ついつい観てしまう怪談和尚のYouTube
恐がりなのにちょくちょく観てしまう、怪談和尚のYouTube。夏は怪談の季節、とよくいうけれど、今はもちろん夏ではない。すでにけっこう肌寒くなっているので、涼しくなりたいから怪談を観ている(聴いている)わけではけっしてない。なのに、なぜなのか。
なぜだろう。話の続きが知りたくて、観はじめたら(聴きはじめたら)最後まで観てしまうのだろうか。そして、それを繰り返し(怪談のYouTubeコンテンツが複数あるので)、いくつも観てしまうのか。
怪談=(イコール)恐い話、というのはもちろん基本的に間違いないのだが、私がその怪談(YouTube)を観てしまうのは、恐いからだけではないかもしれない。前述したように私は恐がりで、恐がりでありながら恐い話が好きなのだが(そういう人は少なくないかもしれない)、これってあれだろうか、ある意味「すべらない話」をついつい観てしまうことと同じだろうか。
いや、恐い話とすべらない話(おもろい話)がまったく同じというわけではないし、そんなはずはない。だけど、聴きはじめたら続きが知りたくなるという意味では、同じようなものといえるかもしれない。というか、あれだな、すべらない話に登場するお笑い芸人のように、怪談を語る怪談和尚・三木大雲さん(京都にある蓮久寺の住職)の話が面白い、興味深いということでもあるのだろう。実際、怪談和尚の三木大雲さんはお話が上手だし(少なくとも私はそう思う)。
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