自分を生きることを教えてくれる映画‐Sliding Door(1998)‐
私は仕事、恋愛、家族、色々な人生での出来事を映画を通して考えるのが好きです。その中でも印象的なSliding Door(1998)を人生観を見つめたいときに見る映画としておすすめします。(ネタばれはしない、はず)
ーあの時電車に乗れなかった私、あの時電車に乗れた私。ふたつに枝分かれた「私」の人生のストーリー。これは偶然?運命?幸せはどう手にする?ー
この映画は、今となればベタな演出と構成かもしれないけれど、これが20年以上前の作品なので、元祖はここかと思っていいと思う。主人公のヘレンはアイアンマンの恋人ペッパー役で有名なグウィネス・パルトロウさん。この俳優さん、今も昔もそれぞれ素晴らしい美貌で、女性としてとても憧れる!
(あらすじ)遅刻して会社に出勤したものの、不本意にクビにされ落ち込むヘレンが彼氏と同棲するアパートに戻る途中の電車のドアが決め手となって、大きく異なるふたつのヘレンの人生が描かれている。発車する電車に乗れなかったヘレンは強盗未遂に遭って頭を打ってかわいそうだし、電車に滑り込みセーフできたヘレンもまた浮気現場を目撃してしまいバーで泣きながらお酒を飲んで、始まりはどちらにしても大打撃。浮気現場の目撃が大ダメージだろうけど、浮気を隠す彼の異様に優しいそぶりも、見ているこちらがグサグサに傷つく。それでも健気に生きるヘレン。浮気を知ったヘレンは髪をバッサリ切り、会社を立ち上げる。浮気をまだ知らないヘレンは就職が上手くいかずレストランのアルバイトとして働くことになった。ー(つづきは映画をご鑑賞ください!)
ここからは私の感想。初見では、電車に乗れて浮気現場を目撃して髪を切ったヘレンが、一見すると成功人生のように見えたのだけど、2度目・3度目の鑑賞で見方が変わり、この映画が伝えたいことは「どんなことが起こっても、あなたにはあなたの生き方であなた自身を幸せな人生に導くことができる」ということだと解釈した。それから「神様はきっと見ている。運命の人にはどんな形であれ、出会っている瞬間がある。」ということも強く感じた。そういうことを映画から感じたのが私がこの映画を好きな理由。
私の人生の大きなテーマ、「私は私の人生を生きる」。1つ目のnoteで海外生活について書いた時と共通するが、親やその周りの大人たちを見た時に、世代的な感覚、家制度がそうさせるのか、大人たちは常に人生を嘆いていた。これは日本に限らない。滞在しているシンガポールでも、移民した祖先の苦労話からも伺える。日本においては長男だから、女だからという理由でたくさん制限をかけた人生を送ってきた人が多く、仕方のないことだと受け止められてきた。その中でも日本人は幸せをかみしめて、健気に生きてきたのではないかと思う。私はそれを尊敬する一方で、それがあまりにも勿体なく、自分はもっと自由に生きたいと思えた。
ここからは映画と離れて、自分の話。「自分で選択した人生を過ごすこと」について書く。私の母はものすごく仕事をしていたのに家事も怠らず、授業参観には一番に来て、顔がソックリだから「ちかちゃんのお母さん来てるよ。早いね。」と同級生に即バレしてちょっと恥ずかしがっている私ににこにこした顔でこちらを見ている、というようなスーパー・スタミナ・子煩悩キャリアウーマンであった。仕事に誇りを持っている一方でよく仕事を愚痴っていたし、父の両親からは働くことに対していい顔をされず、かなり肩身の狭い中でも一生懸命毎日を過ごしている人だった。父は会社勤めをしていたが長男という責任から両親の自営業を支えるために自ら仕事を辞め、身を粉にしているのは父なのにもかかわらず、アルバイト程度しか無い稼ぎしかもらえず、嫁姑間も夫婦仲もあまりよくなかったように思う。会社勤めから自営業になったことで、もともと繊細で穏やかだった性格が、怒り散らし毎晩酒浸りになるほど、環境が父をものすごく変えてしまったという。離婚も視野に入れていた母だったが、父が職業病により癌を患い、夫婦仲は思わぬ形で丸くなったように見えた。母の献身的な看病もつらい抗がん剤治療も空しく発覚からわずか3年で父は亡くなった。私は13歳だった。母はその後も大変苦労しながら働き続け、お弁当も手作りし高校・大学と進学させてくれたし、買ったマンションも私が大学を卒業するころにはもう完済したが、定年も近いころ、母の職場は異動の際、不本意に一身上の辞職にもっていく形で辞めさせ、不本意な形で退職したことから、当時は鬱のように元気がなかった。それが本当にかわいそうで、一時期体も弱くなって入院もしたし、母が働いている頃から母の愚痴を聞きながら「母の仕事に就くのはやめよう」と思ったし、父のように親に従って仕事を変えることは絶対しないと、20代初めの時に心に誓った。
私の両親は私が尊敬する素晴らしい人たちだが、仕方がないと人生の選択を遠慮し続け、当然手にするべき幸せがあったのに不本意な中で人生を過ごしてきた。そうさせた環境も憎いけど、彼ら自身がもっとわがままになっても、きっとよかったはず。私や姉を一生懸命守ってきたが、私たちはあまりにも守られて、両親の苦しみに気付くのがとても遅かった。もっと苦労を共有してもよかったはず。もっと適当な家事をしてよかったはず。父はもっと、長く生きられたはず。もちろん両親はそれでも一生懸命、選択してきたんだとも思うが。
次女である私は、家族親戚から自由人に見られており、集まれば従姉妹と婚期を比べられるが、映画のように、何かのきっかけで自分が大きく成長すること、そこから発見する新しい人生のやりがいや目標を持つことの楽しさや、それに向かって地道にやり続けてよい未来を切り開くことが、自分の人生を生きることだと思うから、じゃあそれを絶対やらねば、と思っている。いつも迷ったときに頭の中に浮かぶのは、カードキャプターさくらの主題歌のひとつ、坂本真綾さんが歌う「プラチナ」。
I'm a dreamer, ひそむpower
曲の出だしで呪文のように出てくる歌詞にいつだってハッとして励まされている。夢を描けば力が湧いてくる。それはとっても素敵で大切なこと。私がいつも思い出したいこと。
この記事を読んでくださった皆さんは自分の人生を生きていますか。ピンチはチャンスだと私は信じています。皆さんの人生が、明るく平和で愛に恵まれたものでありますように、それをつかんでいけますように、心から願っています。