お笑い初期衝動
120.時代の変わり目に
「とりあえずネタ合わせしてみませんか?」と、僕は漫才台本を書いて、代走みつくにさんの家に行った。
当時、僕が今後やりたいと描いていたのは、こんなネタ。
『ネタふりなどの全体の形としてはオーソドックスなもので、ボケだけを斬新なものに』という漫才だった。
当時の関西の若手芸人というのは、斬新なことをやろうとし過ぎて、"斬新だけど粗い"という人がすごく多かった。
かつての僕のコンビ=ジルも、そのうちの一組であっただろう。
おそらく当時は、ダウンタウンの影響をもろに受けてる人が多かったんだと思う。
ダウンタウンの存在があまりにも鮮烈で、芸人は皆で斬新さばかりを競っていた。
そして、お笑いライブの客席側もまた、"第二のダウンタウン"の出現を待ち望んでいる。そんな空気感が充満していた。
その結果。
それまで伝統とされてきたオーソドックスなお笑いの形を崩すことを、いつしか"斬新"と定義する若手が増えた。
崩してなんぼ。オーソドックスなど、昔の人がやるものだと。
そうして大量生産される、崩し過ぎて笑いどころがわかりにくくなってる芸人。。
しかし一方で、この流れもそろそろ変わり目を迎えるのではないか。
そんなふうにも僕は予想していた。
これからは、なんでもかんでも崩すのではなく。伝統のオーソドックスな形を踏襲した上で、要所要所で斬新さをみせる。
この方が実はネタとして見やすい、と芸人も世間も気がつく時代になるだろう。
僕なりに、そんなふうに時代の風を読んでいた。
ここでもう一度言おう。
僕が当時やりたいと考えてたのは、、
『ネタふりなどの全体の形としてはオーソドックスなもので、ボケだけを斬新なものに』という漫才だった。
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