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感情と音

「言葉以前に音楽があった」
という内容を前に上げたが、昨日参加した末次智さんによる琉球歌謡集「おもろそうし」の研究会でもその話がでてきて驚いた

それから、ぼんやり考えている

実際、人は言葉によって色々な制限がかかっているのだろうと思う
人に何かを伝える時、言葉を使わないと伝わらない
僕らは言葉で伝えようとする時、たぶん、実はささいなことでも感情に熱量みたいなものがあるにもかかわらず、頭で考えていることをものすごくシンプルにしてたった一つの事柄だけを伝えている

言葉にする時の思考と文字で書く時の思考は違うと言われる

「Talk Thinking」と「Write Thinking」

実際にそうなんだろう
そのどちらも思考に至った結果的事実を述べているに過ぎず、そこに至るまでの感情は排除される

僕は感情が欠落していると言われることが多いが、感情が欠落しているのではなく
よくよく考えると「言っても仕方ない」という諦めからきていると思う

実際、想いというやつは自分が思っているほど人には伝わらない


書きながら、ふとこの曲を思い出したので貼っとく

SIAM SHADEさんのやつなかったんで、誰か知らないけどカバーのやつ
流行ったなぁ、この曲
貼ってみたけど、サビしかしらないし全く興味ないけど(笑)

箸休め的な

KYとか空気読めとか言うけど、空気読みすぎたらしんどくなるし結局人の顔色みたりしないといけなくなるわけで、、
まぁ、そういう意味で言えば言葉というツールはシンプルでいいのだろうけど

怒ったら、「あー!!」と叫んでしまったり、楽しいことがあったら「ふふんふーん」と鼻歌歌ったり

これって、言葉にできない感情の表れなわけですよ

たぶん


古来より、踊りや音楽が神事や祭で大切にされているのも言葉では伝わらないものを神に伝えるためだ
神がいるかさえもうどうでもいいのかもしれない

ただ、そこで音を出す
言葉ではない感情をより大きな音で出す
それこそが大切なのだ

人間ができないことはたくさんあるけれど、自分が思いっきり叫ぶよりも大きい音を出すということもその一つ
自分の力以上の音は出せない
でも、みんなで歌うとか楽器を用いるとかするとできるわけだ

現在のフェスなんかもそう
実際、何万人ものライブ会場で爆音で音楽聴いても何言ってるかわからなくない?(笑)
でも、ストレス発散なのか一体感なのかわからないど、なんかいいわけでしょ?

僕はそういうの行かないし、わからないけどさ(笑)


考えがまとまらず、モヤモヤしているところはあるんだけど
自分の中で、「感情」と「言葉」と「音」というものの紐付けが形を変えてきてる

毎回同じではないことはわかっている
定義付けしたいわけではなく、固く結ばれた紐が緩んできている感じ

「おもろそうし」は文歌集で、文献としては残っているが、どのように謡われていたのかということについては古いので音源もなければ伝承者もいなくなってしまってほとんどわからないらしい

ただ、伝承者が謡っている音源が五つだけ残っているらしい
(おもろそうしじゃなかったかも、ちょっと忘れてしまったが古い琉球の歌の話だったことは間違いない)

それを昨日聴くことはできなかったが、末次さんによると、ほとんど「うー」とか「「あー」と言っているだけで何を言っているかはわからず節回しの雰囲気だけが伝わってくるとのこと

その流れで言葉の前に音楽があったのではないかという話が出てきたのでちょっとテンションが上がったよね(笑)

言葉では伝えきれない大切なことがあるんだ
昔の人はきっとそれをわかってたんだ

言葉も人間によって発明された道具の一つに過ぎず、言葉がなかった頃から使われていた「音楽」っていうものを大切に大切にしていたんだ

言葉で色んなことを表現して伝えることはできるけど、それがすべてじゃない

と、思ってるって話

後半はちょっと自分に酔ってるな(笑)
気持ちわるっ!
そして、なげーな

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