2020年4月24日を忘れないと思う。
2020年4月24日に発行された自著『インタビューというより、おしゃべり。』には、これまで「ほぼ日刊イトイ新聞」に掲載してきたインタビューの中から13篇を採録している。俳優の柄本明さんや山﨑努さん、映画監督の原一男さん、画家の山口晃さん‥‥などに混じって、大学の恩師・坪井善明先生へのインタビューも入れた。とくに思い入れのあるインタビューなので、われらがキング・窪塚洋介さんよりもあと、本の最終章に置かせていただいた。
自分は、究極的には、インタビュー記事はインタビュー相手さえよろこんでくれたらそれでいいと思っている(提灯記事を書くというのとは別の話)。でも、ただでさえ極めて個人的な色彩を帯びざるを得ないインタビューなので、読者に受け入れてもらえるかな‥‥と「ほぼ日」掲載時には不安だった。でも、公開してみたら、多くの読者が好意的に反応してくれた。何かを真剣につくれば、真剣に受け止めてくれる人がいる。そのことのありがたさを、しみじみと感じた。
これは、先生が大学を退任されたときの最終講義が感動的だったため、後日インタビューをお願いして受けていただいたものだ。講義のあと少し先生と話し、別れ、みんなで駅までの道を歩いた。久しぶりに再会した友人たちと、話しながら歩いた。それまであまり話したことのなかったひとつ下のNくんとも、そのとき、ほとんどはじめてきちんと話した。当時、彼はテレビ局でドラマをつくっていて、彼の代表作は、ぼくでさえ知っている大ヒット作だった。Nくんは、学生時代からエネルギーの塊みたいな人で、太陽か向日葵のように眩しく、あかるく才能にあふれていた。遠くから眺めていたかつての印象は、はじめて目を合わせて話した印象と、変わらなかった。自分にないものをぜんぶ持っているようで、密かに憧れを抱いていたことも思い出した。
先生との思い出や講義の感想を語り合ううち、何気なく「坪井先生にインタビューしてみようかなあ」と言ったら、Nくんが「いいじゃないですか、それ」と、やや強めに勧めてくれた。いや、何となく言っただけだし‥‥。そのときの自分は、心の中では本当は、鬼と呼ばれた先生にインタビューするなんてとんでもねーと思っていたと思う。でも「Nくんがそう言うなら‥‥ありうるかも?」と、だんだん思うようになった。こうして後日インタビューは行われ、数年後、はじめての単著の最終章に収録されることになった。Nくんの「いいじゃないですか、それ」がなければ、あのインタビューは生まれていない。
その後、Nくんと会うことはなかったが、本が発売されたら届けたいと思っていた。あの日、背中を押してくれたことへの御礼も、まだ伝えていなかった。でも、それは、かなわなかった。Nくんが、突然、亡くなってしまったからだ。その日は、本の発行日である「2020年4月24日」だった。
それから1年3ヶ月後の今日。都内にあるNくんのご自宅へうかがい、遺影に手を合わせてきた。友人が伝手をたどってNくんの奥さまへたどりつき、訪問の約束を取り付け、ぼくのことも誘ってくれたのだ。本は、もちろん、持っていった。Nくんのおかげで生まれたインタビューが載ってる本だから。見てもらいたかったし、渡したかった。同行の面々が、順番に、学生時代のNくんの思い出を披露してくれた。どれも聞いていて気持ちが良く、何だか笑えて、Nくんの人柄の偲ばれる話ばかりだった。ただ、ぼくにはNくんの奥さまと旧友に語れるようなエピソードはなかった。なにせ、はっきりした思い出としてあるのは、あの最終講義の日のやりとりだけなのだ。だから、これまで書いたような事の経緯を奥さまに伝え、本をリュックから取り出した。そしたら奥さまが「この本、知ってます。夫の部屋にあります」と言った。
Nくんは、この本を(おそらくAmazonかなんかで)予約注文してくれていたのだ(と思う)。奥付に記された発行日は、Nくんの亡くなった日。本が届いたのは、正確には、いつだったのだろう? 読む時間は、なかったかもしれない。せめて、手にとってもらえただろうか。であるとしたら、それだけでもうれしい。