字が躍っていた。ケンのドラムを合図に金髪の女性歌手が歌い始めた。軽快なリズムのロックンロールに、観客達は歓声を上げ、男女の二人組で、あるいは数人で肩を組んで踊り出す人々もいた。
 ロックンロールにアメリカのカントリーミュージック。昭和中期の生まれの昭雄の叔母が、好んで何度も聴いていた曲だった。昭雄もその曲が好きになり、離婚前はよくかけていた。だから、寛も聞いたことがあるはずだった。
 昭雄は、屋台でビールを買った。晩夏の日差しの中、音楽に酔い、ビールに酔い、心地よかった、ビールの次に昭雄はトロピカル・カクテルを手にした。
 昭雄は、どうでもいいやという気持ちだった。終わりが近いかも知れないのだ。投資とゲームが主要産業の日本。そしてロボットやAI技術への名目的な制限条約下の平穏。非常に脆弱な、いつ壊れても不思議ではない世界に生きているのだ。だから、インカネの姿を借りているとはいえ、その瞬間を楽しめば良い。
 酔いが回ったものの、ふと、昭雄はドラムをたたくケンの視線に気がついた。繰り返し送る視線の先には、昭和や平成の時代にはよく見かけた、何の変哲もない、小柄な眼鏡をかけた女性がいた。その女性は、ケンから目を離さなかった。
「ひょっとしたら、この娘が」
 昭雄は思った。そして、川原が、
「実は、一人息子は同性愛者でして、孫ができるのは諦めていたんです。だから、自分の遺伝子のいくばくかを受け継ぐ孫ができたときは嬉しくて、嬉しくて」
 と、打ち明けたことに思いが飛んだ。
 川原は、現代の出産形態を説明してくれた。一つは、昔ながらの男女の性行為の結果として、女性の子宮の中で受精し、成長させ出産する形態。もう一つは、受精した卵子を代理母の中で育て、出産する形態。さらに、受精した卵子を人工子宮内で育て、出産する形態。川原の孫は、卵子の提供を受けて人工子宮で育てられたことも打ち明けられた。
 ひょっとしたら、俺も川原みたいなれるかも、と勝手に妄想した昭雄だが、嬉しくなると同時に、脆弱な日本に対する不安が切羽詰まったものとなった。

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