『日本橋』のハマグリの潮汁
同じ職業のライバル同士が力の限り戦うことでお互いを認め合う友情映画はいっぱいあります。
同じ人を愛する恋敵同士が、その愛し方を通して尊敬し合う映画もいっぱいあります。
市川崑監督『日本橋』も私にはそんな映画に思えました。好きなシーンがあったので泉鏡花の原作も読み、ゆかりの場所めぐりもしました。
あらすじ
主人公のお孝(淡島千影)は日本橋の売れっ子芸者で、西河岸の延命地蔵尊の近くの露地で置屋を始めます。その露地には芸者の幽霊が出ると噂されていましたが、気の強いお孝は千世(若尾文子)をはじめ芸者をたくさん抱えて羽振りよくやっていました。
お孝は美しく優しい清葉(山本富士子)をライバル視し、清葉が振った男を自分の恋人にするという当て付けを繰り返しています。北海道の海鮮問屋の五十嵐伝吾(柳永二郎)もその一人でしたが、お孝に捨てられ、清葉への未練も断てず、すべてを捨てて東京で浮浪者になっていました。
ある日、清葉は医学者の葛木晋三(品川隆二)の座敷に呼ばれ、清葉に姉の面影を重ねる葛木に思いを告げられますが、旦那のいる身の清葉は彼の思いに答えられません。一石橋で悲嘆にくれていた葛木は巡査に怪しまれ、尋問を受けているところをお孝に救われ……という物語です。
小村雪岱の世界
市川崑監督が小村雪岱の絵のような画づくりをしているところが面白かったです。
山本富士子が雪で真っ白に染まった橋の上を赤い傘を差して渡るシーンなど、まさに小村雪岱の世界。
神保町シアターで観たときは客席から溜め息がもれていました。
私が一番感動したのは、お孝が2階の窓から落してしまう扇を清葉が露地でキャッチするところです。
儚い身の上の芸者同士の友情をこんな美しく描く方法があるのかと、涙が出ました。この扇のシーンは原作にもあります。
西河岸地蔵尊
お孝の置屋・稲葉家のすぐそばにある西河岸地蔵尊は今もあります。しかし昭和51(1976)年に建て替えられたのだそうです。
本堂には、明治座で『日本橋』が上演されたときにお千世を演じた花柳章太郎が奉納した小村雪岱画「お千世の図額」があり、申し込めば見ることができるとのこと。
お百度石
映画の中でお孝がお百度詣りをしていたお百度石もちゃんとありました。
一石橋
葛木とお孝が出会う一石橋もまだ残っています。
泉鏡花が『日本橋』を出版したのは大正3(1914)年で、この一石橋の親柱が建てられたのは大正11 (1922)年。
迷子しらせ石標
そしてその親柱のすぐ脇にある「迷子しらせ石標」は安政4(1857)年に建てられました。泉鏡花が『日本橋』を書く前からここにあった石標が、今も残されているのです。
日本銀行
葛木やお孝らが歩く日本橋は既に、辰野金吾が設計した赤レンガの帝國製麻ビル、東京火災保険、そして日本銀行が建っているモダン都市です。
今の日本橋には当時の建物はほとんど残ってないですが、日本銀行はいまでもその壮麗な姿を見ることができます。
一石橋を渡ってその日本銀行の前に差し掛かるあたりで、この映画で最も衝撃的な食事シーン、五十嵐伝吾が羆の毛皮の筒袖から蛆をむしって食べる場面が繰り広げられます。伝吾によると蛆を食べると身体が暖まって、何日も食事にありつけなくても平気なんだそうです。すごい生命力。
ハマグリの潮汁
私は、葛木が放生会として一石橋から流した雛祭りのサザエとハマグリにちなみ、ハマグリの潮汁を作りました。
ハマグリは加熱しすぎないよう気をつけると、身がやわらかくふっくら仕上げられるのだそうです。ちょっと沸騰したところで火を止めて、密閉性の高い蓋をして、余熱でハマグリの口が開くまで温めてみました。だし、塩、酒、醤油のシンプルな味付けながら、たいへん美味しかったです。
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