希望という名のサヨナラで帰り道角を曲がった先の鐘を鳴らすのは黒い羊
先日、音楽の最後の授業があった。
ご存じでない方のために説明しておくと、高校は「芸術選択」として工芸、美術、音楽、書道のどれかから選ぶことになる。
僕は美術を選択したので、音大でも行かない限り最後の音楽の授業である。
思えば、いろんなことがあった。
幼稚園で鍵盤ハーモニカに色付きの音名シールを貼って演奏したところに始まり、区の音楽会の倍率1.1倍の抽選に落ちて泣き、2度目の「旅立ちの日に」を歌うところまできた。
あれは、小学校のこと。
うちの学校には「校歌演奏隊」ちゅーのがあって、6年生の中から希望者が各々担当の楽器を演奏して校歌を奏でる、というもの。ピアノ(と言っても電子だが)が2枠とオルガン4枠と鉄琴と木琴と…というわけである。
当然、楽器の数には限りがあるので希望者全員を受け入れることはできない。つまり、5年生後半の選抜期間で選抜する必要がある。今思えば、5年生の子どもたちにはあまりに重すぎた。
僕はピアノをやっていたのもあって当然その枠を希望した。幸い、天才肌のもう1人の男子と僕の2枠で収まるーーーーーかに思われた。
小学校の音楽教員が、曲者だった。いわゆる「キャラが強い」感じで、自分の気に入った子を贔屓するタイプだった。僕もそれなりに贔屓してもらっていた方だと思う。(とあるバイオリンの弾ける男子のためにバイオリンを買ったという話もある。冷静に考えてやばいだろ。)
けれど、もう1人のピアノ枠にいた男子はその何倍も贔屓されていたのは誰の目に見ても明らかだった。彼は、本当に「天才肌」故にやや心無いというか身勝手な発言も多い感じで、クラスメイトに嫌われてはいなかったが特別好かれているわけでもなかった。
ただ、音楽教員は違った。自分の好きなように校歌をアレンジして弾く彼が魅力的に映ったらしい。具体的なエピソードが浮かばないのが痛恨の極みだが、ぞっこんだったのだろう。
一方僕といえば、練習時間もなかなか確保できなかったこともありミスを繰り返した。おまけに勝手にアレンジする彼に合わせることはできず、選抜期間の終わりを目前にしてもなかなか足並みが揃わなかった。
そんなある日、オルガン志望の女子がある話をもたらした。
僕より彼女の方が上手かったのは確かだろう。
けれど、あまりに突然の情報に僕は混乱した。
後から思えば、その兆候はあった。教員が、選抜期間中に当時の6年生、つまり一個上の生徒に色々と指示をしているのを見ていた。
その中で、「あの女子を説得してピアノ枠に動かせ」という指示があったという。直接聞いたわけでもないが、3人応募したという形にして、僕を落とす意図があるのは明白だった。
何が、何が嫌でそんなことをするのか。
僕は何も悪いことをしていないではないか。
そんな思いで、何日も悩まなければならなくなった。
結局、彼女は「オルガンをやりたい」と譲らず、ピアノ枠に来ることはなかった。
(それ以来、「(彼女)のこと好きなんじゃないの〜〜?」と煽られるたびに「好きとかじゃなくて尊敬」って答えてた。懐かしい。)
最終的に、僕は彼と一年校歌合奏隊をやり、後輩が来るのを見届けて小学校を発った。
同じ年、教員も市内の他の学校に異動になった(離任)。
このままではただの意地悪い人になってしまうので良いエピソードを足しておこうと思う。
音楽自体に関しては、すごく熱心な先生だったと思う。やる気がすごかったのは間違いない。小6の、難しい時期の人々とは、なかなか合わなかったけれど。
でも、今すごくうれしいな、と思うのは、この曲の種を僕に蒔いておいてくれたことだ。先日、久しぶりに聞いてしんみりしていた。
いろんなことがあったけれど、色々新しいものと出会えました。
みなさん、ありがとうございました。
そんな僕が来年1学期、土曜3・4時間目のお楽しみ講座で「音楽理論:旋律から和声まで」という講座を取った話、そしてそんな僕が
とか、
とか、
とか、
とか、
とか、
とか。
これだけじゃないけど、そんな歌詞にハマるようになったのは、また別のお話。
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