人には人の幸福論
親として子の幸せを願うのは当たり前だけど、自分の幸せの押し付けになっていないかは慎重にならなきゃいけない。
こちとら人生のn=1でリザルトすら出ていない身なので、自分が経験して良かったこと悪かったことをそのまま子に辿らせることは憚られる。
親になることは自分の人生に対して謙虚になること。
過大評価せず今の自分自身に尊大にならず、あくまで別の個として子に接することが大切なんじゃないかなあ(母親歴4ヶ月目がなんか言うてますけど)。
要するに自分の幸せは誰かにとっての幸せとは限らないという話で、この考えを私はサザエさんの作者である長谷川町子氏の短編漫画でわかりやすく学んだ。
その名も『まんが幸福論』という短編は1967年に読み切りとして発表された。
あらすじは以下の通り
そこに善良な神様が現れ意地悪な神様の企みを阻止する。そのおかげで男は不自由なく裕福な暮らしをまっとうするのだが、死の床で家族に見守られながら「俺の人生は不幸だった。」と告白する。「本当は貧乏でもいいから船乗りになり無人島で独り動物と触れ合いながら暮らしたかった」と言い事切れる。
それを天から見守っていた善良な神様と意地悪な神様は「何が幸福か(不幸か)わからんね」とその場を去る。
幸せは人それぞれ、というシンプルだけど真に理解することが難しい主題をわかりやすく扱った良い漫画だと思う。
頭ではわかっていても、結局なんか明るくて見えやすい方向へ「幸福」を求めて彷徨いがち。新しい洋服を買う時にわざわざ手持ちのワードローブを広げて確認したりするような、マメな性格で居続けるのって大変だし。本だってAmazonレビューが悪ければ手に取ろうともしないんだから、なんか良さそうな方へふらふらっと流れていくよね。
だから自分で意識して、経験値からアドバイスはできるけど船のオールはあくまでも息子に。TOKIOもそう歌ってたし。
今の息子にとって最大の幸福はお気に入りのおもちゃを思う存分舐めること。そして最大の不幸は最大の幸福を中断させられること。
息子より多めに人生やらせてもらってる私からすると、唾でべちょべちょになるおもちゃや洋服を綺麗にしたり取り替えたりする手間がチマっとした不幸(煩わしさ)だし、唾で汚れるのも不快だろうと早々におもちゃを取り上げようとするけど、息子にとって服や自分が汚れることは不幸ではないんだよね。
自分主体の視点でいると、良かれと思ってやったことが息子の幸福を阻んでいることもあるなぁと。
ひたすら試行錯誤な日々です。
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