良い曲とは何かわからないけれど、良い曲を作りたいのだ
作曲する以上良い曲が作りたい
曲を作る人であればみなそう思っているはず
もちろん僕も同じくそう思っている
しかし、この良い曲というのが難しい
良い曲とは何か?
誰かにとって良い曲なのか、自分が良いと思うものなのか
切ない曲か楽しい曲か
色々と考えることができる
仕事であれば答えは簡単である
クライアントにとって良い曲を作ればいいのである
しかし、クライアントが存在しない場合はどうすれば良いのか
アーティストとはまさにそうで
そもそもなくても良いものを勝手に作り出している
作ったからには聴いてほしい
聴いてもらうからには良いと思ってもらいたい
そういうことになる
これについては人それぞれなので
自分が良いと思うものを他人も良いと思うならそれでいいと思う人や
他人が良いと思うものを作るのだと媚びた感じになる場合がある
この悩みは尽きない
しかし、これは商業音楽やヒットチャートなどをはじめとする世間の評価というものを意識しているために振り回されているのである
つまり、本当は何も気にせずに自分が作りたいものを作ることが何よりも大切なことなのではないかと思うのだ
前置きが長くなってしまったが、結局のところ自分が良いと思うものを作れば良いという話なのである
では、僕は何をもって良いと思っているのだろうと考える
他人の曲との共通点を比較して良いとするのか
自分が聴いて感動するものを良いとするのか
しかし、それはあまりにも画一化された形容の仕方でしかないと思っている
僕にとって良い音楽とは、自分の中にある「何か」を音楽として形にできた時に「良いものができた」と思うのである
その「何か」とは何のかはわからない
感情と言えるかもしれないが、ただの感情表現ということでもない気がする
言葉に言い表せられぬようなモヤモヤ感や冷たい感じとか
そういったものであり、それを感情と言うならばそれで良いが少し違う気もしている
心の機微とでも言おうか
感情を表現するのに言葉では限界があり、それを補ったり別の手段として音楽があるわけだが、意外と音楽でも限界があるのではないかと思ったりもする
自分の思った音楽を表現するためにテクニカルなことを学ぶわけだが、今度はそれに囚われてしまうからだ
そのためには、やはり様々な経験が必要だと改めて感じている
人間力を高めていかなければ、より自分の音楽の表現を広げていくことはできない
でるだけ多くのことを経験し全て音楽に帰結させる
そう、結局は音楽を作りたいという欲求しかないので、音楽に戻る
その上で自分の中にある「何か」を自分が思うように音楽にできることができたなら良い曲と言えるのではないかと思っている