
おばけ
このところずっと、わたしの身体のどこか内側が震え続けている気がする。最近スマホを触る頻度が上がったのは、それから気を逸らすためかもしれない。
ソファに横になり、部屋に飾っているスケーターたちのポスターを見て、どの子と触れ合うのが一番楽しそうかとぼんやり考える。オレンジの額縁、ポスターの中のラフな格好をした男の子たち。
彼らはこちらを見たり、座っていたり、横を向いてペットボトルの水を飲んでいたりする。何人かに対して彼らの愛情表現にどんな特徴がありそうか予想した後、きっとここに写っている男の子たちはみんなキラキラしてるから、誰が一番かなんてわたしが選ぶことじゃないな、と思った。
わたしの恋はどこか許可制で、相手からの好意を感じないとなかなか始めることができない。もしものもしわたしがこのポスターに写っている紅一点であったとしても、誰が私に興味を持つかとか、つまり選ばれることで関係が始まることになるだろう。
まぁ、そもそも私はこの子たちを知らないし。こんなことを考えること自体が、おばけ的に見てどの男の子も「アリ」ということなんだろうなと思い、目を閉じた。
この前の日曜日はおばけが現れたせいで、すごく久しぶりにあそこに出来物が出来た。前々から区の子宮がん検診に行きたかったので、合わせて診てもらえれば早く治るだろう。雑誌の上にぽんと置かれていたピンク色の封筒を開き、中身を確認したところで熱量が下がってしまった。結局さっきからずっとソファーに寝転び、スマホを触っている。スマホをずっと触っていると疲れるから、しばし目線を外しぼーっとしていると、またポスターに目が向かう。私は私の中のおばけと会話をする。
「この子たちのこと、どう思う?」
おばけについて説明するならば、性欲だろうか。いや、厳密には性欲とも少し違うのだけれど、まぁ、近いものだとは思う。私の中の、性のおばけ。
ここのところ感じている小刻みな震えは、おばけが外に出たがっている合図なのかもしれない。このドアを開けて欲しい。外に出たい。おばけはそんなことを願いつつ、わたしの身体をガタガタと揺らす。
どうしようもできないの、ごめんね。わたしはおばけに謝る。おばけが辛いとわたしも辛い。だってそれは確かにわたしの一部だから。わたしの中にある、時々わたし自身にもコントロールが出来ないもの。
日曜日はセックスらしいものの手前で止めてしまったから、おばけ的に気が立っているのかもしれない。でも、わたしは最後までしなくて良かったと思ってるし、実はおばけだって、それは分かっていると思う。好きじゃない人とセックスをするなんて最悪だ。きっとわたしたちは傷つく。だから、そんなことはしない方が良い。
つい先日、向かったバーがやっていなくて、そのせいでそのビルに人気はなく、一緒に飲んでいた男の子は私のスカートを捲し上げ、下着に指を差し入れた。それからわたし自身にも。
快楽はある。わたし自身も性的なテンションは上がっていて、彼がハーフパンツから慌しく出してきた勃起したものを少しの間咥えた。でも、なぜかどこか「これは違うな」ってことは分かっていて、次第に熱は冷め、やめておこうとか言って、体を離す。階段を降りる。曖昧な記憶だけど、日曜日は多分そんな感じ。
人とのコミュニケーションは厄介で、相手がなにをテーブルに乗せるかは未知だ。実際に乗せられるその時まで、なんの準備もできやしない。わたしのお馬鹿で可哀想なおばけは、気が優しくておまけに飢えてるから、反射的にそれに手を出してしまう。
前の彼が大好きだった。私たちは多分、心の相性も身体の相性も、とても良かったと思う。でも、結局私たちは終わってしまって、のびのびと過ごしていたおばけは閉じ込められた。彼みたいにおばけを可愛がってくれる人は、わたしの暮らしにもういない。そう思うと、面白可笑しく暮らす幸せ上手なわたしですら、ちゃんと寂しくなってしまう。
好きな人と抱き合うと、深く呼吸が出来る。正しい呼吸。ひと息毎に身体がリラックスして、心が柔らかく、暖かくなる。セックスが無くても良い。時々は必要だけど。多分あれは、セックスよりも大切だった。おばけは安心して、すやすや眠っていた。
おばけは大切な人とお付き合いが出来ている時、神様へと変わる。言葉にはならないことを伝えたり受け取ったりする大切な神様。
私は幸せだったと思う。そしてそう思える記憶があるなら、つまり今だって幸せなんだろう。
多分これは私の深層心理。いや、もしかしたら、願いなのかもしれない。考えたりしないで、すらすらと頭からただ出てくるほどに日常的な。
ポスターを見るたび、当分はこんな気持ちが続くのかもしれない。男の人のからだを思い出して、元彼を思い出して、おばけのことを考える。震えが止まる時もいずれ来るだろう。
私がおばけの存在を忘れるとか、おばけが死ぬとか、なにかに夢中になるとか、新しい恋をするとか。
とにかく明日は来るはずで、日々の積み重ねる時間は、ポスターを見てこんな気持ちになっていたことすら、きっと忘れさせるだろう。それはちゃんと分かってる。
当分は自分でおばけを可愛がってあげよう、それが出来ればヘルシーだし。失ったもののことばかり考えるんじゃなくて、新しいことをこれから覚えていけば良い。ていうか、それしか道はないんだから。
シャワーを浴びて、おばけを閉じ込めているなんてちっとも気付かれない顔で出掛けよう。今日はどこかで映画を観よう。憧れてしまうような恋人たちが出てくるやつがいい。頭をおかしくさせて、胸を潰そう。
病院には、明日電話することにする。