ごめん、
AM 06:05
外は真っ暗だ。街の明かりも、日の光もない。誰もいない世界に投げ出されたように。4分後の電車を捕まえるために、走る。
AM 06:07
夜景に、街灯の美しさが映える。思わず写真を撮りそうになるが、私は走らなければならない。
AM 06:09
ホームに駆け降りるとともに、電車が入線してくる。ナイス、タイミング。息を整えながら1席ずつ空いた席に座る。私は、この時間に家を出て、広報を印刷しなければならない。
AM 06:20
なぜ、普段より30分以上家を早く出なければならないか。話は、昨日の昼休みに遡る。
(別に細かいこと興味ないねんって人は次の時間へ)
生徒委員会、数学科のO氏と僕は立ち話をしていた。5限終わりだった僕は、その時間で広報を印刷しようとしていた。しかし、「全員無理」。そう言い放ったO氏の目を直視できなかった。なんと、生徒委員会全員が5-6-7限授業があって、その時間帯は二応が使えないらしい。そもそも、生徒委員会が誰か1人フリーでないと使えないというのも訳がわからない(どうせ教員室にいるだけ)。
しかも、放課後に印刷(これはいつもやってる)さえもできないという。なぜなら、「放課後活動だから」。現在教員によって放課後の活動は一律で制限されている。
だからといって、一人でする印刷をも制限する必要はあるだろうか。部活でもなければ、会議でもない。一体なんのために制限されているのかもわからない。(そもそも制限当初から説明はなかったけど。)
教員の陰謀により時間の有効活用手段を失った僕は、13:45に直帰した。
で、朝早くに出ていかなければないのである。昨日印刷していればよかったものを。
AM 06:45
中目黒駅。なんとか7時に学校に着きそう。 別に、僕が早く起きるのはいいのである。それより、僕に合わせて早く起きてくれた親に申し訳ない。なんで、理不尽な制限で不必要な制約を求められなければならないのか。
生徒自治は、諸先輩方によって麻布生の当然の権利となった。もちろん、それを守っていかなければならない。そのための信頼関係の構築は最優先課題である。
コロナ禍である程度の制限は必要だが、それが本当に必要なのか。「生徒の自主的な活動は基本的に自由である」という原則に基づけば、その範囲は最小限になるべきである。
そして、その決定に生徒が介入する余地がなかったことも大問題である。例えるなら、あなたの部室に突然教員が踏み込んできて「今この瞬間から使用禁止ね」と言うようなものである。「は?」と。誰が決めたねん、と。知らんがな、と。ここは我々が管理しているのだから制限をかけるにあたり相談するのが筋である、と。
もはや、独裁政治なのか。麻布の自治は終わったのか。いや、そんなことはない。そんなことがあってたまるか。築かれてきた自由をコロナごときに奪われてたまるか。
AM 06:51
広尾駅。冷え切った空気が手に突き刺さる。
もう、走る気力も体力もない。こんな状況を早く変えなければ、という焦り。いい加減にしろ。
AM 06:57
麻布中・高。
ごめん、朝礼には行けません。
いま、二応にいます。
この学校の全員に配布する広報を
私は作っています。
本当は、あの頃が恋しいけれど......。
でも、今はもう少しだけ知らないふりを
します。
私の作るこの広報も、きっといつか、
誰かの青春を乗せるから。
(紙に残る仕事。予算委員会事務局)