お笑い初期衝動
139.ハードルを越えて
事務所ライブには、毎回15~20組の芸人が出演していた。
その中の大半は何度も続けて出ている常連メンバー。
この常連出演者を引きずり下ろし、その席を自分が奪うことで、事務所ライブに出演できる。事実上、そういった状況だった。
しかし。席を奪うといっても、これがそう簡単にはいかないものだったりする。
なぜなら、常連芸人達はウケが悪いことがあっても、即座にライブから外されはしないからだ。
やはり、今までそれなりにウケてきた実績も考慮される。何より、続けて出演させてきた担当社員の情も少なからずある。
では、この牙城を崩すには、一体どうしたらいいものか。
自力でライブ出演の座を手に入れようと思えば、シンプルにこれしかなかった。
養成所でのネタ見せで、想定外といったインパクトのあるウケ方をして、担当社員にとびきり大きな期待感を抱かせる。
ネタ見せで"普通にウケた"では、ライブ常連組を引きずり下ろすには至らない。
せいぜい、「次のネタ見せも頑張って」と言われるのが関の山だ。
もう一段階、更に上のハードルを越えたときに初めて、ライブ出演への光が見えてくる。
当時、松竹芸能の事務所ライブに出演するには、それぐらいの難関だった。
養成所に1年ちかく通って、そういった現実を肌で感じていた僕。
だからこそ、半年ぶりに事務所ライブのチケットを渡されたときは、それはもう感慨深いものがあった。
半年間迷走を続け、「あいつはもう終わった」と、正直ほとんどの者が思っていただろう。
ジル(=田中三球とのコンビ)でそれなりに順調にやっていたときですら、「面白いのは田中三球のおかげで、奥山の方はたいしたことない」という見方をする者もいたぐらいだ。
もはや周囲の芸人に相当ナメられていたに違いない。
でも今度はどうだ。
原案・台本・演出、全て奥山ツンヂ1人で導いた結果だ。
「やってやった。見たか、ざまーみろ!」
勿論口には出さないが、そんな思いが身体中をかけめぐった。
ライブに出れるなんてことは、オマケのようなもの。
そんなことよりも、地べたをはいつくばって、幾多の屈辱に耐えながら、もう一度高いハードルを越えることができた。
僕にとっては、そのリベンジ感が何よりたまらなかった。
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