感情的だしきれいでありたいし
生きるっておもしろいです。
いろんなことがあるなぁってつくづくおもいます。
説明のつかないこともたくさんおこります。
あくまでも自分の中で、なんですがね。
感情と思考、表面に出る態度が乖離していることもときどきあります。
意図的なことも、そうじゃないことも。
ただ、基本的にわたしはたぶん「上手い人」ではないんです。
上手く笑えないし、うまく立ち回ることもできない。
そういうことができる人に憧れもするんですが、だいたいうまく振舞えないんだよなぁ。
ただ、「きれいでありたい」ってとてもつよくおもうんです。
これは容姿の問題ではなくて(もちろん容姿も美しくなりたいのはやまやまなんですが)きれいごとと言われようがそんな人間はいないと諭されようが「自分にとっての正しさ」だったり「理想」に対してできるだけ忠実でありたい。
窮屈に感じられるかもしれませんし、「堅苦しい!」と笑われることもありました。
そういう自分自身の決まりごとが呪縛と化して自分を縛るばかりでなく他人に迷惑をかけることだってあるかもしれない。
それは本当に気をつけなくちゃっておもうんですが、自分自身に関しては納得できるように生きたいんです。
ただ、そういったことって固めすぎてしまうと全然周りが見えなくなってしまいがちで、しかもそれに自分で気付くのは至難の業なのでこわいことですね。
「何事もバランスだよ」
と口にするのは簡単で、しかも一見それが正しそうに見えるから余計タチが悪い。
いや、現実的には正しいことなのかもしれませんが、それができていたら悩まんだろうよとおもうのです。
正しいか正しくないかなんて究極その人の中にしかなくて、完全に人それぞれなんじゃないかと思う部分もありますが、だからといってなんでもいい、なにしたっていいとはなりませんよね。
ある程度のルールの中でみんな生きている。
その生き方は人それぞれ違って、そういうのってなんかいいなっておもうんです。
ただ、全部をわからないままに受け入れる準備は全くできてない。
ということは最近よくわかってきました。
「いいな」って思うのは理想の部分で、現実の自分の感情はそんな聞きわけがよくなくて「わからないこと」「理解ができないこと」に対しては「え、やだ。」って反射的に拒否することがほとんどな気がしています。(うぅ、情けない…)
いまのところの自分には全然できる気がしていませんが、これまでお世話になってきた方々の共通点を探してみると、みなさま一貫して「わからないことをわからないままに受けとめることができる」ような気がしています。
包容力というよりも受容性といいますか、なんだかとてつもなく大きいなぁと感じるんです。
共感ってものすごく難しいと思っていて、「わかってほしい」けど「あなたになにがわかるんだ」って相反する気持ちも同時に抱えていたりしませんか?
少なくともわたしはそうで、「わかるよ」って言われることが割と苦手だったりします。
世間話だったら全然気にならないのですが、それが自分の核に触れる部分の話だとなかなか素直に受け入れられないことが結構多いんですね。
そのあたり、先にふれたお世話になってきた方々はあんまり「わかる」って言わないんです。
もしかしたら「わかろう」ともしていないかもしれないけれど、「とりあえず受けとめてもらえてる」っていう感覚があって、接し方が一定で基本的にぶれない。
そういう安定した人にとても憧れがあります。
感情的できれいごとばかりな今の自分には程遠い気しかしませんが、目標です。
あぁ、目的地をあまり設定せぬまま書き流してしまいました。
今日も長々とお読みいただきましてありがとうございます。
また、お目にかかれますように。
おくり化粧師 Kao Tan
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