「寂しい」と思うくらいには恵まれていた -2020年3月29日

引越しの手続きが大体終わった。来週から一人暮らしを始める。

ドタバタした中で決めたので、物件はやや後悔が残ってしまった。
しかし、「気に入らなければ何時でも引っ越せばいい」との両親の言葉に幾らか気分は晴れた。
その時私は、父が運転する車の後部座席で、窓の外を見ていた。
一人暮らし用に家具を買いに行った帰路。店舗内をぐるぐる歩き回って疲れていた私は、車内の揺れの中で久しぶりの深い眠りに落ちた。

小学校に入学してから、つい先日高校を卒業するまで、すべて淡い記憶にしか残されていない。
断片的なコラージュのように、千切れた記憶と記憶が滅茶苦茶に繋がった、私の思い出。
高いところから夜の街を見下ろした時のように、無数の小さな光が目の前に広がっているイメージを抱く。
その一つ一つの光に、どんなエピソードがあったのか、私は思い出せないのだ。
夜景を見た時に、「すごく綺麗だけど、何だか寂しい」と思う気持ちに似ているなと思う。
忘れたかったことも、忘れないと誓ったことも、今は殆ど覚えていない。それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。

そんな時、いつもふと考えることがある。
人生は月の満ち欠けだ、ということだ。満ち足りたものから欠けていく。欠けたものは満ちてくるかもしれないが、足るに当たるとまた欠けていく。満ち足りた状態は続かないが、全部欠けてなくなったりもしない。

私は、ある意味満ち足りた日々を送っていた。辛かったことも嬉しかったことも、すべてを平等に思い出せないような位だ。
だからこれからの生活で、欠けた日々が満ちてゆくのを待つことになるだろう。

余談だが、私は深夜に日記を書いていて、その時は街も人も眠りの中にいる。私はこういう時に、ようやく本当に一人きりになれた、と思う。
静かに1日を振り返り、整理するこの時間が、ずっと私を支えてきたような気がする。
神様が夜を作ってくれて、本当に良かった。

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