ユング/MBTI考察: 4心理機能→8心理機能への拡張 (2) 「影の人格」
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MBTI 8心理機能モデル「自我と影」 に関しては、その様な解釈法があるという記事は散見しますが、ディープな考察を私は見つけることができていません。本記事では「影の人格」が、海外の記事で、どう解説されているか?をご紹介します。前記事の「否定」と「影」をご理解頂いていることを前提に、議論を進めますのでご注意を。この内容が入っていないと、本記事も恐らく理解が難しいかもしれません。その後また別記事で、8心理機能モデルでは、なぜそのような序列になるのか?という私なりの考察を展開予定です。
MBTIは基本的に4心理機能モデル「自我」だけを記述しますが、その限界や問題点については、以前の記事:NeとNiの違い (1) そこから見えるMBTIの限界 にも書いたので、割愛します。興味がある方は、こちらもどうぞ。
では、参ろう。
はじめに / 8心理機能モデル
8心理機能モデル/影の機能は、アメリカのユング派心理分析学者 John Beebe氏によって提唱されました。ウィキにはこうあります。
つまり、8心理機能モデルによって類型論を深く理解することで、他者への貢献に対して責任感を持てるように、自身の心の「器」の大きさ (capacity)を育てられるのではないか、と説いているのです。
では、早速具体例を挙げながら、見ていきましょう。一般的にINTPの8心理機能モデルは、以下の様に記述されます。
自我/INTP : ①Ti ②Ne ③Si ④Fe
⇅
影/ENTJ : ➊Te ➋Ni ➌Se ➍Fi
①~④を一次機能 (Primary Functions)、➊~➍を影の機能 (Shadow Functions)と呼びます。…ちなみに主機能は Dominant Function。「Primary = 主要な / 最初の / 原始的な / 基本の / 根本の」で「Dominant = 支配的な / 最も有力な / 優勢な」の意。
①~④と➊~➍は対応しており、内向 (i)と外向 (e)がそれぞれ反転した形をとります。そして、INTPの「影の人格」はENTJで、逆もまた然り、ENTJの「影の人格」はINTPです。つまり、人には「二面性 / 表と裏」があり、①~④によって特徴付けられる個性「自我」と、それによって「否定」された個性「影」もまた、➊~➍のように特徴付けられる、というのです。
自分のタイプの1文字目と4文字目を反転させたら、「影の人格」になります。例えば、ESFJの「影の人格」は、ISFPです。真ん中2文字は変わらない、と覚えましょう。
これら自我⇆影の心理機能を16タイプでまとめた表が以下です。ご自由に転載可。
他の記事では、影の機能を⑤~⑧ / 5番目~8番目 / 5th~8thとか記述してありますが、⑤は影の主機能なので、私は➊と表記します。残り⑥~⑧も同じく➋~➍とします。サイト毎の表記の揺らぎにご注意下さい。
それを前提にして、海外の記事を参考にしていきましょう!
海外記事紹介 / 影の機能への導き
このサイトは"mbti shadow functions"で検索してトップでヒットするサイトです。どういった風に紹介されているか、見てみましょう。他にもいくつかヒットしたサイトを覗いて見ましたが、どれも同じような雰囲気ですね。
(以下、スマホで文字が小さくて見にくい時は、画面を横に&拡大して見てもらうと読みやすいです)
要約すると、16タイプ診断をやって皆びっくり感動した後、8つの心理機能をそれぞれ勉強して、自我の一次機能スタック①~④まで勉強する人はいると思うけど、そこから更に影の機能スタック➊~➍まで勉強する人は少ないよね、と。ただそこから学べることはまだかなり残されてるよ、という内容です。
続きを見てみましょう。
私の前記事を十分に理解して頂ければ、この内容も比較的すんなり入って来ると思います。心は主体 (主)であり、意識にも無意識にも八百万の心の主々がいる。そして、主々は自律性を持っている、でしたね。騒ぐ心は止められねぇですよね。そして「影」とは、自我によって「否定」され、無意識領域へと追放された可哀想な、心の主であった、と。このことを踏まえれば、「影」がnegativeなイメージを持つのは、当然と言えます。ですので、ほとんどの人は、「影」を恐れ、目を背けたがるのです。
例えば、「お金が欲しい!」という心の主が自我で元気に動くということは、「自由が欲しい…」という心の主を意識から追放し、過酷な労働に耐えなければなりません。そうすると「自由」が「黒い影」になるので、本当に「自由」に生きている他人を見て、「怠け者だ! / 馬鹿なやつ! / 何も考えてない!」と、まるで悪い奴に見えてくる (負の投影)。ところが、身を粉にして働き続け、「お金」の主が自我で擦り減ってくると、「お金なんていらない!」と、労働を拒絶する。それと同時に、無意識領域の「自由」も一気に憧れに変わり、「白い影」となる。そうすると、ついこの前まで馬鹿にしていた奴が途端に羨ましくなってくる (正の投影)。これが所謂「陰陽転化」、極まれば転ずる、と。この転化 (反転)があまりに頻発すると、自我を保つことができなくなり、崩壊する。心のバランスを保つには、自分の中の「否定」された心の主の声を、「影」の声を、聞く必要がある、ということですね。
the “shadow” lies at the edge
of our conscious and unconscious psyche.
とありました。意識から「否定」されて無意識へ追放された主「影」は、意識と無意識の間のグレーゾーン、つまり無意識領域の表層、に住んでいる、ということです。まだ無意識の表層なので、ぎりぎり自分でも認知できる(か、できないかの)所に「影」が居る、という訳ですね。
Functions that are not part
of our primary function stack
are left in “the shadow”
and come in and out of consciousness
as a way of protecting the ego
when it’s not doing
a good enough job on its own.
グレーゾーンに住まう「影」の主は、全く使われていないのではなく、使ったり使われなかったりする、と。そしてそれが使われるのは、「自我」が力不足の時、火事場の馬鹿力的 (正の方向)に使われるのだ、ということですね。または、非常にストレスに晒されたりカッとなった時に、いつもの自分とは違う一面が表に現れる (負の方向)、と。しかし、この「影の人格」は、普段の自分は「否定」しているので、「自分はそんな人間じゃない! / なんでそんな風に言うの! / ひどい!」と、認めることが難しい。それは「自分には見えなくて、他人には見えている自分」と表現されます。「影の人格」は、正の面も持ち、負の面も持ち得るのです。
特記事項として、John Beebe氏のウィキや、海外解説記事には、①~④、➊~➍に、それぞれ"archetype"のコードネームが与えられています。
① Hero/Heroine
② Good Parent
③ Puer/Puella
④ Anima/Animus
➊ Opposing Personality
➋ Senex/Witch
➌ Trickster
➍ Daemon
以下の記事様もきっと参考になります。
しかし、「これらのコードネームを付けること」にどれだけの意味があるのかは、正直まだ私も分かりません。コードネームの表記や訳にはサイト毎に揺らぎがありますのでご注意を。
…ただ、一点。➍ Daemonとは「軽んじて使えば破滅をもたらす / 一見悪そうで実はためになる」というニュアンスが入っている、と。悪魔って、「こんなやつは地獄へ行くぞイ~ヒッヒッヒッ」とか言って、教訓的に内省を促す役割があるじゃないですか。お前実は良い奴だなw
INTP OKZK は
INTP-based ENTJ-like OKZK に
しんかした!
uncontrollableな「影」は、ほぼ破壊的な方向に向かいます。「影」を如何にしてcontrollableな状態へ持っていくか?その力をいかに正方向へと転用できるか?が、課題です。「影」の主々を、我々の「意識」の世界にお招きして、日の当たる所にお住まい頂こうではないか…!というのがまさにユングの「個性化」なのです。
MBTI 4心理機能モデルが、「自我」の④劣等機能を育てることについての可能性を示唆するものだとするならば、8心理機能モデルは、それを一気に「影」の機能までも光を当て、己の「負の感情コントロール / アンガーマネジメント / 未知の機能の解放 / 正のエネルギーへの転化」の可能性を示唆してくれるのです。喩えるならば…そう!
孫悟飯が界王神さまから
潜在能力を解放してもらった
アレです。フンフンフン
界王神さま
「わしゃあよ 超能力でよ どんなにすごい達人でもよ 隠された力をよ ど~~~んと ど~~~~~んと 限界以上に 引き出すことができるんだな~~~~ これが うへへへへ……きいたことあるか? こんな能力?」
えぇ、ちょっとふざけましたが、しかしそれに匹敵するポテンシャルを秘めている、ということを伝えたい訳です。例えば、INTPは①Tiで④Feですが、自我にしか意識が向かないと、限界突破をするために、Fe機能を意識します。ただそれでも限界が来た時には、➊Te ➋Niにだって頼ることができる訳です!そして➌Se ➍Fiにも、それぞれ分担させる役割がある!もし、自分が➊~➍を「否定」していることに気付かなければ、これらは「封印」されたまま、生涯を終えます。それが時たま、無意識の内に、己の「影」によって「悪用」されていることにも気付かずに…そしてほとんどの人は、自分で気付くことは極めて難しいのです。
かく言う私も、INTPとして、一人であれこれTiしている時間が一番ハッピーだった訳ですが、それでまぁ…人生行き詰まった訳です、えぇ。「あぁ~こりゃぁ~どうしょうもねぇなぁ~~~」という所から、希望の光を求めて情報発信するようになった、という経緯がある訳です。そんな窮地に立たされた私がいきなり何を言い出したかと思ったら、「既存の枠組みをぶっ壊そう!」というまさに➊Teの権化の様な事を言い出した訳ですね。まさに窮鼠猫を噛む、この世に反旗を翻そう!と。まさにENTJ-like な所業、この世は無常、そんな世の中ぶっ壊そう……ポイズン! と。
しかし、INTP-based ENTJ-like 行動は、純粋なENTJの行動とは、目的もアプローチも、まるで異なります。つまり、INTPがENTJに近づいていき、INTPとしての個性を失っていく…ということではないのです。INTPにENTJ的能力が付与される、あくまでベースはINTPであり、その目的達成へのアプローチにENTJ-like な奥行きが生まれる、ということなのです。そしてINTPの個性に、ENTJの個性が重なり、より個性的に進化する、それが「個性化」である、と。ピカチュウがライチュウに進化する様なもんですな。え?ピカチュウの方が良かった、って?可愛いだけじゃ何も変えられねぇんだよ!麻痺さすぞ!
…失礼。ちょっと気が動転しましたもので。今、私の「影」の一面が見えましたね (悪い意味で)。まぁ、茶番はおいといて。
皆さん、お気付きの通り、
自我/INTP : ①Ti ②Ne ③Si ④Fe
⇅
影/ENTJ : ➊Te ➋Ni ➌Se ➍Fi
自我と影の関係は「内向(i)と外向(e)の反転」が鍵になると、私は考えています。つまり、I型は、E性を高め、「アウトプット / 情報発信 / 意思表明」を意識することによって個性化が進み、E型は、I性を高め、「インプット / 情報収集 / 内省」を意識することによって個性化が進む、と。
…まぁそれはそうだろう。という気がしないでもないですが、それを「何となく」ではなく「明確に」意識化させる、意識的に無意識に目を向ける、ということです。「修行」だと思って、自分のタイプ像をガイドラインにしながら、自分が思い描く立体像に近づいていく「個性化」過程の変化を楽しむツールが、8心理機能モデルではないか、と思う訳です。しかし「影」はとても臆病。焦らずじっくり向き合うが、吉。
「影の人格」とは、私達が子供の頃に「自我 / 意識」を強く形成するために、「否定」しなければならなかったもう一人の自分です。上記「意識は一種の価値体系」であるとは、つまり、私達は普段の生活の中で、自分は価値があるという意識を保たないと生きていけない、ということです。内気な子供が「人前で恥をかきたくない」から、自我を守るため、人前で堂々と喋る友達を「出しゃばりな奴!」と「否定」せざるを得なかった。また、どんなに悪人でも「俺は悪くない!」と、自我を肯定するため、「社会」を「否定」しなければならなかった。
必ずしも相手が悪い訳ではないのに、そうしなければ自我が保てなかった。それは自分でも薄々気付いているのに「無意識下に抑圧」せざるを得なかったのです…ゴメンナサイ。でも、そんな薄暗い所に取り残された哀れな自分を、大人になったら迎えに行ってあげたいじゃないですか。生きたかったもう一人の自分をこれから少しは生きてあげてもいいじゃないか。
そんな風に、私は今まで抑圧してきた自分とタッグを組むことにしたのです。私は、もっと堂々と生きたかった。「真理」を追究するだけではなく、本当は「才気溢れるリーダー」になりたかった。問題を解いて「一人」ほくそ笑むのではなく、それを周りの「誰か」に褒めて欲しかった。「輪を外れて」安心を得るのではなく、「輪の中心で」生き生きと持論を語りたかった。そうするには、余りに勇気が足りなかった。私は余りに業が深過ぎたのです。いつも社会を変えたいと願っていた。それが私の生きる理由だった。でも、そんなことを人前で話す勇気と力が、無かった。私は会社を辞め、独立し、長い長い内省の期間に入りました。そしてユングと出会い、noteと出会い、一筋の光が見えた気がしました。それは私の中で、陰が極まり、そして転化する「兆し」に思えたのです。
「意識」によって吐き捨てられたゴミ箱の様な「無意識」にこそ、成長の鍵が眠っている、と。私はここに、なぜ8心理機能モデルはこの様に記述され得るのか?「影の人格」は、なぜその様に決定され得るのか?というヒントがあると考えました…という前振りをして、そろそろ締めたいと思います。ただ、ここまで議論が深まった所で勿体ない気もするので、最後に、意識と無意識の関係について、面白い記述を紹介して終わりたいと思います。もう少しだけお付き合いをどうぞ。え?いや絶対面白いってプン!
意思の強さはどこから生まれるのか?
一旦、赤ちゃんの話に限定すれば、強い自我赤ちゃんに育てるには、親が安定的に愛情を注ぐことが大事だということですね。ほったらかしにしたり、態度や方針をコロコロ変えたりしてはダメだ、と。子供の躾もそうですし、ペットの躾もそうですが、「安定した合図と反応」による習慣が無いと、子供もペットも無秩序で混沌とした生活は、極めてストレスだ。ペットに命令するのは可哀想!とか、子供をのびのびと!とか、大して何も考えずに放置するのは、教育ではなく放棄だ。子供は生き延びるための指針を求めている。指針を与えずに自由もクソもない、ただのカオス。
前節で書いたように、「自我 / 意識」を育てるには、「別に悪くもない何か」を「否定」しなければならない訳です。そら迷惑も掛けますよ。子供の「意思の強さ」とは、まさに文字通り「自我の塊」です。でも、自分の「価値体系 / 良し悪しの基準」ができない限り、自我は育たない。E的な子は、周りと衝突したり、迷惑かけたりするでしょう。I的な子は、一人で行動したり、言うこと聞かないでしょう。そうやって鍛えるんですよ、自我を。学校が周りと協調する場であったとしても、家の中でまでEをIに矯正したり、IをEに矯正したりすると、自分の「価値体系」が「否定」され続け、非常に「自我」が不安定になる。古い時代の左利きを右利きに矯正するとんでも教育と同じことやっている訳です。周りと協働する努力は必要ですが、家の中では「EはEのまま / IはIのまま」で「それで良い」と親が安心感を与えなければ、自分はそのままで「価値がある」と信じられなければ、子供は「自我」を作れない。鼻水出るくらい当然の話ですがね。
周囲と同質化して自我が育つ訳ありません。自我を育てながら、周りと競う、優劣を争う、歯を食いしばって踏ん張る、…そういった経験をやらずに学校を卒業して、いきなり社会にぶち込まれる子供の身になってみろ、と。そもそも勉強の意義とは「自我を鍛える」ことにある訳で、大の大人が理解せず「努力せんでもAIでよくね?」とか言っときながら、受験前になったら「勉強しろ!」、社会に出たら「ちゃんと働け!」は、「安定した合図と反応」による習慣を与えられていない時点で、親の無責任です。
「勉強は大事」
これ一択ですよ。小難しい説明なんて要らないんですよ。「知識が役に立つの?どうなの?」じゃないんですよ。知識のパッキングが目的じゃないんだから。
「自我を鍛える」
のに
「勉強は大事」
これ一択。姿勢作りの問題。赤ちゃんの頃から言うんですよ。ぶらさない。もし「勉強しなくていい」って言うんだったら、
「スポーツ頑張れ!」
「芸術頑張れ!」
って、別の分野で思い切り打ち込むものを作る。そしてぶらさない。でも、それにしたって百歩譲っても、
「勉強は大事」
でしょう。アスリートや芸術家はじゃあ勉強せんのか?得意 / 不得意の問題じゃありませんよ。不得意なら不得意なりに、どうやって得意にしていくか、という過程の問題です。GoogleとかAIにビビッて「勉強っているの?」とか親の自我がぶれてたら、子供の心はカオスですよ。そら勉強から目を背けたくなりますわ。一生AIに質問しながら生きるつもりですか。子供が安心して勉強に打ち込めるように、勉強するのは「良い!」勉強しないのは「悪い!」そうやって「価値体系」を親が安定させてあげないと、子供の自我は育ちません。「正しい / 正しくない」の問題じゃないんですよ、そもそも「自我ってエゴ」なんですから「正当性」など「無価値」。「勉強とは何か… / AIに代替できないものとは…」という難しい課題に立ち向かうのは、「自我」が強く育った後だ。むしろ、「自我」が不安定な時代だからこそ、「勉強すべき」なんですよ!大人が悩む様な課題を子供に丸投げすな!
注:「勉強しないこと」を「否定」するのであって、その子の「できないこと」を「否定」する / 「能力」を「否定」するのは愚行。その子が「何ができるようになったのか?」という過程にのみ注目する。そうすれば、一生かけて学び続ければ、どれだけでも可能性は広がる。18歳までの学びで人生の多くが決定されてしまう…こんなに馬鹿げた話が何で日本では罷り通っているんだ?何で頭がいいとされる奴らはこんな単純なことに気付かないんだ?何でその秘められた可能性に注目しない?本当に頭いいのか?パッキングマシーンじゃないのか?それこそAIで可、だ。
さて、以上は子供の話ですが、基本的には大人が「無意識」を「意識」化していく時にも参考になりそうな話です。私達は「自我 / 意識」が支配的であり、「無意識」をそのコントロール下に置いている、という先入観を持っていないでしょうか。実はそうではなく、「無意識からほんのちょっと頭が出てきた」くらいのものが「意識」であり、特にその中で強いアイデンティティー、This is me!という中心となる強い意識領域を「自我」と呼んでいる訳ですね。つまり、「無意識」が支配的であり、「自我 / 意識」は、無意識の内に「無意識」のコントロール下に置かれている…が、そのことにすら自分では気づけない…!と。あな恐ろしゃ。
一体いつから―――
自分の行動が
自分の「意識」で行ったものだと
錯覚していた?
深遠なるユング様、
奥が深いぜ。無意識だけに、な。
粋な野郎だぜッタク。
まとめ
さて、John Beebe氏のアイデアや海外記事の紹介をベースにして、最後の方は主観ゴリゴリの私の経験を織り交ぜながら、考察しました。そして、自我を鍛えるには?…「勉強せぃ!」、これ一択だ。スポーツや芸術を軸に打ち込むのも良い。ただ「学ぶ姿勢は絶対崩すな」!成長の過程に注目すれば、勉強は楽しめる。親も一緒に苦しんで楽しむんですよ。丸投げすな。
次回以降では、なぜ8心理機能モデルはそうなのか?について、更にdive deepな予定です。大丈夫?付いてきてますか?え?そうか!それはよかった!それじゃあ行きますよ!じゃん・けん・ぽん!ウフフフフフフ…