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ユング/MBTI考察: 4心理機能→8心理機能への拡張 (2) 「影の人格」

前記事 ↓

 MBTI 8心理機能モデル「自我エゴシャドウ」 に関しては、その様な解釈法があるという記事は散見しますが、ディープな考察を私は見つけることができていません。本記事では「影の人格」が、海外の記事で、どう解説されているか?をご紹介します。前記事の「否定」と「影」をご理解頂いていることを前提に、議論を進めますのでご注意を。この内容が入っていないと、本記事も恐らく理解が難しいかもしれません。その後また別記事で、8心理機能モデルでは、なぜそのような序列になるのか?という私なりの考察を展開予定です。
 MBTIは基本的に4心理機能モデル「自我エゴ」だけを記述しますが、その限界や問題点については、以前の記事:NeとNiの違い (1) そこから見えるMBTIの限界 にも書いたので、割愛します。興味がある方は、こちらもどうぞ。
 では、参ろう。

はじめに / 8心理機能モデル

 8心理機能モデル/影の機能は、アメリカのユング派心理分析学者 John Beebe氏によって提唱されました。ウィキにはこうあります。

Eight-function model8(心理)機能モデル
Beebe is particularly interested in the way ビーブは特に、その手法に興味を持っている
an understanding of typology can foster 類型論の理解が促す可能性があると
the development of the capacity 能力の発達を
to take responsibility責任を取るための
for our impact on others.他者への影響に対して

John Beebe→Wikipedia

つまり、8心理機能モデルによって類型論を深く理解することで、他者への貢献に対して責任感を持てるように、自身の心の「器」の大きさ (capacity許容量)を育てられるのではないか、と説いているのです。

 では、早速具体例を挙げながら、見ていきましょう。一般的にINTP論理学者の8心理機能モデルは、以下の様に記述されます。

自我エゴ/INTP論理学者 : ①Ti内向思考Ne外向直観Si内向感覚Fe外向感情

シャドウ/ENTJ指揮官 : ➊Te外向思考Ni内向直観Se外向感覚Fi内向感情

①~④を一次機能 (Primaryプライマリー Functionsファンクションズ)、➊~➍を影の機能 (Shadowシャドウ Functionsファンクションズ)と呼びます。…ちなみに主機能は Dominantドミナント Functionファンクション。「Primary = 主要な / 最初の / 原始的な / 基本の / 根本の」で「Dominant = 支配的な / 最も有力な / 優勢な」の意。

 ①~④と➊~➍は対応しており、内向 (i)と外向 (e)がそれぞれ反転した形をとります。そして、INTP論理学者の「影の人格」はENTJ指揮官で、逆もまたしかり、ENTJ指揮官の「影の人格」はINTP論理学者です。つまり、人には「二面性 / 表と裏」があり、①~④によって特徴付けられる個性「自我」と、それによって「否定」された個性「影」もまた、➊~➍のように特徴付けられる、というのです。
 自分のタイプの1文字目I⇆E4文字目J⇆Pを反転させたら、「影の人格」になります。例えば、ESFJ領事官の「影の人格」は、ISFP冒険家です。真ん中2文字は変わらない、と覚えましょう。
 これら自我エゴシャドウの心理機能を16タイプでまとめた表が以下です。ご自由に転載可。

8心理機能モデル (自我エゴシャドウ)

 他の記事では、影の機能を⑤~⑧ / 5番目~8番目 / 5th~8thとか記述してありますが、⑤は影の主機能なので、私は➊と表記します。残り⑥~⑧も同じく➋~➍とします。サイト毎の表記の揺らぎにご注意下さい。

 それを前提にして、海外の記事を参考にしていきましょう!


海外記事紹介 / 影の機能への導き

 このサイトは"mbti shadow functions"で検索してトップでヒットするサイトです。どういった風に紹介されているか、見てみましょう。他にもいくつかヒットしたサイトを覗いて見ましたが、どれも同じような雰囲気ですね。

(以下、スマホで文字が小さくて見にくい時は、画面を横に&拡大して見てもらうと読みやすいです)

If you really want to dive deep intoもしあなたが本当に深く潜りたいと思うならば
the more complex and rarely discussedより複雑でほとんど議論されない
aspects of personality type,パーソナリティータイプの側面に
then delving into the shadow functionsそうであれば、影の機能を探求することは
can be a lot of great fun (and very helpful)!大変楽しい(そして大変役立つ)可能性がある
When you first took あなたが初めて受けた時
the Myers-Briggs® Type Indicatorマイヤーズ・ブリッグスタイプ指標(MBTI)を
(or a similar online test)(または類似のオンラインテストを)
you were probably startled byあなたはおそらく驚かされたでしょう
how accurate your type description wasあなたのタイプ描写がどんなに的確であったかということに
(if you were typed correctly!).(もしあなたが正確にタイプ診断されていたならば!)
You might have learnedあなたは学んだかもしれない
about the dichotomies二項対立について
(like introversion and extroversion).(内向と外向の様な)
You might have gone even furtherあなたはもっと更に進んだかもしれない
to study the cognitive functions認知機能を学ぶために
(Fi, Fe, Ti, Te, Si, Se, Ni, Ne).(Fi, Fe, Ti, Te, Si, Se, Ni, Neなどの)
For most people,ほとんどの人にとって
the study of personality typeパーソナリティータイプの勉強は
ends at the cognitive functions,それらの認知機能で終わる
particularly the primary function stack.特に一次機能スタック(自我4つの心理機能群)だけで
What else can you learn, after all?他に何か学べるのだろうか、結局のところ?
The truth is, there’s quite a bit moreその答えは、もっとかなり沢山ある、だ
about personality typeパーソナリティータイプについて
that can greatly impact your life andそれはあなたの人生にかなりの影響を与え得る、そして
improve your relationships with people.他者との関係を改善し得るだろう

An Introduction to the Shadow Functions影の機能への導き
Psychology Junkie心理学中毒

 要約すると、16タイプ診断をやって皆びっくり感動した後、8つの心理機能をそれぞれ勉強して、自我の一次機能スタック①~④まで勉強する人はいると思うけど、そこから更に影の機能スタック➊~➍まで勉強する人は少ないよね、と。ただそこ➊~➍から学べることはまだかなり残されてるよ、という内容です。

 続きを見てみましょう。

According to Jung, ユングによれば、
the “shadow” lies at the edge「影」は境目に存在する
of our conscious and unconscious psyche.私達の意識と無意識の心の
It is the dark, unlived,それは暗く、空虚で、
and repressed side of the self.そして抑圧された自身の側面である
It containsそれは含んでいる
repressed memories, 抑圧された記憶や、
primitive, negative, or socially depreciated原始的で、否定的で、社会で価値のないとされた
human emotions and impulses.人間の感情や衝動を
Usually通常、
what we deem as unrelatable or “uncouth”私達が無関係で「不格好」だとみなすものは
becomes part of the shadow.影の一部になる
It lies in opposition to our ego.それは私達の自我に対して反対側に位置している
Our ego is what we imagine ourselves to be,私達の自我というのは、私達がこれが自分だと思っているものであり
it’s our conceived “identity”.それが私達の心に描かれる「アイデンティティー」である
According to typologists,類型論の学者によると、
our dominant and auxiliary functions lie私達の主機能と補助機能は位置する
at the core of our ego私達の自我の中心に
and gradually as we developそして徐々に、私達が発達させるに従って
our tertiary and inferior functions,第三機能と劣等機能を
they too become part of the ego.それら(第三/劣等)も自我の一部になっていく
Functions that are not part 一部になっていない機能…
of our primary function stack私達の一次機能スタック(①~④)の…は、
are left in “the shadow”「影」の中に取り残される
and come in and out of consciousnessそして意識の領域から出たり入ったりしている
as a way of protecting the ego自我を守る方法として
when it’s not doingそれ(自我)がしていない時に
a good enough job on its own.それ(自我)自体で十分に良好な働きを

An Introduction to the Shadow Functions影の機能への導き
Psychology Junkie心理学中毒

 私の前記事を十分に理解して頂ければ、この内容も比較的すんなり入って来ると思います。心は主体 (ぬし)であり、意識にも無意識にも八百万の心の主々ぬしぬしがいる。そして、主々ぬしぬし自律性を持っている勝手に暴れ回る、でしたね。騒ぐ心は止められねぇですよね。そして「影」とは、自我によって「否定」され、無意識領域へと追放された可哀想な、心のぬしであった、と。このことを踏まえれば、「影」がnegative否定的なイメージを持つのは、当然と言えます。ですので、ほとんどの人は、「影」を恐れ、目を背けたがるのです。
 例えば、「お金が欲しい!」という心のぬしが自我で元気に動く白くなるということは、「自由が欲しい…」という心のぬし意識から追放黒く塗りつぶし、過酷な労働に耐えなければなりません。そうすると「自由」が「黒い影」になるので、本当に「自由」に生きている他人を見て、「怠け者だ! / 馬鹿なやつ! / 何も考えてない!」と、まるで悪い奴に見えてくる (負の投影)。ところが、身を粉にして働き続け、「お金」のぬしが自我で擦り減ってくると、「お金なんていらない!」と、労働を拒絶する黒く反転する。それと同時に、無意識領域の「自由」も一気に憧れに変わり白く反転し、「白い影」となる。そうすると、ついこの前まで馬鹿にしていた奴が途端に羨ましくなってくる (正の投影)。これが所謂いわゆる「陰陽転化」、極まれば転ずる、と。この転化 (反転)があまりに頻発すると、自我を保つことができなくなり、崩壊する。心のバランスを保つには、自分の中の「否定」された心のぬしの声を、「影」の声を、聞く必要がある、ということですね。

the “shadow” lies at the edge「影」は境目に存在する
of our conscious and unconscious psyche.私達の意識と無意識の心の
とありました。意識から「否定」されて無意識へ追放されたぬし「影」は、意識と無意識の間のグレーゾーン、つまり無意識領域の表層、に住んでいる、ということです。まだ無意識の表層なので、ぎりぎり自分でも認知できる(か、できないかの)所に「影」が居る、という訳ですね。

Functions that are not part 一部になっていない機能…
of our primary function stack私達の一次機能スタック(①~④)の…は、
are left in “the shadow”「影」の中に取り残される
and come in and out of consciousnessそして意識から出たり入ったりしている
as a way of protecting the ego自我を守る方法として
when it’s not doingそれ(自我)がしていない時に
a good enough job on its own.それ(自我)自体で十分に良好な働きを
グレーゾーンに住まう「影」のぬしは、全く使われていないのではなく、使ったり使われなかったりする、と。そしてそれが使われるのは、「自我」が力不足の時、火事場の馬鹿力的 (正の方向)に使われるのだ、ということですね。または、非常にストレスに晒されたりカッとなった時に、いつもの自分とは違う一面が表に現れる (負の方向)、と。しかし、この「影の人格」は、普段の自分は「否定」しているので、「自分はそんな人間じゃない! / なんでそんな風に言うの! / ひどい!」と、認めることが難しい。それは「自分には見えなくて、他人には見えている自分」と表現されます。「影の人格」は、正の面も持ち、負の面も持ち得るのです。

It’s important to remember that次の事を覚えておくことが重要です
the ego, while important,自我は重要である一方で、
isn’t always “truthful”.いつも「真実」であるとは限らない、と
We may discard uncomfortable truths私達は不快な真実を打ち捨てるだろう
if they don’t line upもしそれらがラインナップしない時には
with our idealized “image” of ourselves.私達自身の理想「像」に対して
As a result, our ego tends to be結果として、自我はなりがちである
a combination of carefully selected qualities,注意深く選定された美しい品々の塊に
and unfavorable qualitiesそして好ましくない品々…
that could make us feel bad about ourselves自身について自身を不快にさせ得る様な…は、
are often discarded into the unconscious.しばしば無意識の中へと打ち捨てられるのです

The shadow can also “step in”影はまた「介入する」可能性がある
when we become ego-inflated私達が自我を肯定し過ぎた状態になる時に
and need to have a “reality check”そして「現実を見る」必要がある時に
of our weaknesses.私達の弱さに関して

“When the tools available to our ego「私達の自我が利用できる機能が
are not sufficient to defend us自分を守るのに十分ではない時…
from assaults upon our personal integrity,外敵から、自分個人の尊厳に関して…
the shadow usually steps in, unconsciously,影はいつも介入してくる、無意識に
with its alternative ways of operating,その(自我の)代わりになるやり方を引っ提げて
unfettered by moral constraints.”道徳的な制約にも捉われることなく」
Mark Hunzikerマーク・フンツィカー, Depth Typology深層心理類型学

John Beebe,ジョン・ビーブは…
the typologist who came up with思いついた類型学者だが
the 8-function personality model,8心理機能モデルを…
states that次の様に言っている
the shadow functions影の機能は
“fight dirty to defend the personality.”「個人を守るために汚い闘いをするのだ」と

“The shadow is the part of us「影は私達の一部である(のだが)
that others see, but we don’t.”他者には見えているが、自分では見えていない」
– John Beebe

Are the Shadow Functions Good or Bad?影の機能は良いのか悪いのか?
Both!両方だ!
Shadow functions can be影の機能はなり得るのだ
highly destructive or極めて破壊的にも、
a catalyst for growth and self-actualization.成長と自己実現の触媒にも

"The unconscious is「無意識とは、
unfavorable or dangerous疎ましかったり、危険だったりする
only becauseただ唯一、次の理由だけで
we are not at one with it私達(意識)はそれ(無意識)とは一つではなく
and therefore in opposition to it."それ故、それ(無意識)と私達(意識)は反対に属している」
 (…という、たったそれだけの理由だ。
 本来は忌み嫌うようなものではないはずだろう?
 ただ偶然、立ち位置が違うだけなんだから。)
–Carl Jung

An Introduction to the Shadow Functions影の機能への導き
Psychology Junkie心理学中毒

 特記事項として、John Beebe氏のウィキや、海外解説記事には、①~④、➊~➍に、それぞれ"archetype元型"のコードネームが与えられています。 
Hero/Heroineヒーロー/ヒロイン
Good Parent良い親
Puer/Puella少年/少女
Anima/Animus女性性/男性性
Opposing Personality反対の人格
Senex/Witch老賢者/魔女
Trickster欺く者
Daemon悪魔/守護神

 以下の記事様もきっと参考になります。

しかし、「これらのコードネームを付けること」にどれだけの意味があるのかは、正直まだ私も分かりません。コードネームの表記や訳にはサイト毎に揺らぎがありますのでご注意を。
 …ただ、一点。➍ Daemon悪魔/守護神とは「軽んじて使えば破滅をもたらす / 一見悪そうで実はためになる」というニュアンスが入っている、と。悪魔って、「こんなやつは地獄へ行くぞイ~ヒッヒッヒッ」とか言って、教訓的に内省を促す役割があるじゃないですか。お前実は良い奴だなw


INTP OKZK はテレテ
INTP-based ENTJ-like OKZK にテ~~~テ~~~テッ
しんかした!テッテレ~~~

 uncontrollable制御不能な「影」は、ほぼ破壊的な方向に向かいます。「影」を如何にしてcontrollable制御可能な状態へ持っていくか?その力をいかに正方向へと転用できるか?が、課題です。「影」の主々ぬしぬしを、我々の「意識」の世界にお招きして、日の当たる所にお住まい頂こうではないか…!というのがまさにユングの「個性化」なのです。
 MBTI 4心理機能モデルが、「自我」の④劣等機能を育てることについての可能性を示唆するものだとするならば、8心理機能モデルは、それを一気に「影」の機能までも光を当て、己の「負の感情コントロール / アンガー怒りマネジメント / 未知の機能の解放 / 正のエネルギーへの転化」の可能性を示唆してくれるのです。喩えるならば…そう!

孫悟飯が界王神さまから
潜在能力を解放してもらった
アレ
です。フンフンフン

界王神さま
「わしゃあよ 超能力でよ どんなにすごい達人でもよ 隠された力をよ ど~~~んと ど~~~~~んと 限界以上に 引き出すことができるんだな~~~~ これが うへへへへ……きいたことあるか? こんな能力?」

 孫悟空「な…なんだよ……わりとよくきく能力じゃねぇか…」

 えぇ、ちょっとふざけましたが、しかしそれに匹敵するポテンシャルを秘めている、ということを伝えたい訳です。例えば、INTP論理学者は①Ti内向思考で④Fe外向感情ですが、自我にしか意識が向かないと、限界突破をするために、Fe外向感情機能を意識します。ただそれでも限界が来た時には、➊Te外向思考Ni内向直観にだって頼ることができる訳です!そして➌Se外向感覚Fi内向感情にも、それぞれ分担させる役割がある!もし、自分が➊~➍を「否定」していることに気付かなければ、これらは「封印」されたまま、生涯を終えます。それが時たま、無意識の内に、己の「影」によって「悪用」されていることにも気付かずに…そしてほとんどの人は、自分で気付くことは極めて難しいのです。

 かく言う私も、INTP論理学者として、一人であれこれTi内向思考している時間が一番ハッピーだった訳ですが、それでまぁ…人生行き詰まった訳です、えぇ。「あぁ~こりゃぁ~どうしょうもねぇなぁ~~~」という所から、希望の光を求めて情報発信するようになった、という経緯がある訳です。そんな窮地に立たされた私がいきなり何を言い出したかと思ったら、「既存の枠組みをぶっ壊そう!」というまさに➊Te外向思考の権化の様な事を言い出した訳ですね。まさに窮鼠猫を噛む、この世に反旗を翻そう!と。まさにENTJ指揮官-like な所業、この世は無常、そんな世の中ぶっ壊そう……ポイズン! と。
 しかし、INTP-based ENTJ-likeINTPベースのENTJの様な 行動は、純粋なENTJ指揮官の行動とは、目的もアプローチも、まるで異なります。つまり、INTP論理学者ENTJ指揮官に近づいていき、INTP論理学者としての個性を失っていく…ということではないのです。INTP論理学者ENTJ指揮官的能力が付与される、あくまでベースはINTP論理学者であり、その目的達成へのアプローチにENTJ指揮官-like な奥行きが生まれる、ということなのです。そしてINTP論理学者の個性に、ENTJ指揮官の個性が重なり、より個性的に進化する、それが「個性化」である、と。ピカチュウがライチュウに進化する様なもんですな。え?ピカチュウの方が良かった、って?可愛いだけじゃ何も変えられねぇんだよ!麻痺さすぞ!

…失礼。ちょっと気が動転しましたもので。今、私の「影」の一面が見えましたね (悪い意味で)。まぁ、茶番はおいといて。

 皆さん、お気付きの通り、

自我エゴ/INTP論理学者 : ①Ti内向思考Ne外向直観Si内向感覚Fe外向感情

シャドウ/ENTJ指揮官 : ➊Te外向思考Ni内向直観Se外向感覚Fi内向感情

自我と影の関係は「内向(i)と外向(e)の反転」が鍵になると、私は考えています。つまり、内向型は、外向性を高め、「アウトプット / 情報発信 / 意思表明」を意識することによって個性化が進み、外向型は、内向性を高め、「インプット / 情報収集 / 内省」を意識することによって個性化が進む、と。
 …まぁそれはそうだろう。という気がしないでもないですが、それを「何となく」ではなく「明確に」意識化させる、意識的に無意識に目を向ける、ということです。「修行」だと思って、自分のタイプ像をガイドラインにしながら、自分が思い描く立体像に近づいていく「個性化」過程の変化を楽しむツールが、8心理機能モデルではないか、と思う訳です。しかし「影」はとても臆病。焦らずじっくり向き合うが、吉。

多くの元型のうちで、そのひとの個人的な心的内容と関連性が深く、したがって理解しやすいものが、影である。影の内容は、簡単にいって、その個人の意識によって生きられなかった半面*¹、その個人が認容しがたいとしている心的内容であり、それは文字どおり、そのひとの暗い影の部分をなしている。われわれの意識は一種の価値体系をもっており、その体系と相容れぬものは無意識下に抑圧しようとする傾向がある。…(中略)…しかし、このような影があってこそ、われわれ人間に、生きた人間としての味が生じるのであって、ユングも「生きた形態は、塑像そぞう*²として見えるためには深い影を必要とする。影がなくては、それは平板な幻影にすぎない」と述べている。影のないひとは、いかに輝いて見えても、われわれはその人間味のなさにたじろぐことだろう。(p.86-87)

*¹半面=もう片方の一面 / 裏の人格
*²塑像=立体的な像 (ここでは、絵を立体的に見せるには陰影を付けなければならない、の意)

ユング心理学入門: (心理療法)コレクション I (河合隼雄)→amazon
(注釈*と太字はOKZK)

 「影の人格」とは、私達が子供の頃に「自我 / 意識」を強く形成するために、「否定」しなければならなかったもう一人の自分です。上記「意識は一種の価値体系」であるとは、つまり、私達は普段の生活の中で、自分は価値がある悪くない!という意識を保たないと生きていけない、ということです。内気な子供が「人前で恥をかきたくない」から、自我を守るため、人前で堂々と喋る友達を「出しゃばりな奴!」と「否定」せざるを得なかった。また、どんなに悪人でも「俺は悪くない!」と、自我を肯定するため、「社会」を「否定」しなければならなかった
 必ずしも相手が悪い訳ではないのに、そうしなければ自我が保てなかった。それは自分でも薄々気付いているのに「無意識下に抑圧」せざるを得なかったのです…ゴメンナサイ。でも、そんな薄暗い所に取り残された哀れな自分を、大人になったら迎えに行ってあげたいじゃないですか。生きたかったもう一人の自分をこれから少しは生きてあげてもいいじゃないか。
 そんな風に、私は今まで抑圧してきた自分とタッグを組むことにしたのです。私は、もっと堂々と生きたかった。「真理」を追究するだけではなく、本当は「才気溢れるリーダー」になりたかった。問題を解いて「一人」ほくそ笑むのではなく、それを周りの「誰か」に褒めて欲しかった。「輪を外れて」安心を得るのではなく、「輪の中心で」生き生きと持論を語りたかった。そうするには、余りに勇気が足りなかった。私は余りにが深過ぎたのです。いつも社会を変えたいと願っていた。それが私の生きる理由だった。でも、そんなことを人前で話す勇気と力が、無かった。私は会社を辞め、独立し、長い長い内省の期間に入りました。そしてユングと出会い、noteと出会い、一筋の光が見えた気がしました。それは私の中で、陰が極まり、そして転化する「兆し」に思えたのです。

 「意識」によって吐き捨てられたゴミ箱の様な「無意識」にこそ、成長の鍵が眠っている、と。私はここに、なぜ8心理機能モデルはこの様に記述され得るのか?「影の人格」は、なぜその様に決定され得るのか?というヒントがあると考えました…という前振りをして、そろそろ締めたいと思います。ただ、ここまで議論が深まった所で勿体ない気もするので、最後に、意識と無意識の関係について、面白い記述を紹介して終わりたいと思います。もう少しだけお付き合いをどうぞ。え?いや絶対面白いってプン!


意思の強さはどこから生まれるのか?

「無意識はどこから生まれるんですか」と質問されることがよくあるが、そういう質問をする人は、意識が衰えたりなくなったりすると、その結果として無意識が生まれると思っているようだ。正しくは、「無意識から意識が生まれる」のである。意識から無意識になるのではなく、無意識のほうが元なのである。…(中略)…
海というのは無意識を表わすことが多い。その海の中から島が現われ、浮いたり沈んだりしている状況を思い浮かべてみてほしい。島自体が浮いたり沈んだりするわけではなく、ちょっと大潮になると隠れて、引き潮になると出たりして、まるで島が浮き沈みしているように見えるわけである。意識が生まれたときを、そんな感じにたとえているのである。
赤ちゃんの意識というのは、「お腹がすいたなー」とか、「おしりのあたりが気持ち悪いな」というときに、ぱっと出てくるが、満足するとスヤスヤと眠りについてしまい、また意識がなくなる。このように意識が出たり引っ込んだりするのを、浮き沈みする島にたとえているわけである。
(第一話 自我と影-否定しあう心と心/意識は無意識から生まれる)

そのうち、意識の中で中心になるもの、つまり基準になるものが出てくる。その基準というのは、親との関係が決定的なのである。…(中略)…赤ちゃんがこういう合図をすると、親はこういう反応をする、ということが習慣になると、それが生活習慣になる。…(中略)…「安定した合図と反応」という習慣をもつことができると、その赤ちゃんの心が安定してくる。その安定した状態を基にして、自我の萌芽ほうが的なものも作られていく。しかし、親の反応が一定していないと赤ちゃんの反応も安定しないため、なかなか自我の方向に行きにくくなってしまう
(第一話 自我と影-否定しあう心と心/赤ちゃんの心が安定するまで)

心のしくみを探る―ユング心理学入門Ⅱ (林道義)→amazon

 一旦、赤ちゃんの話に限定すれば、強い自我赤ちゃんに育てるには、親が安定的に愛情を注ぐことが大事だということですね。ほったらかしにしたり、態度や方針をコロコロ変えたりしてはダメだ、と。子供のしつけもそうですし、ペットの躾もそう(ペットは家族)ですが、「安定した合図と反応」による習慣ルールが無いと、子供もペットも無秩序で混沌とした生活は、極めてストレスだ。ペットに命令するのは可哀想!とか、子供をのびのびと!とか、大して何も考えずに放置するのは、教育ではなく放棄だ。子供は生き延びるための指針を求めている。指針を与えずに自由もクソもない、ただのカオス
 前節で書いたように、「自我 / 意識」を育てるには、「別に悪くもない何か」「否定」しなければならない訳です。そら迷惑も掛けますよ。子供の「意思の強さ」とは、まさに文字通り「自我エゴの塊」です。でも、自分の「価値体系 / 良し悪しの基準」ができない限り、自我は育たない。外向的な子は、周りと衝突したり、迷惑かけたりするでしょう。内向的な子は、一人で行動したり、言うこと聞かないでしょう。そうやって鍛えるんですよ、自我意志の強さ。学校が周りと協調する場であったとしても、家の中でまで外向内向に矯正したり、内向外向に矯正したりすると、自分の「価値体系」が「否定」され続け、非常に「自我」が不安定になる。古い時代の左利きを右利きに矯正するとんでも教育と同じことやっている訳です。周りと協働する努力は必要ですが、家の中では外向外向のまま / 内向内向のまま」で「それで良い」と親が安心感を与えなければ、自分はそのままで「価値がある」と信じられなければ、子供は「自我意志の強さ」を作れない。鼻水出るくらい当然の話ですがね。

 周囲と同質化して自我が育つ訳ありません。自我を育てながら、周りと競う、優劣を争う、歯を食いしばって踏ん張る、…そういった経験をやらずに学校を卒業して、いきなり社会にぶち込まれる子供の身になってみろ、と。そもそも勉強の意義とは「自我意志の強さを鍛える」ことにある訳で、大の大人が理解せず「努力せんでもAIでよくね?」とか言っときながら、受験前になったら「勉強しろ!」、社会に出たら「ちゃんと働け!」は、「安定した合図と反応」による習慣ルールを与えられていない時点で、親の無責任です。

「勉強は大事」

これ一択ですよ。小難しい説明なんて要らないんですよ。「知識が役に立つの?どうなの?」じゃないんですよ。知識のパッキングが目的じゃないんだから。

自我意志の強さを鍛える」
のに
「勉強は大事」

これ一択。姿勢作りの問題。赤ちゃんの頃から言うんですよ。ぶらさない。もし「勉強しなくていい」って言うんだったら、

「スポーツ頑張れ!」
「芸術頑張れ!」

って、別の分野で思い切り打ち込むものを作る。そしてぶらさない。でも、それにしたって百歩譲っても、

「勉強は大事」

でしょう。アスリートや芸術家はじゃあ勉強せんのか?得意 / 不得意の問題じゃありませんよ。不得意なら不得意なりに、どうやって得意にしていくか、という過程プロセスの問題です。GoogleとかAIにビビッて「勉強っているの?」とか親の自我がぶれてたら、子供の心はカオスですよ。そら勉強から目を背けたくなりますわ。一生AIに質問しながら生きるつもりですか。子供が安心して勉強に打ち込めるように、勉強するのは「良い!」勉強しないのは「悪い!否定!」そうやって「価値体系」を親が安定させてあげないと、子供の自我は育ちません。「正しい / 正しくない」の問題じゃないんですよ、そもそも「自我ってエゴ」なんですから「正当性」など「無価値」。「勉強とは何か… / AIに代替できないものとは…」という難しい課題に立ち向かうのは、「自我」が強く育った後だ。むしろ、「自我」が不安定な時代だからこそ、「勉強すべき」なんですよ!大人が悩む様な課題を子供に丸投げすな!

注:「勉強しないこと」を「否定」するのであって、その子の「できないこと」を「否定」する / 「能力」を「否定」するのは愚行アホ。その子が「何ができるようになったのか?」という過程プロセスにのみ注目する。そうすれば、一生かけて学び続ければ、どれだけでも可能性は広がる。18歳までの学びで人生の多くが決定されてしまう…こんなに馬鹿げた話が何で日本では罷り通っているんだ?何で頭がいいとされる奴らはこんな単純なことに気付かないんだ?何でその秘められた可能性ポテンシャルに注目しない?本当に頭いいのか?パッキングマシーンじゃないのか?それこそAIで可、だ。

 さて、以上は子供の話ですが、基本的には大人が「無意識」を「意識」化していく時にも参考になりそうな話です。私達は「自我 / 意識」が支配的であり、「無意識」をそのコントロール下に置いている、という先入観を持っていないでしょうか。実はそうではなく、「無意識からほんのちょっと頭が出てきた」くらいのものが「意識」であり、特にその中で強いアイデンティティー、This is me!これが私だ!という中心となる強い意識領域を「自我」と呼んでいる訳ですね。つまり、「無意識」が支配的であり、「自我 / 意識」は、無意識の内に「無意識」のコントロール下に置かれている…が、そのことにすら自分では気づけない…!と。あな恐ろしゃ。

一体いつから―――
自分の行動が・・・・・・
自分の「意識」で行ったものだと・・・ ・・ ・・・・・・・・
錯覚していた・・・・・・

 ……………なん……だ…と………?

深遠なるユング様、
奥が深いぜ。無意識だけに、な。
粋な野郎だぜッタク。

まとめ

 さて、John Beebe氏のアイデアや海外記事の紹介をベースにして、最後の方は主観ゴリゴリの私の経験を織り交ぜながら、考察しました。そして、自我を鍛えるには?…「勉強せぃ!」、これ一択だ。スポーツや芸術を軸に打ち込むのも良い。ただ「学ぶ姿勢は絶対崩すな」!成長の過程プロセスに注目すれば、勉強は楽しめる。親も一緒に苦しんで楽しむんですよ。丸投げすな。
 次回以降では、なぜ8心理機能モデルはそうなのか?について、更にdive deepな予定です。大丈夫?付いてきてますか?え?そうか!それはよかった!それじゃあ行きますよ!じゃん・けん・ぽん!ウフフフフフフ…


Title解説


それではまた!