小旅行記 江ノ電
海の無い県に生まれ育ったからだろうか、どんな近場でも海まで来たら心が旅仕様になる。
鎌倉。一時間ほど掛かるが最寄りから一本で行ける。何度も鎌倉に行っているがどれも日帰りで、心が擦り減って限界に達したときに衝動的に行くことが多い。今回もいつも同様、連日の心のドタバタですっかり心が擦り減ってしまったので、時間とお金に余裕が無い中なんとかして鎌倉へ向かう。「まるで何もかもから逃げているようだ」と、湘南新宿ラインにガタゴト揺られながら、車窓をぼんやり眺めて思う。「まるで」ではなく実際そうなのだ。煮詰まった作業から、何も見えない未来から、面倒な人間関係から、私は私の体と心だけを持ち出して逃げているのだ。徐々に色付き秋めき始めている木々、徐々に低くなっていく建物、そこにある私の世界がすごい速さで遠くに流れていく。清々しいほどビュンビュンと、私から流し落とされていく。
鎌倉駅に着くと慣れた足取りで江ノ電のりばに向かう。鎌倉駅周辺の鶴岡八幡宮やそこまでの小町通り、ガヤガヤした通りを横に入った、人一人通るのがやっとなほど細い路地など、お気に入りで行きたい場所があるのだが、今回は時間が無い。起きた時に衝動で「鎌倉!」と思い立ち家を出たので、もう昼だ。夜に一つ予定があり、日の沈まない内に帰る弾丸旅行なので、ひとまず帰りに時間に余裕があれば来るとして、江ノ電に乗って西へ行く。
江ノ電のりばの券売機で、”のりおりくん”と言う可愛らしい名前の一日乗車券を買う。大人800円と、名前の通りに乗り降りしない限り割高で、今回のような弾丸旅行では買わない方が少し安く済むことがほとんどなのだが、迷わずそれを購入する。これは私の鎌倉旅行のこだわりで、買い切りの為いちいちPASMOの残高を気にする必要が無く、行きたくなった場所にストレスフリーに向かえるのが心を休める旅にうってつけだ。そして何より回収されることの無い紙の券で発券されるので、帰った後は鎌倉旅行に行った記念のお土産にもなるのがすごく良い。のりおりくんはPASMOとほぼ同じサイズなので、私はカードケースのPASMOの裏に毎回それをアーカイブするようにしている。鎌倉のように、特にお土産を買うほどでもない近場の旅行の際はおすすめのお土産だ。
まずは極楽寺に向かう。ここは是枝裕和監督の映画『海街diary』のロケ地で、主人公である香田姉妹の家の最寄りの駅だ。好きな映画を尋ねられた時に、相手やその時の気分次第で色々な映画を返答するが、どんな時でも最終候補に入るほど、この映画が好きだ。
最初はいわゆる聖地巡礼の一環としてこの駅に降りたのだが、今ではその目的以上に駅のホームでしばらくぼぉーっとするために毎回ここに来ている。今回も降車し駅を出て、極楽寺で参拝を済ませてから、駅のホームでぼぉーっとする。何で極楽寺駅でなのかと言うと、この駅は海沿いから少し陸地に入った場所にあり、賑やかな観光客の目的地では無い駅でとても静かなのだ。周辺には草木が程よく生えており、ホームの脇に細い水流があったりする。そういった訳で、私はこの駅のホームで草がサワサワ触れ合う音や、水がチョロチョロ流れる音を聴きながら究極のリラックスタイムを過ごす。次の目的地は七里ヶ浜で藤沢方面なのだが、目的の電車を一度乗り過ごしてぼぉーっとする。先週おろしたコートに包まってポカポカしながら、目を瞑って息をゆっくり吸ってゆっくり吐く。20~30分ほどひたすらぼぉーっと、ぼぉーっとする。極楽。
ぼぉーっとし終わり藤沢行きの電車に乗った時点でこの旅の目的である、擦り減った心の回復はほとんど達成されていたりする。
次は七里ヶ浜に向かう。ここを舞台にした作品を挙げたらキリがないほど有名な海岸である。中でも私は松本大洋の『ピンポン』を思い浮かべる。『ピンポン』は原作漫画もアニメも良いが、漫画作品に珍しく実写映画も良い。作中によく出てくるのは片瀬海岸の方だが、実写映画でのペコとスマイルが部活をサボって七里ヶ浜を歩くシーンが好きで、ここに来るとそのシーンを思い浮かべる。
私は海が好きだが、冬の海が特別好きだ。海に行くのは夏よりも冬の方が多い。シーズンじゃない砂浜には人がまばらにしかおらず、目一杯散歩することができる。人の居ない寒い砂浜で、潮騒のザーンザーンという音をずっと聞いていると、なんとも言い難い、少し怖いような感じがする。その感覚が好きだ。砂が靴に入らないように気にして少し変な歩き方になりながら、心の中で実写版でペコを演じている窪塚洋介を憑依させてフラフラ歩く。江ノ島を眺めながら、時々波打ち際ギリギリを歩いて、打ち寄せる波からぴょんぴょん逃げたり、砂浜に肉球の跡を見つけて、「猫いるの⁉︎」と周りをキョロキョロ見回したりする。これらの行動を全て一人でやっている。側から見ている人もいないし、見られても構やしないと思える、今の私。はたともうすっかり心は回復していることに気付く。
そうしてずっと目の前のことしか考えずに窪塚洋介になりきったまま歩いていたら、江ノ電の鎌倉高校前駅を行き過ぎたところ、小動峠の手前まで来ていた。次は江ノ島に行くのだが、一度砂浜から上がり腰越橋を渡って江ノ島へ向かうか、一度戻って鎌倉高校前駅から江ノ島駅まで行って江ノ島に向かって歩くか、悩む。私はこの行き当たりばったりな感じこそが旅の本質だと思っている。慣れない土地で右往左往する。その時に頭にあるのは、こっちの道の方が楽しそうだとか、何か美味いものが食べたいだとか、目の前のことばかりで、それまで日々私を押さえ付けていた悩みなど彼方に脱ぎ捨てている。その心地よさたるや、まさに旅の本懐である。
結局私は鎌倉高校前駅から江ノ電に乗って江ノ島へ行くことにした。砂浜を歩くのに少々疲れたので砂浜から上がって、江ノ電の線路に沿って歩き始める。ちょうど鎌倉行きの電車が住宅街を抜け緩やかに左折し、私と並走してきた。私はアニメ『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』を思い出す。このアニメのオープニングでちょうどこの道を主人公の咲太がthe peggiesの「君のせい」のサビで江ノ電と並走して走ってくる。そのシーンを思い出してよそよそと駆け足をしてみたりする。青ブタシリーズの聖地巡礼なのか、江ノ電の線路全域の中でも指折りの撮影スポットなのか、観光客が江ノ電をバックに撮影をしていたり、撮り鉄と思しき人が三脚を立てて撮影していたりする。何を見られても構やしないという心持ちなのはさっきと変わらないものの、人目に加えてレンズまでこちらを見ていたので、よそよそと駆け出してみたものの、さすがに恥ずかしくなって”江ノ電を横目に歩く人”を装うことにした。
鎌倉行きの江ノ電の乗客にとって、この腰越-鎌倉高校前間のカーブが初めて湘南の海が一望できる場所である。青ブタの話に戻るが、作中で咲太が不登校の妹のかえでを連れて江ノ電に乗るシーンがある。少し朧な記憶ではあるが、家の外であること、人がたくさんいることに怯えていたかえでが、咲太に「そろそろ海が見えるよ」と促され顔をあげるとブワッと湘南の海が広がり、それに感動すると同時に彼女が閉じていた心が開き始めるという素敵なシーンだったと記憶している。車内の乗客の表情を下から眺めてみると、皆が海を眺めている。車窓を眺めていて海に気づく人。気づいた人に促され海を見る人。周りの異変に気づいて海を見る人。江ノ電は乗客の中の観光客率が平日でも多いことが多々あり、私が見た車内にも観光客のような格好の人がたくさんいた。それぞれにそれぞれの日常があり、そこから解き放たれる為にここへ来ている。海が契機となり、皆があのシーンのかえでのように感動し、心を開いているように見えた。美しい風景とそれを魅せる江ノ電の粋な計らい。自分はこの土地が好きだなと実感する。
観光客で激混みしているスラムダンクの例の踏切りを横目に、鎌倉高校前駅に着く。ここの駅のホームも極楽寺駅とは違う意味で最高のホームだ。片側のみのホームの目の前に一面の湘南の海。実家の最寄りがここだったら一生自慢できるんだろうなと思う。外国の方と話す時も「This is my hometown station.」と写真を見せれば、「Wow! Amazing!」みたいに陽気な返事が返ってきて、その後の会話も円滑に進むんだろう。とか考えている内にやって来た電車に乗り込む。いよいよ江ノ島である。
ようやく江ノ島駅に着いた。すっかり日も傾きかけてきて、少し急ぎ足で江ノ島へ向かう。毎度思うが江ノ島駅から江ノ島までが想定していたよりも距離がある。通りの美味しそうな匂いにフラフラ釣られながらも、目の前まで来て硬い意志でそれを跳ね除けるので、まるでピンボールのように忙しなく江ノ島へ向かう。なんとかさっきまで歩いていた国道との交差点まで来た。江ノ島への道がスウーっと開かれている。江ノ島大橋を渡る。陸繋島という単語は学校で習ったけど、改めて不思議な地形だと思う。今は潮が割と高いので下は海だが、時期によるが干潮時には歩いて江ノ島まで行けることもあるらしい。神秘ですなぁと大雑把に的を得たような感想を抱きながら歩く。
江ノ島に渡ると、江島神社へと続く仲見世通りが出迎えてくれて、京都の清水寺周辺や広島の宮島に似た趣の賑わいが島中に所狭しと並んでいる。島というより観光要塞だなこりゃと思う。時間も無いのでそそくさと江島神社へ向かうとする。が、やはり道中のソフトクリームだの、たこせんべいだの、誘惑が半端ない。江ノ島に入るまでの道中から耐えてきて、ちょうどおやつどき、思い返せばちゃんとした昼食も摂っていなかった。お金に余裕の無い旅だけど、旅先で何も食べずに終える旅というのは寂しいではないか、そんなものを果たして旅と呼べるだろうか、という意見が脳内会議で支持され始め、あっという間に議員全員が賛同していた。
私は近くにあったたこせんべい屋さんに並んだ。決めたら早い私である。以前夏休みに江ノ島へ来た時ほどではないが、平日の昼下がりなのに10人近く並んでいた。美味しそうな匂いが充満する列の中、目の前でぺぎゅーーっとタコが凄い力で潰される音が聞こえる。タコには悪いがその音が私の食欲を一層掻き立てるのだった。私はお土産のたこせんべいは食べたことあるが、タコ一匹を丸ごと潰した出来立てのたこせんべいを買うのは、何度目かの江ノ島で初めてだ。心はワクワク、お腹はペコペコさせながら待っていると、すぐに私の番が来てお金を払う。一番オーソドックスっぽいたこせんべいを一枚、500円。牛丼の方がお腹膨れる———、ブンブンと頭を振り邪念を払い、目の前で潰されるタコを見つめる。熱そうな鉄板にポンと小ぶりのタコが置かれ、バタンと鉄板で挟まれる。「やめたげて!」と思ったのも束の間、追い討ちをかけるようにハンドルを回して加圧されていく。成人した私のおめめがパチクリと開き、哀れみを超えた境地、驚嘆と興奮に包まれる。ぺぎゅーーっと潰れる音と共に美味しそうな匂いの蒸気が立ち上ってくる。これほど心の奥底から人間に生まれて良かったと思ったのはいつぶりだろうか。
出来立てのたこせんべいを手渡されてその大きさに驚いた。もうワンランク大きいものもあったが、ケチってこのサイズにして良かったと思う。この大きさでも食べ歩くには少々憚られるサイズである。とりあえず店の脇に立って、普段より幾分心のこもったいただきますを小さく伝え、バリっと一口食べてみる。この美味しさと来たら、一人なので跳ねはしなかったけれど、思わず背筋が伸びるような美味しさ。普段タコを食べるのはたこ焼きやタコの唐揚げが多くて、周囲の味やたこの食感が邪魔して、タコの味なんか気にしていなかったかもしれない。たこせんべいは主張控えめの味付けであり、タコ特有の食感は殺されているため、今まで蔑ろにしてきた、タコ本来の旨みを存分に感じられる。
この文章は自宅で振り返って書いているので、たこせんべいの感想を具体的に、やや文学的に言い表せているが、食べている瞬間は「たこせんべい、うま〜」という陳腐で非常にざっくりとした感想を抱きながら歩いていた。少し人気の無い場所で出来るなら座って落ち着いて食べたい。そう思っていると、一度通ったことがある路地を見つけた。以前時間に余裕がある旅行の時、江ノ島を隈なく歩いていたら見つけた、人気の少ないプラベートビーチ感覚の浜に繋がる路地だ。ここだと思い路地へ入る。民宿の裏口っぽいところや家屋の間を通っていく。ふと住所のプレートが目に入って驚いたが、ここは藤沢市江ノ島から始まる住所らしい。「年賀状に一人いたらアガるな〜」とか思っていたら浜へ出た。平日だからか誰もいない、大好きな貸切である。コートがおろしたてということもあり、砂浜に座るのはちょっと嫌だったので階段に腰をかける。目の前で海を見て、磯の香りを感じながらたこせんべいを食べる。格別に美味しかった。近場で日帰りの弾丸旅行ではあるが、紛う事なき旅である。
不意に右側に気配を感じた。右側には雑草の生えた空き地にたくさんの褪せたカラフルなサーフボードが積み重ねられている。その積まれたサーフボードの上、一匹の三毛猫がもっこりと座ってこちらを見ていた。にゃんと。いつからいたんだろうか、ここへ来た時にはいなかったように思う。サーフボードの上に猫って、どんなけ湘南なんだよ。よし、お前は波乗り猫のジョニーだ。あ、でも三毛猫だから多分メスか。まあいいや、ジョニーだ。と、突然の猫出現にテンションが上がり、高速で思考を巡らせ命名まで済ませたところでふと思った。ジョニーはたこせんべいの匂いに釣られてひょっこり出てきたのだろうか。にゃーと甲高い声でたこせんべいをたかられたらどうしよう。別にあげてもいいけど、猫はたこせんべい食べていいんだろうか。ここらでは猫に餌を与えちゃだめだったりしないだろうか。猫が好きだが飼ったことは無い人間の恥ずかしい姿を露呈していると、首輪をつけていないことに気がつき、ジョニーもずっと一定の距離感を保っているため、あまり人間になれていない警戒心が強い子なのだろうからたこせんべいの件は大丈夫だろうと思い至った。
ジョニーに見つめられながらようやくたこせんべいを食べ終えた。徐々に空が赤く染まり始めている。秋も終盤ですっかり日が短くなってきた。今から江島神社に参拝に行くには時間も無いし、何よりたくさん歩いて疲れた。あの階段だらけの神社を参る気分にはなれない。極楽寺駅を出てからは飲食店に立ち寄るのを我慢していたし、江ノ電は混んでいて座れなかったしでずっと動きっぱなしだった。そして一度座ってしまったことで忘れていた日々の疲れがどっと押し寄せてもう立ち上がりたく無くなっていた。ただぼんやりと海や空を眺めてこの旅を締めることにしよう。脳内会議を通さず本人権限でサクッと決定したが反対する者は一人もいなかった。この小さな旅にも旅愁は生じるもので、一人で居るには物寂しく感じ始めジョニーを撫でたいと思い、にゃあと話しかけてみたり指を差し出してみたりしたが、やはり警戒心が強いのか、ただ私を眺めたまま姿勢を崩すことは無かった。つれなさに若干の寂しさは感じだが、この誰もいない静かな砂浜で逃げないで私と一緒に居てくれるだけで、なんだかジョニーの温かさを感じられたような気がして充分だと感じた。
旅先での素敵な風景やそこでの穏やかな時間の中にいると、ふとこんな場所にお墓を建てて自分がいつか死んだときそこで眠っていたいと思うことがある。友人と過ごした沖縄の離島の海と星が綺麗な海岸、家族と過ごした山中湖の荘厳な富士山が一望できる静かな湖畔で、家族と過ごした雄大な北アルプスに包まれた上高地の白樺の木の側で、そんなことを思った記憶がある。不思議と10年ほど前に行った海外旅行ではその思いは起こらず、楽しさや感動だけじゃない、悲しさや寂しさなどの負の感情も少量織り交ぜないといけないようだ。このことを思い出したのは、今まさにその思いが胸の内に湧き上がったからだった。ついさっき出会った猫と過ごした江ノ島の人のいない静かな浜辺、が私の新たな墓地候補地。江ノ島の西側に位置するこの海岸からは茅ヶ崎の海岸から伊豆半島までの曲線が見える。その先にはちょうど私の祖先が眠るお墓、私が入る墓暫定一位がある方角だ。
ぐるぐると思考を巡らせながら、もう少しだけ、もう少しだけと染まりゆく空と波打つ水面を眺め続けていた。ふと右側に目をやると、ジョニーはいつの間にかいなくなっていた。私もそろそろ帰らないと。立ち上がり、尻をパンと払い、ジョニーの居た方へ手を振る。また来ますね、と口を動かしてその場を後にした。