日記 -2021年1月8日
・今日は色々なことを考えた1日だった。箇条書きで順番に書く。
・まずは昨日徹夜した。反出生主義/優生思想/チャイルドフリー。この3つの考え方についての調べ物を延々としていた。概要は掴めたものの、本質は未だ曖昧なまま…。自分の立場はチャイルドフリーに近い(そうとも言い切れないが)と今のところ感じている。
子供を持たない生き方について考えている。ネットサーフィンをしていると、元プロバレーボール選手・滝沢ななえさんの記事に偶然辿り着いた。滝沢さんは、同性愛者であることを公表し、今も女性のパートナーがいるそうだ。
私は異性愛者だが、滝沢さんの
私は子孫を残す、自分のDNAを残すということにあまり興味がない代わりに「自分の考え」を残せたらいいな、と思っています。
という発言に深く共感した。私も、DNAを残したいと思ったことはないし、多分これからもないと思う。子は生きた証と言うが、子じゃないといけないのか?と疑問に思ってきた。というか、自分の生きた証を残すために子を産む、という考えにもゲンナリしていた。人類の長い歴史の中の、たった何世代とか、そういったものに拘り続ける意味はあるのか、と思う。
私はたまたま産まれたので出来る限り楽しく生きたいが、自分がわざわざ痛い思い、辛い思いをして、生まれてきた子供に時間をとられ、しかもその子供が勝手にやったことの責任をとらないといけないなんて、本当に幸せなんだろうか。理解が出来ないな、と思う。
ぶっちゃけ、愛で赤ん坊が産まれるなんていうのは後付けで、行為で子供はできる。愛なんて定義が曖昧なんだから、愛の証、みたいな言い方も違和感を覚える。愛の証なら行為でいいんじゃないだろうか?
さっきから、生きた証とか、愛の証とか、ホント、親側のエゴでしかないな。と思う。ただ、そういった人たちが多数派なお陰で、人類の歴史は続いてきたとも言える。今、コンビニで私にお釣りを手渡した彼も、人から生まれてきたのだ。その労働の利益を私は受けている。自分は参加したいとはつゆとも思わない愛のレースの中に他人事として恩恵を受けているのもまた私なのだ。それは感謝しないといけない。
・最近なぜこういうことを考えているのか?というと、恋人ができたからに間違いない。ふと自分の考えについて整理しておかないとな、と思った。異性愛者であることは分かってきたが、男女ということで生殖の余地があり、結婚・出産という暗黙のルールがある以上、改めて自分の立場を明確にする必要がある。(大変だ) ただこの先の自分のためだ。面倒くさがってはいけない。命が関わっているからね。
・それと関連して、低用量ピルの服用を検討している。もともと生理不順であり、生理前症状もあることから、その改善という目的もある。
もう一つは先程の考えに基づいた避妊だ。
女として、自分の身体の機能(望んだわけではないが)について、責任を持たないといけない年齢になったことを自覚してきた。これは生き方の選択だ。
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