誰かの汗に寄生して生きる私は -2020年10月1日

人の顔について、美醜を判断するのは至難の技である。

私は初めて見た印象のままの美しさを継続する人間を見たことが無いし、徹頭徹尾、醜いままの人間もまた見たことがない。みな、ある時には美男子、美女、またある時にはどうしようも無い位の醜男醜女だ。

YouTubeなんかで、よく人がやっていることを見ている。人が汗をかいて必死にやっているあれこれを、クーラーがついた部屋で見ているが、優越感は少しも感じていない。むしろ、劣等感と虚しさだけがある。
人の一生懸命を私は見た気になって、その光る汗を無銭(YouTubeであるから、無線でもある?)(仕方ない)で頂戴して、威張り散らかして文字をぐちゃぐちゃ打ち込んでるだけだ。どっちが偉いかは私にも一目瞭然である。

しかもたちの悪いことに、自分自身の憧れを彼らの汗に擦り付けて消費している。困った。その証拠に私は苦労していない。文字を打つのは息を吸って吐くのと同等にできる。汗なんて、一滴もかいていない。

私は今のところ、生きることしかできない。いつか、自分から流れる汗が、血が、消費されるくらい価値のあるものになった時、私はその瞬間に死んでもいい。今の私の血肉は、役に立たない。私の血肉である必要がない。私の胃は、血は、眼球は、毛髪は、私のものである必要がない。

意味が欲しい。肉体をちゃんと私のものにしたい。そして価値のある汗をかきたい。最近そう思うようになった。


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