作曲について考える
イベントが近いので、色々と整理をしている
自分の作曲について考える
僕は明らかに作曲の中で色々と線引きをしているようだ
「ようだ」と他人事なのが、よく考えたらそうだな
と考えて気づいたこともあるからだ
「音楽というのは、音を楽しむって書くんだから楽しくないとダメだよ」
みたいな話があるが、それは僕の中ではまったく響かない
そもそも、音楽という概念が持ち込まれたのは幕末以降の西洋音楽とともにだから、そんなこじつけで持って音楽を定義するつもりが僕にはない
音楽というのは結果的現象でしかないのだから、楽しむこととは切り離して考えるべきだ
というのも一つの持論でしかない
相変わらずややこしいことを頭がよぎる
さて、自分の音楽である
線引きとは何か
聴いてもらうものか、そうでないか
という二つに大きく分けられる
そもそも自分が作りたい作品は自分が作りたいだけであって、聴いてもらうことを想定していない
ものすごく良い状態だ
しかし、歌だとか仕事の音楽だとかということになると
聴いてもらうことを前提に作る
当たり前と言えば当たり前だが、作品や自分がどうしたいということよりも聴かれた時にどう感じるかがということが最優先になる
それはそれで、「いいのができた」と思うわけだが、作品としての良し悪しではない
最たる例がこれになるだろう
2021年に三重県で行われる国体のテーマソング
いい曲だ
と、自画自賛(笑)
自分の書きたいことというよりも、これを聴いて選手や応援する人が一丸となれることを意識して作ったわけだが作品としてよくできてるなぁと感心する(笑)
で、いざ自分が作りたいものとなると
こういうのになるよねぇ(笑)
でも、こういうのの方が心の奥底から感情が引きずり出されている感じはする
息を吐くように音楽が体の延長にある感じになるのだ
そう考えると、頼まれ仕事の方が作曲って感じするよね
曲を作るんだから
自分の中から出てきたものは作曲という感じはしない
そもそもなんでそんなことを考えているのかというと
今度のイベントが心理学とのコラボレーショントークイベントだからだ
「曲作りについて話した方が、心理と親和性みたいなものを伝えやすいんじゃないですか?」
と一緒にイベントをする臨床心理士のポンくんに言われたので、直前にも関わらず資料作りに着手しようとしている(つまりまだ着手していない)
ブログで一旦整理しようということだ
おかげで、ずいぶん整理できたぞ
音楽に対する違和感と明確な距離感が測れた感じ
たぶん
自分が作りたいものについては何を言われても気にならないが、聴いてもらうことを前提とした曲について意見を言われると「なるほどなぁ」とか反省とかしちゃうのはなんと言うか自分本意ではない別のところに意思があるからだろう
特に歌となると歌詞も書くから言葉という問題も出てくる
こいつはまたやっかいなのだ
それは今はいいか
よし、今から資料を作ろう
もう一個、昔の動画貼っとこ