3億り人になってみて。【自己紹介】
こんにちは、億人です。
え?誰ですか?となると思うので、
自己紹介をさせていただきます。
僕は今、会社を経営しており、また株式投資をしています。
インターネットを活用したビジネスの会社です。
事業は25歳から始めて10年ほどになります。
事業でも利益を上げてきましたし、
投資でも大きな収益を上げてきました。
どちらか片方に精通している方は多いですが、
事業もしながら投資でもうまくいっているというのが僕の特徴です。
そして事業で出た収益を投資で増やすということができるため
事業で出た利益がどんどん増える状態になります。
これが最強かつ無敵の状態なので「ストックビジネス×投資で資産形成」を目指すための情報を提供しています。
軽く僕の自己紹介をしましょう。
箇条書きになり怪しく見えてしまいますが、全部事実です。
などなど。これが僕の当たり前の世界です。
正直、セミリタイアしてもFIREしてもつまんないです。笑
20代でまとまったお金ができてしまったので、調子に乗ったこともあります。
たくさんハメも外したし、人も傷付けてきました。
一回「人生アガリ。よっしゃー」とか思っちゃいましたが、すいません、それは全然嘘です。
ビジネスしながら、毎日自分を高め続けることの方がよっぽど楽しい。
それに世の中、上には上がいます。
自分なんか大したことない、「井の中の蛙大海を知らず」状態でした。
だから今は毎日働くのが楽しいですし、自分よりもさらにすごい人と会ったり、知らなかったことを知ることが楽しいです。
こんな感じで書いていますが、
僕ももともとはただの労働者でしたし、センスのかけらもない男でした。
25歳で初めて自分でお金を稼ぐまではコンプレックスの塊でした。
自信もなければ自分のだけの特徴なんか何もなかったんです。
日本は一億総中流社会とか言われていますけど、
「普通すぎる」ってすごく辛いと思うんですよね。
学校でも目立たない。
スポーツはできない。(身長高いのですが、学校の運動はできなかったのでつらかったです)
勉強も自分よりできる人が山ほどいる。
友達付き合いがうまくわけでもない。なぜか親友は全員転校する。
大学も普通。アルバイトも居酒屋で普通。
唯一人と違ったのが、10歳の頃から両親のしていたラーメン屋でアルバイトをしていたことくらいでした。
人より早く社会に触れることができたので、危機感を早めに感じることができました。
ありがたいことに繁盛店になったラーメン屋で働くなかで、感じたこと。
それは労働者としてお金は増えたとしても、時間がなくなっていくということ。
父母は家族のために馬車馬のように働きました。
休みなく、朝8時から準備をして、10時に開店し、夜11時まで働くという日々。
その間常に超満員でした。
だから儲かっているが、ストレスも大きい。
家族との時間が減るからです。
結果として、父母はケンカが多かったです。
それが子供ながらにとても悲しかった。
土日だけですが僕も手伝いをしている中で
「なんでこんなに忙しくてお金も儲かっているのに、ケンカばかりなの?
幸せになるために仕事してるんじゃないの?」
という純粋な疑問が出てきました。
今考えればこれが僕がインターネットビジネスや投資に出会う最大の動機になったと、確信しています。
有名な本で「金持ち父さん貧乏父さん」というシリーズがあります。
この中で、世の中には4つの職業があると説明されています。その4つは
です。
この中でEとSは時間とお金の自由が両立しません。
BとIがお金と時間の自由が両立します。
お金がお金を産んだり、仕組みがお金を産んでくれます。
だからこっちを目指したいわけですが問題があります。
それは「リスクがとても大きい」ということです。
いきなり会社を作って、借入をして、
従業員を雇ってビジネスをして、、、うまくいけばいいですがそうじゃない会社もたくさんあります。
人生を博打できる人はいいですが、家族がいたり、心配してくれる仲間がいて
いきなり人生で大きく勝負できない人も多いのではないでしょうか。
だからこそ、僕は第五の生き方を提唱します。
それはインターネットを使ったストックビジネスオーナーという生き方です。
インターネットビジネスはすごく面白くて、やり方次第でSにもBにもなります。
つまり働いた分だけお金が入ってくる労働収入にもなるし、
仕組み化していけばストックビジネスがお金と時間を作ってくれる状態になります。
※インターネットを使っても、ストックビジネス化を考えずにただ思考停止でコンテンツを上げているだけではお金と時間を増やすどころか、労働収入しか入ってこないので、この点は注意が必要。
そしてストックビジネスがお金と時間を作ってくれるようになれば
その時間で新しい情報収集や成長をすることができます。
そこで仕入れた情報や成長をコンテンツにすることで
またストックビジネスが強化される・・・
という正のサイクルが出来上がります。
さらにここでできたお金を一部、投資に回していくことで、
投資したお金が企業の活動資金となって、自分の代わりに優秀な経営者が働いてくれることになります。
そして業績がよくなっていくと配当までもらえます。
つまりお金が時間とお金を作り出してくれます。
このように
ストックビジネスと投資をかけあわせることで
ダブルでお金と時間の自由ができます。
これが第五の生き方「ストックビジネスオーナー」が最強たるゆえんです。
お金と時間の自由ができれば、心や身体の健康も確保することができます。
好きな時にマッサージを受けたり、好きな時に一緒にいたい人といたり。
好きなだけ読書もできます。
僕のこのブログでは
僕の経験を交えた
本当の意味で時間とお金を増やしながら
健康や人間関係、家族との時間などプライベートを犠牲にすることなく
どんどん豊かになっていく方法を書いています。
ぜひ興味がある記事からどんどん読んでください。
そして僕がこのような活動をご覧いただく上で、
僕の過去の生い立ちや経歴を共有しておくと、
より理解しやすくなりますし、
僕のブログの内容を理解しやすくなります。
なので、少しばかり僕の過去の生い立ちの物語を
今から共有をしていこうと思います。
ーーーーーー億人の物語ーーーーーー
僕は、
生まれてすぐ、幼稚園、中学校、高校、大学、社会人になっても
ずっと働きづくめという環境の中で25年ほど生きてきました。
生まれてすぐ〜母におぶられて仕事場へ
僕が生まれてからずっと、父母は共働きで働いています。
いわゆる典型的なワーキングプア(働けど暮らしは良くならない人)だったかも知れません。
僕が生まれた時、父と母は九州の田舎で、夫婦だけで居酒屋を経営していました。
僕が生まれる前も後も、母はすぐに仕事に出ていました。
僕が生まれてからは、母におぶられて仕事場へ。母の背中で揺られながら寝ていたそうです。
幼稚園〜大阪へ。お金と将来のことで父母がモメる。
2歳の時、大阪に引っ越します。
なので幼稚園から大学生までは大阪にずっと住みます。
幼稚園の時も父母は共働きをしていました。
大阪ではお好み焼きやおはぎなどの和菓子をあつかう移動販売の仕事をしていました。
移動販売という言葉をご存知ない方もいるかもしれないので簡単に説明しますと
移動販売というのは、イオンやスーパーなどの店頭で期間限定のお店をする人たちの仕事のことです。
屋台みたいなやつです。あの屋台をスーパーの一部を間借りしてやっていました。
なので、毎日、食材の仕入れと家賃がかかります。
家賃は今では考えられないようなことですが、売り上げに応じた変動制でした。
なので大きく儲けることは難しかったようです。
例えば売上が10万円なら5万円の家賃。売上が20万円なら10万円の家賃みたいな感じです。
なので儲けはほとんど出なかったようです。
当時はうちは貧乏な家庭でした。
築40年、家賃4万円くらいの今にも壊れそうなボロアパートに家族で住んでいましたし、
お金と将来のことで父母が揉めることも多かったです。
父が暴れ、母が泣きながら「もうやめて」という姿を鮮明に覚えていて
お金がないということは、夫婦関係を悪化させることもあるのだと子供ながらに思いました。
その頃は当然、すべての情報が家の中から、もっと言えば父母の言動から受けていたので、
「お金は働いて稼ぐもの」
「お金を貯めるのは大変なこと」
「貧乏清貧(貧乏こそが清く美しい)」
「お金持ちは何か悪いことをやっているに違いない」
「とにかく働いて働いて働いて、金持ちになるんだ」
みたいな口グセを聞いていたので、仕事やお金に対してそのように思っていました。
だから自分が将来インターネットビジネスをするとも思わなかったですし、
投資家になるなんて発想もなかった。まだ1990年台前半のことなので
「インターネット?なにそれ?」
「投資?バブルはじけましたけど?」
みたいな世界観でした。
まだ家庭にパソコンなんてものは普及しておらず、
任天堂ゲームボーイやたまごっち、デジモンなどが最新の電子機器でした。笑
小学生〜10歳・小4で労働スタート(強制)!怖い常連さんに怒られる
ぼくは、10歳から、労働者でした。
僕の家は、どこにでもある、普通の家でした。特徴が、ない。
1つだけ特徴があるとすれば、それは両親が10歳から飲食店を始めたこと。ラーメン屋でした。
当時、僕の住んでいた地域には美味しいラーメン屋が少なく、まだまだラーメン市場はガラ空きでした。
もともと料理人をしていた父親は前の仕事を不況によってリストラされて、ラーメン屋で一旗上げることに決めました。
結果は、とにかく売れました。持ち前のセンスと本場で修行した甲斐もあり、
努力が実ってどんどんお客さんが来るようになりました。
と、そこまではよかったのですが、1つ問題がありました。
アルバイトが、続かない。苦笑
そう、職人肌の父親でしたので人とのコミュニケーションはめっぽう苦手。
アルバイトも1年続かないことがザラで、人が育たない環境でした。
そこで白羽の矢が立ったのが、僕でした。笑
父「家族だから、働け。お前は長男やしな。バイト代やるから。」
僕「え?僕だけ働くの?弟は?ズルない?」
父「あいつはアテにならん。遊びに行くし。お前、やれ。」
僕「・・・・えー。。。」
という感じで、僕が(無言の?)父からの圧力を受け、10歳から働いていました。
まあ、長男でしたし、特有の責任感みたいなものでイヤイヤながらも働いていました。
父も母も弟も、全員末っ子。頼るのは上の兄弟と相場は決まっています。
僕が、10歳から(強制)労働デビューすることになったキッカケです。笑
大学出る時までなので、23歳まで。13年もの間、週末を中心にほぼ毎週に働いていました。
もちろんお小遣いをもらえるという意味では嬉しかったです。
でも、正直、小学生の僕にはデメリットの方が多かった。
例えば、友達と遊べなかったことです。
子供だから、めいっぱい遊びたいですよね。
毎週土日が来るたびに僕はバイト、友達は誰かの家で遊ぶ。
すると、僕だけ話題についていけなくなります。これが辛かったです・・・。
いくらお金があっても時間がなかったら豊かな人生にはならないのです。
大切な友達との時間は今いくらお金を積んだとしても決して帰ってきません。
この寂しくてつらい気持ちを10歳の頃から痛感しました。
弟は遊んでるのに、と自分の兄という立場を呪ったこともありました。
なぜなら毎週友達が遠くに行くような感じになって
自分だけ仲間外れにされているような卑屈な気持ちになり
もともとそんなに外交的ではなかったと思いますが、さらに気が引けてしまって
自分から「遊ぼう」なんて言えなくなってしまいました。
自分が誘うと、迷惑をかけるんじゃないかな、なんて思うようになってしまって。
本当はそんなこと気にしなくてよかったんでしょうが、僕には自信がなかった。
「仕事ばっかりしている自分なんか、つまんないんじゃないか」と思うようになって。
こうした内向的な性格が強くなったのも、当時は辛かったです。
バイト中だっていいことだらけではないです。
自分は強制的に働かされていたので、当然やる気もありません。
適当に仕事していたら、ある日、(見た目も中身も)怖いおじちゃんに思いっきり怒られました。
注文を受けて返事をしたつもりだったのですが、「てめえ、聴いてんのかコラ!」と。
正直、やりたかったことじゃないし、やらされているだけの仕事だったので、僕の目から見たら理不尽でしかなかった。
でも、「お客さんと関わることってこういうことか、ちゃんと声ださないとな・・・」と自分を無理やり納得させるような10代前半の少年でした。
もちろん父だって、怒ってきます。笑
バイト代を払う以上、そりゃ当然なんですが、バイトが続かないようなコミュニケーションしか取れないような人です。
そりゃもう、僕とも喧嘩ばかり。
「出ていけ」「帰れ」なんていうのはしょっちゅう言われていました(そして実際にたくさん帰りましたwwww)。
このように、嫌な思い出がたくさんあるバイトですが、いいこともありました。
それは長期的に働き続けたことで、今になって分かったことなのですが
たとえば、社会人生活を10歳からできたということ。
怖い人に怒られはしましたが、それでも仕事や社会での振る舞いを学べたのは大きかった。
お客さんからしたら僕は何歳であろうと従業員であって、結果的にお客様に嫌な思いをさせた自分が悪い。
そう思えるようになったのは大きかったです。
また、10歳から労働をしてきて、父母と家族の生活レベルが上昇する中でも、
ストックビジネスを始めるのにつながる圧倒的な気づきを得ることができたのです。
それは、こんな気づきでした。
最初は一旗あげようとラーメン屋を始めた父でした。
前職をリストラにあってからは半年くらい、ずっと家に引きこもる父親で、
貯金を食い潰しながら生活をしていました。
日々なくなっていく貯金、次に何かをしなくては、、、と思いながらも
時間だけがたくさんあり、その時間も消費されていく毎日。
そんな中で「(福岡の)博多ラーメン屋するわ」といきなり言い出して、その日のうちに福岡の麺屋に連絡。
その次の日にはすぐに本場・福岡に新幹線で移動して、弟子入りしていた父。
時間と希望がたくさんあったので、とにかく身軽に動いていました。
子供ながらに、この時は「自分のやりたいことできていいな。お金はなくても、楽しそうな夫婦だな」と思ったものです。
そして修行期間を終えて、どこに店を作るか決め、厨房機器を買い込み、
店舗を作り、のれんやのぼりのデザインと発注をして、いよいよお店をオープンすると、
朝10時から夜11時までお客さんが途絶えることなく、住宅街でやっていたラーメン屋でしたので、
片側一車線ずつの道路だったのですが、その道路がうちのラーメン屋のお客さんの車で埋め尽くされるような日々でした。
そう、近所にうまいラーメン屋がないというブルーオーシャン市場において、
圧倒的な味で勝負をするという父親の選択は見事に的中して、儲かりました。
そこで、新たな問題として出てきたのが、人を育てられないという問題です。
これは致命的で、職人であり経営者である父の時間が作れないということを意味します。
ずっと、自分が現場に出ないといけない。
ずっと、自分がラーメンの仕込みをし続けなくてはならない。
うまく言語化できなかったり、うまくレシピ化、ノウハウ化しなかったからこそ
店が20年続いた強豪優位的な要素もある(現在は健康面などの理由で閉店)のですが、
結局一番致命的だったのが、時間をつくれなかったこと。
そう、労働者という立場である限り時間が作れない。
労働者のジレンマが発生して、
暇な時はお金がない。(時間があってもお金がない)
儲かれば儲かるほど、自分が現場にいる必要があり忙しくなる。(時間がなくてお金がある)
極論言ってしまえば、労働者はこの二択です。
時間があってもお金がない
時間がなくてお金がある
この記事の最初の方で言ったESBIでいうところのEやSでしかなかったということです。
厳密には他にも2つの状態があります。
時間がなくてお金もない、という状態でいうとこれは仕事ができない、評価されない場合です。
この場合はスキルをあげたり仕事の量を増やしていくことで時間給を多くもらうという発想になります。
時間があってお金がある、ここは労働者である限りジレンマが存在するため、なかなかなりづらいです。
圧倒的なカリスマになる(朝貢単価を取って顧客数を絞る)か、インターネット上に安く(もしくはいい価格で)
大量に売れるようにするかという仕組みを持っていたら話は変わってきます。
ただここで言っているのは労働者のジレンマについてです。
労働者である限り、
時間があってもお金がない
時間がなくてお金がある
時間がなくてお金もない
このどれかになってしまいます。
そして残念ながら父母も例外ではありませんでした。
事業が軌道に乗ってようやく金銭的に豊かになってきたと思ったものの、
今度は逆に時間がなくなり、体と精神の疲れがピークに達してイライライライラするようになっていたのです(特に父が)。
幸せになるために仕事をしている。
なのに、働けば働くほどお金は増えても、夫婦ゲンカが増える。
いったい、なんだこれは??
働いて、お金を稼げば幸せになれるんじゃなかったのか?
それを信じてやってきた父母の努力はなんだったのか?!
僕が友達を遊んだりすることを犠牲にして労働に費やしてきた時間は、なんだったんだ?!
なんともいえない、二度と取り返せない時間に対しての虚しさや怒りが込み上げてきました。
このように仕事に対して思ったのが、僕の10代の時の切実な悩みでした。
ここで強調しておきたいのは、父母の批判をしたいということでは決してないということです。
共働きの父母がいて、労働を10歳から始めたからこそ、労働のジレンマにいち早く気づくことができました。
そして、この話で重要なポイントは悪い人は誰もいないということです。
父がイライラしていたのは確かですが、それは労働する以外の方法を知らなかったから。
構造的に絶対的に抜け出せないような労働者のジレンマにハマってしまっていただけなのです。
そしてこの
「なのに、働けば働くほどお金は増えても、夫婦げんかが増える。いったい、なんだこれは??」という疑問があったことこそが、
僕にとってストックビジネスと投資の世界に入る強烈な願望となり、キッカケになったのでした。
はっきり言って、自分の一度しかない人生を
同じことを繰り返す単純作業のような肉体労働に捧げ続けることは
どう考えても無策であり、自分がしたいこととは到底思えなかったから
絶対にこの無限ループから抜け出したいと強く強く強く強く、心のそこから願ったのです。
確かに働くことは辛かった。でも、自分の父母のがんばりは見ている。
自分は肉体労働だけをしていて本当にいいのだろうか?
どうやったらこの状況から抜け出せるんだろうか?
そう思っていて、でも誰も答えなんか教えてくれませんでした。
今のようにインターネットもなければ成功者の知り合いもいません。
とにかく、僕はすがるような思いで本を読みまくりました。
バイト代を全部、ブックオフに売っている自己啓発本につっこんだのです。
いろいろなビジネスの本や自己啓発本を読み、なんとか家族がこの状況から脱出できれば、、、
と思ったのです。
だって悔しいじゃないですか。
幸せになるために働いているのに、それですれ違いが起きてケンカしまくって離婚したり。
言っちゃあれですが、本末転倒です。そんなことになる必要は、全くない。
これってどの家庭でもよく起きうる問題だったりします。
一生懸命サラリーマンで働いていたり、バイトをしていたり、自営業をしていたり。
でも稼ぎはよくなっても時間がなくなることでコミュニケーションが減ってしまって仲が悪くなったり。
しかし、そうは言ってもただの少年、小僧でした。
小学校中学校程度の自分の実力では、こんな見えない大きな壁をクリアするためにどうしていいか全くわからず、
結局高校を出ても何もアクションはできませんでした。
それどころか、大学に入っても在学中に起業をするのではなく、
さらに社会人になるまで労働の道へと進んでいくことになるのです・・
大学生〜アルバイトを頑張るがお金は増えず
大学生になり、自分の社会勉強ということも考えて
色々な職業をやってみました。
当時はありがたいことに人生で2人目の彼女(当時自分の中でめちゃくちゃタイプでした。)もいたので
やっぱりお金がかかるわけですよ。デートするにも、ご飯行くにも、あんなことやこんなことするためにも。笑
それに途中で彼女が留学に行ったので、男見せたくて「留学先まで会いに行くわ」なんて大見得を切ったので必死です。笑
なので、とにかくめちゃくちゃ働きましたね。たとえば
・派遣社員として、教科書を一人分ずつのセットにする仕事(20種類×1冊ずつをまとめる)
・引っ越しのアルバイトでは5階までエレベーターなしで階段を使って冷蔵庫や重い荷物を持っていき
・家庭教師をしたり
・アパレルで店員をやってみたり。
・最終的には大阪を代表する繁華街・北新地の近くのまあまあ高級な居酒屋のアルバイトをしていました。
自分で言うのもなんですが、すごいがんばりました。
とにかく「スキルをつけるぞ」と意気込みました。
最終的には大学生ながらアルバイトの副リーダーになりました。
基本はフリーターで専業でやっている人しかなれなかったので当時は嬉しかった。
でも時給は10円上がっただけでした。苦笑
とにかく仕事を頑張れば報われると思っていましたが
それは完全な間違いでした。
結構居酒屋の仕事はできた方だと思います。
めちゃくちゃ忙しかったですが、
厨房とホールを繋ぐ重要な役割を
回すことができるようになりました。
ですが、労働者としてのスキルをいくら高めても、
経営者や投資家としてのスキルは上がりません。
だからいくら働いても、周りから頼りにされる分、忙しくなるだけでした。
バイトも毎月、よくて10万程度。
アルバイトを頑張る→時給上がらない。→でもアルバイト先の飲み会が増える→バイト代がバイト先の人間関係に消えていく
という意味不明なループに突入しました。苦笑
要は、働くために働いている、みたいな。
今振り返ってみると職場で出会ったどこの誰かも分からない人に気をつかいながら、
「億人はいい人だ」と思われないとこの世で生きていけないと思い、
必死に愛想笑いをしながら好かれるための努力をしていました。
これ、会社員とかでもよくあるやつですね。
のちのち会社に入っても同じようなことを繰り返します。
ここでも労働のジレンマを感じます。
会社員〜「クズ」「死ね」「2度とツラ見せんな」パワハラ上司との出会い
そんなこんなで親からの労働の価値観を刷り込まれたまま、
労働者としてのスキルをとにかく上げようとしていましたから
就職活動でも自己成長できることを軸に会社を選びました。
選んだのは人材系大手の企業。
「うちは成長できるよ」
「人材系はどの企業でも採用するでしょ?いろんな企業見れるよ」
と言われたので、どの会社を選んでいいのかも分からず
将来的に潰しがきくと思って選びました。
また、面接が5回ありましたが、そこで会った人全てが優秀でキラキラしていたのも大きかったです。
ただしこれはただの幻想ということに、入社後気づきます。
社内で比較的キラキラした社員は、大事な採用PRのためどの会社でも出してきます。
そりゃそうですよね。面接とかグループ面談で疲れ果てた今にも会社を辞めそうな社員が出てきたら
採用ができなくなるに決まっていますから。苦笑
で、入社してみてやっぱりギャップがありました。
しょせんラーメン屋でバイトして、居酒屋でバイトした程度の大学生のくだした決断です。
1つ目の大きなギャップは、思ったよりも大規模な組織だったということ。
成長できるっていうことは自分の責任の範囲でいろいろできると思っていましたが
社員が3000人ほどいましたので、思ったより固かった。
つまり、裁量がありませんでした。上司の言うことを聞くのが絶対条件。
お役所みたいに社内政治もたくさんありましたし、無駄なハンコ文化もありました。
契約書を書くのがすごく複雑でムズかしかったので、よくミスをしました。
すると経理の人からあからさまな嫌味を言われたり。
非協力的なこともめちゃくちゃされました。
当時はまだまだ尖っていたので、
「は?別にミスしたくてしてねーし。営業のサポートしろや」みたいに僕も思っていたので
関係性は最悪でした。
契約書のミスをしたら、お客様にもハンコをもらう。
ミスのことを話すと、お客さんはメールをくれて
「このメールで済ませといてよ。ハンコめんどいよ」と言ってくれるにも関わらず
僕の会社では「ハンコ絶対もらえ。後々のトラブルにならないように」と一点張り。
正直、メールで了承もらってたら別にいいじゃないかって話で。
いろいろ官僚的なところが多くて無駄がたくさん感じられました。
さて、僕が配属されたのはリク○ビみたいな採用広告の営業マンでした。
ですが、僕は全然売りたくなかった。わがままな話なんですけど。
会社の極秘データだったんですが、うちの会社の広告媒体は
15/100社のみ採用できていたので、商品力低いと思ったんです。
「採れないのにお金もらうの?よく分からないわ、その感覚」、と思い「売らない」と決断しました。
そのおかげで、営業成績0円が1年続きました。
その時にはもう、散々言われましたよ。
当時の上司は「うーちゃん」と呼ばれていましたが、
僕がミスしたり営業採れなかったりするたびに
「クズ」「死ね」「2度とツラ見せんな」と言われ続けました。
特に「死ね」はマジで響きましたね。
自分の心にもつらい思いが響き渡りましたが、
ビルのフロア貸切のオフィス中に、その人の「死ね」が響き渡ったんです。
パワハラ上司との出会いでした。
本当に辛かったし、逃げたかった。
でも、当時僕はこのように考えました。
「逃げるのなんていつでもできる。
逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ。せっかく大阪から飛び出してきたチャンスだ。
この会社で成功するんだ」と。
はい、完全に洗脳されていました。
弱っていたんです。単純に。自分が。
心の底では売りたくないものを売り、(会社と上司が絶対)
選択することを選択できなくなっていき、僕の精神は弱っていきました。
でも、本当は、逃げてよかったんです。
辛かったなら辞めたらよかったし、もっと他にスマートな稼ぎ方あったんだから、
1年目の途中で辞めたらよかったのに、と今の自分なら全力でアドバイスします。
でも、当時の僕は無知だった。知識も武器も何もなかったから
世の中の理不尽に耐え続けるしかなかったんです。殴られ続けるしかなかった。
でも耐え続けた時間なんて意味ないし、戻ってこないですからね。
僕のちっぽけなプライドとメンタルはズタズタでした。
ですが、その後、奇跡的に上司が変わりました。
あまりにも「うーちゃん」の下では人が育たなかったんで、組織改変が入ったのです。
そこから新しい上司の助けもあり、VP(個人優秀賞)を受賞する
新人を代表する営業マンになることができました。
最終的にはMVG(最優秀チーム賞)を取って退社することになりました。
確かに会社員になり、基礎的な社会人のスキルは身につきました。
タイピングスピードは早くなりましたし、社会人マナーも身についた。
パワーポイントで資料を作るのも朝から晩までしていましたし、営業電話もかけた。
ですが、自分が売りたくないものを売っていたことによる自信の喪失や、
営業することへの苦手意識、とにかく業務の量を増やすんだという圧力、
激務とプレッシャーですさんだ心を治すには半年ほどの時間がかかりました。
正直、起業して仕組みを作ったら、そこまで働きまくる必要ないです。
経営者や投資家として生きるには、会社で教えられて使えないことなんか、山ほどあります。
だから、違和感を感じてある程度がんばって、それでもダメだったら辞めてしまっていいと僕は思います。
(もちろん最低限の生活ができるような戦略や実践は必要です)
独立後〜ストックビジネスとの出会い
会社を辞めたものの、結局稼ぐ力がないから、アルバイトをして食いつなぐ日々でした。
この時点ですでに24歳。
・深夜のカラオケのバイト
・5階までエレベーターなしの引っ越し
・両親のラーメン屋のバイト
などなど肉体労働で月15〜20万を稼ぐのがやっとの日々。
その間に本を読んだり、自己流で1年近くいろいろ起業の方法を模索するも結局やり方が分からない。時間ばかりが過ぎていく。
「俺は、悪くない。会社が悪かったんだ。でも、俺は結局稼げてない。だせえ。」
「悔しいけど実力が、ないんだ。何かやらないと、何かやらないと」
「起業したことないのに、起業の方法なんかわからない」
いろいろな成功者の本を読み、成功法則を学びました。
でもどれもこれも、最初から大きな事業投資が必要なものばかり。
「1000万の借入をして、それで飲食店をするんです」
「コンビニのフランチャイズで儲かりました 頭金500万で成功できるなら安いもんですよ」
などなど。正直、その時の僕には使えないものばかりでした。
「どれも今の自分がやってもうまくいかなさそう。しかも借金なんて・・・俺がやっても無理そうだし」
そんな時・・・ごろごろしながらネットサーフィンしていると
「あなたも自宅で絵簡単起業!インターネットビジネスならあなたの人生変えれます。
私もダメなサラリーマンでしたが、今では月収200万円☆」
という広告が。
億人
「なんだこの冴えないオッサンは。苦笑
こんなやつでも稼げるなんて、怪しい世界だよな。」
「インターネットビジネス? もうとっくに飽和してるでしょ。そんなんで人生変われるなら誰も苦労しないんだよ・・・」
「でも、なんか気になるよな もし、もしこれが本当なら・・・」と、興味本位ですぐに無料のメールマガジン(メルマガ)に登録。
「どれどれ。どうせしょーもないこと言ってるんでしょ。」
とダメ出しするようなつもりで見ましたが、
意外にも内容はすごく理にかなっていました。
そこで知ったのは
インターネットを使ったストックビジネスをすれば
・PC1台で起業
・リスクほぼなし
・家でできる
・お金と時間が増え続ける
ということ。
しかもインターネット市場はどんどん拡大している。
メルマガの人は言いました。
「今までうまくいかなかったのは、あなたが悪いんじゃないです。
稼ぎ方を知らなかっただけなんです。
ちゃんとした知識を入れて稼ぎ方を知れば、ほぼリスクなく起業することができるんです」
(億人)
「これだったら、今のオレでもできるかも・・・」
僕はいつの間にかのめり込み、入塾を決めていました。
塾の費用は20万。
「20万か・・・デカいな。俺の1ヶ月分の給料か。
でもお金は、1ヶ月本気で働けばなんとかなる。
俺はもうこのまま未来に希望を持てずに
会社にいても、会社を辞めても結局何も変わっていない。
変わらなきゃいけないのは自分だったんだ。
プライドを捨てろ。お金を稼ぐ知識とやり方を今すぐ学べ。
もう、労働し続けて飯を食うだけのこの人生は嫌だ!」
そう思い、覚悟をして入塾した。
結果的にこのたった1つの出会いが、俺の人生を大きく変えることになりました。
動画のコンテンツを貪るように見て、知識を入れて猛勉強。
リアルのセミナーも開催されたので、行ってみた。
実際に会うことで吸収できることは多いと思ったからだ。
その怪しいおじさんは、実際に会ってみたら、めちゃくちゃいい人だった。
印象も全然違った。大人っぽい雰囲気に、落ち着いた人柄に、余裕のある言動。
車もデカいBMW(SUV)に乗っていた。くやしいけど、かっこよかった。
「億人くんもコンテンツ通りやってみてね。
知識つけて繰り返し学んで、少しずつ身につけて成長していけば稼げるようになるよ」
(億人)
「はい、がんばります!」
このたった1つの出会いと会話を支えに、俺は本当にインターネットビジネスで稼ぐんだと決めた。
他の誰が何を言おうとも、自分の人生の価値を決めるのは俺だ。
そこからはバイトも辞めて、一日中インターネットビジネスにのめり込んだ。
正直、最初は知識も経験もなかったので苦戦した。
「あれ?思ったようにアクセスがこない」
「あれ?なかなか収入にならないぞ・・」
何度も何度もコンテンツを見直し、知識のモレをなくしていって
ネットで稼ぐことについての理解度が深く深くなっていきました。
「お、今日は1000アクセスも」
「え、2万アクセス!すげえ 後発でも全然できんじゃん」
「アクセスって意外とたくさん来るよな」
「対面営業しなくていいのが精神的に楽だな」
「たくさんの人の中で興味がある人だけに営業できるのがいいな」
そして、ある時に全ての点と点が線に繋がる瞬間がついに来ます・・・!
「うお、報酬入ってる!3000円も?!」
最初の報酬は本当に嬉しかった。
「俺の情報が人の役に立って、ものが売れた。
俺は自分の力で稼げたんだ。これを増やしていけば、、、いける。」
その後、サイトは成長し続け、
6ヶ月後 月収4万円の収入
7ヶ月後 月収10万円の収入
8ヶ月後 月収40万円の収入
と伸び続けました。
そう、これこそが僕が人生を大きく変えたストックビジネスとの出会いでした。
幸いにして僕は、その後インターネットビジネスと投資に出会い、
ストックビジネス×投資によって時間とお金を手にすることができました。
お金と時間があるからこそ、好きなだけ時間をかけて株式投資や仮想通貨投資にチャレンジしたり、
マイニング工場を作るためにモンゴルに視察に行き、その場でマイニング工場のオーナーになったり。
そして、ある銘柄が結果的に1000倍以上という驚異的な成功を収めます。
僕はこの銘柄を持っていたことで、結果的に5年間なにもすることなく
セミリタイアを経験することとなりました。
はっきり言います。
最初の3年間は、ずーーーーっと寝ても覚めてもゲームしていました。
スプラトゥーン2。何も生産していませんでした。
ゲーム実況者になることすら面倒。
純粋にゲームが、したい。だから、する。
それを3年間も続けてたわけです。
さすがに、飽きました。笑
その次の1年は、今の奥さんと、旅行をしまくりました。
旅行したり、温泉やマッサージに行ったり。
コロナの影響で海外に行きづらかったので、日本半周旅行をしてみたり。
とにかくプライベートを楽しみました。
最後の一年は、子育てとMBAです。
自分の武器を磨こうと思っていたので、
海外のMBAをオンライン取得しています。
これは時間がないと絶対にできないことなので、
まとまった時間を使ってやっています。
まだ取得は少し先ですが、受けたい授業を優先して受けて
自分のストックビジネスや投資判断の糧にしていっています。
また、ありがたいことに子供が生まれました。
子供は日々一刻と成長をしていきます。
自分の命を紡いでくれる奥さんがいる。
そして自分の遺伝子を引き継いだ子供がいる。
こんな幸せなことはありません。
できてもできなくても、何度も何度も同じことを練習する。
昨日できなかったことが、今日できるようになる。
目が見えてなかったのに、遠くのパパママに笑顔をしてくれるようになったり、
寝返りが打てなかったのに、上手に打てるようになったり、
ハイハイができなかったのが、できるようになったり、
おもちゃで上手に遊べるようになったり、
「パパ」「バーバ」と話せるようになったり、
一歩歩けるようになり、二歩歩けるようになり、
いつの間にかハイハイせずに歩いたり走ったりするようになったり。
こういう子供との日々は、絶対にかけがえがない大切な人生の宝物です。
僕は最後の1年間を子供と奥さんとの大切な日々に使うという幸運に恵まれました。
それもこれも、ストックビジネス×投資で資産を構築することができたからです。
今もまだまだ挑戦をし続けています。
僕は人生を変えてくれた出会いは25歳のときに、あやしいおじさんに出会った時でした。
正直、世間で成功者と呼ばれる方々に比べると遅いスタートだったように思います。
でもだからこそ、人生は重要な知識にふれて、それを活用していくことでいつからでも人生を変えていくことができると僕は思っています。
だから、長くなりましたが、過去の僕と同じような境遇の方の人生のお役に立つような情報発信をしていきたいと思っています。
・働くために働いている
・働いても働いても人生が好転しない
・会社を辞めたいのに辞めれない
・パワハラ上司がいる
・会社の言うことが絶対
・会社を辞めたら、どうやって稼いでいいのか分からない
・働いても働いてもお金が増えない
全然、そんなことないですよと言いたい。言わせてください。
きちんと学んで戦略を立てて実践していけば、
インターネット上にキャッシュを生み出してくれる資産を構築するストックビジネスを作ることは可能ですし、
それを元手にして投資をしっかりやっていけば長期的に資産は増えていきます。
それは知識を知っているか知っていないか。
そしてやるか、やらないか。ただそれだけの違いです。
まだまだ、道半ばです。
もっともっと成長していき、今までみれていなかった景色をみていきます。
今までは思い切って自己投資できなかったことにもどんどん投資をしています。
知識と経験が新しい富を産んでくれることを知っているからです。
欲しかった高額の本を買って読み漁ったり、
受けてみたかった本格的なコーチングを受けたり。
こうやってどんどん知識と経験にお金を使っていく。
そしてそれが新しいコンテンツになり、またお金をうむ。
この流れを作り、自分の専門分野の深堀りと新領域への探索を繰り返していき
リスクを低く大きなビジネスになるチャンスを少しずつ育てていく。
これを繰返していくことがビジネスマンとして成長・成功するために
非常に重要な要素です。
ストックビジネスで仕組み化し、お金と時間をうむことで
自分だけの独自の経験と知識のかけ算ができます。
すると、今まででは考えられないほどに、人生が一気に加速してきます。
これが今、僕が生きている世界です。
長くなりましたが、僕の自己紹介はここまで。
また追記などしていくかもしれません。
ただのダメサラリーマンが
どのようにして時間とお金を作り出すストックビジネスに出会ったのか?
そしてストックビジネスによってどのように人生が変わったのか?
についてもお話してきました。
このお話はストックビジネスを作りたい方にとって重要なことを
いろいろなストーリーを交えながらお伝えしてきたものなので、
何度も読み返していただけたら嬉しいです。
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