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ボロ

わたしには産まれてからずっと一緒にいる相棒がいる。

その名もボロ。

産声をあげた産婦人科のロゴが入っている、正真正銘世界に一つしかないボロ。
優しいクリーム色で、丁度いい手触りのボロ。
安心する匂いに包まれている22年目のボロ。
どんな夜も枕元で一緒に寝たボロ。
辛い朝も包まれながら一緒に立ち向かったボロ。
汚いから、と洗濯しようとする親から守るために(?)握りしめ断固拒否したボロ。

ボロとの出会いは22年前、恐らく病院からの記念品的なもので貰ったのだろう。私はボロに包まれて病院から家に辿り着いたのだ。(多分)
その頃のボロは見るからにふかふかで、大きくて、小さい私の身体を優しく包み込んでいた。
寝ている私の横にはいつもボロがいた。
寝起きにリビングに向かう時もボロは一緒だった。(引き摺られながら)

いつしか私はボロよりも大きくなり、ボロで全身を包み込むことも出来なくなった。
度々洗濯の刑に晒されてしまったボロは、少しずつ、体積を失っていった。
それでもボロを愛し、手触りを堪能し、匂いと存在に安心しながら一緒に生きていた。
ちぎれかけても、おばあちゃんに頼んで繕ってもらった。


この世は無常、諸行無常
ボロは本当にボロボロになりかけていた。

高校生になった頃、見かねた親が似た生地のタオルケットを買ってきた。
『ボロは捨ててこの子を2代目のボロにしなさい』
そんな簡単にボロを捨てられてたまるか!と、私は来る日も来る日も拒否し続け、 赤ん坊のようにボロを守った。
しかしこのままだと、ボロと一生を添い遂げられはできない。いつかきっとボロが物理的に消えてしまう。
『手離したくない!』と赤ん坊の私、『いや、現実的に考えてどうにかしなきゃダメだ』と高校生の私。

とりあえず、新しいブランケットが身体に馴染むよう意識的に使いつつ、ボロも丁寧に使い続けることにした。
ボロ2代目制作の始まりである。

大学生になった。

ボロもブランケットももちろん一緒に上京した。

新しい環境に人間関係、見たことない満員電車に疲れた日も、いつだってどんな夜もボロは迎えてくれた。

この頃からやっとブランケットがいい感じに身体に馴染みはじめ、ボロを酷使することは無くなった。それでもブランケットはブランケットのままだった。

小さくなりすぎたボロは、ベッドと壁の隙間から落ちることが増えた。起きたらボロの破片が転がっていることも増えた。このまま使い続けたら本当にボロを超えて無くなってしまう。
私は2代目ボロの制作に勤しんだ。

そうして、ブランケットも中々の貫禄になってきた。
うん、この調子ならあと数年後には2代目ができ上がりそうだ。ボロ職人の腕は伊達じゃない。


『そのブランケットもボロボロじゃない?毛が抜けるから新しいのにしなさい』

はたまた親からの残酷な提言である。ブランケットももう6年以上。元々の生地性質のせいか、糸くずが落ちやすくなっていた。親はそれが気になって仕方なかったのだろう。(本人は気にも留めていなかったが)
親が家に来る度に、ブランケット捨てる捨てないの攻防戦争が勃発していた。(もちろんボロも)

そんなあくる日、余りにも頑固すぎる私に折れた親が新しいメンバーを連れてきた。
片方はタオル生地、片方は肌触りのいい生地。初代ボロを彷彿とさせるクリーム色。そして可愛いミッフィーのボリス。

仕方ない!それまでブランケットだったものはボロ(2代目)に昇格し、新しい面子がまた新たなブランケットとなった。

初代ボロは布切れとなってしまった。
このままだとボロの命が危ない、そう判断した私は、無くなるよりかは…と丁重に扱い、思い出と匂いとともにジップロックに永久保管した。これは重要文化財だ。

初代ボロを断ち切って、2代目ボロになってから1年〜2年。ようやっとこの体制にも慣れてきた。


傍から見れば異常な行動だろう。成人女性がひとつの布切れに執着する姿。赤ちゃんじゃないか、と。
しかし本人は至って真面目、必死。死に物狂いである。
ボロは自分の分身のようなもの。安心する居場所を与えてくれる存在。変わらぬ匂いと手触りは、常に絶対に自分の味方でいてくれる。

封印する時はかなりノスタルジックになった。
大人になったって、子どもの精神は根底にあるのだ。
三つ子の魂百まで。まさにこのとおり。
スヌーピーに出てくるライナスなら分かってくれるはずだろう。
死ぬまでに何度この行為を繰り返すのだろうか…


死ぬ時は棺桶に一緒に入れてくれ。



ps ブランケット症候群、安心毛布、ライナスの毛布、という呼称がちゃんと心理学にあるそうです。ググってみてね!






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