7. 自分はどう語られ、どう憶えられるか
納棺師の木村光希(きむら こうき)です。
だれかの大切な人である故人さまと、大切な家族を亡くしたばかりであるご遺族の、最後の「おくられる場」「おくる場」をつくることをなりわいとしています。
自分はどう語られ、どう憶えられるか
前回のnoteでお話しした「死への距離感」ともうひとつ、ぼくが今までおくってきた故人さまから教えていただいた、大切な「生き方の指針」があります。
それが、「自分はなにによって憶えられたいか」。
自分は、どんなひとだったと語られたいか。どんな思い出を遺したいのか。
具体的にイメージしてみたいと思います。
みなさんにも、大切なひとや仲のいい友人がいることと思います。
いまそのひとが命を落としたら、自分はお別れの場でどう「おくる」でしょうか。
きっと関係が近ければ近いほど、彼/彼女の言動や表情、好きなことや嫌いなこと、打ち込んでいた仕事やひととなり——
たくさんの「あのひとといえば」があふれ出てくることでしょう。
ではもし、「故人」があなただったら?
自分は「どんなひとだったと語られる人間」なのか、想像できるでしょうか。
夫や妻、親や子ども、知人友人からどんなふうに、「あのひとと言えば……」と言われるでしょうか。どうおくられるでしょうか。
「真面目なひとだった」とか「やさしいひとだった」といった、だれにでも当てはまるようなことば以上の「あなた」が、そこにいるでしょうか。
それだけの関係を、近しいひとたちと築けているでしょうか。
亡くなるということは、身体も意識も、すべてを失ってしまうということです。
ですから、「かつて自分という人間が存在していたこと」は、あなたのことを憶えている周りのひとしか証明できません。
戸籍や卒業生名簿に残ったとしても、それは「あなた」とは言えない。
遺されたひとたちの記憶だけが、自分と世の中をつなぎ止めるわけです。
そしてぼくたちは、たくさんのひとと共に生きています。
家族、友人、ご近所さん。仕事仲間に取引先。
習い事の先生や子どもの友だちの親御さん、いきつけの居酒屋のマスター。
関係の濃淡はあれど、自分という存在はきっと多くのひとの記憶に刻まれているはずです。
自分がいなくなったとき、「あのひとは……」と語ってくれるはず。
彼らに、どう憶えられる人間でありたいか——
この問いについて考えつづけることが、より充実した、密度の濃い日々を生きるためのヒントになるのではないか?
たくさんの納棺と葬儀を経験するなかで、ぼくはそんな思いを抱くようになりました。
「死への距離感を決める」のは、死ぬときに後悔しないための、日々の指針です。
後悔しないために実家にもひんぱんに顔を出したり、義理の両親に旅行をプレゼントする計画を練ったりする。
すべきことやしたいことを、先延ばしにしない。「○○してあげればよかった」「○○しておけばよかった」と思わないため、時間に対してわがままになろうと考えています。
そして「どう憶えられたいか」は、「後悔しない」よりもうすこし前向きで、能動的な感覚です。
自分が進む方向を定め、それに向かうことで自分に対して成長を感じたり、人生に充足感を得たりするために必要な視点と言えるでしょう。
たとえばぼくは、自分がいなくなったあとも納棺や別れによって救われるひとを増やしたいと考えています。
日本全国、そしてアジア各国にまでぼくたちの納棺のやり方を広めることで、救われるご遺族を増やしていきたい。
だからこそ、納棺師を育てる育成機関「おくりびとアカデミー」の主催者としても、「おくりびとのお葬式」の代表としても、アクセルを踏み込んでいるわけです。
おおきな目標のために、やったことがないこと、いまはできないことにも前向きにチャレンジして、もっと成長しようと考えている。
そうして、「木村さんはいいお別れを社会に増やしたよね」と語られながらおくられたら本望だな、と思っているのです。
これは決して名誉欲や功名心ではなく、あくまで「どう生きたいか」の話です。
どう憶えられ、どう語られ、どうおくられるかを考えることで、自分の人生に真剣になれる。
「なにを成そうか」と考え、それに向かって努力しようと胆力がわいてきます。
自分は、自分の人生で、なにをするひとになりたいか。どんなひとになりたいか。
こうした問いに向き合うことで、自分の生き方を遺すということなのです。
つづく
※本記事は、『だれかの記憶に生きていく』(朝日出版)から内容を一部編集して抜粋し、掲載しています。