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ピタゴラスの呪縛

物事の面白さとは

・現象
・事実
・解釈
・結果

に分けることができる
と過去のブログに書いたことを思い出した
自分で書いたことではあるが、まぁそうなのだろうと思ったりもする

ピタゴラスの話に少し触れたい
ピタゴラスは、ピラゴラスイッチでもおなじみで大抵の人は名前くらいは知っている

ギリシャの数学者・哲学者なわけだけど
現在音楽で使われているドレミファソラシドという音階もこの人の功績によるものである

音程と数比の関係を発見したことで音階が作られるわけだが、彼は音楽的に何かしたかったわけではなく数学者として振動によって音が共鳴するという事実を確かめようとしたにすぎない

鍛冶屋が振り下ろすハンマーの音を聴いて、共鳴する音があると感じたことで協和について考えたと言われているが

音がなったという現象があり、それが共鳴したという事実がある
それを共鳴したんだと解釈することで結果音階に至る

一つに繋がった話だが、それぞれは別々のことのように思う

音がなったという現象は現象にしかすぎない
共鳴しているというのは数学的には事実だろうが共鳴していると感じたのは解釈なわけだ
それが音階として並べられるに至るという結果
そして、それが時を越えて今も尚使われ、美しいと感じている人々がいるということ

僕はなぜかこれが不思議で仕方ないのだ

ある一人の男が、鍛冶屋のハンマーの音を聞いただけの話が始まりなのだ
音楽はそれ以前からあっただろう

しかし、確実に音楽が体系化される出発点になったのは、たったこれだけのことである

共鳴したと感じたということは、少なくともそこに美しさを感じたのではないかと想像したい
なぜなら、共鳴していないと感じている音もあるのだから共鳴していないものは不快であり、心地よいと感じた共鳴を研究したはずなのだ

あくまで一人の男の感性によって、我々は二千年以上も音階に縛られているのである

これはとんでもないことではないだろうか
いや、間違いなくとんでもない

変わらない現象と事実はあったにせよ
解釈は人によって変わったはずであるし、それによって結果も変わったはずである

「もしも」や「たられば」の話をしても仕方ないが、このたった一人の男によって今に至る音楽が決定されたと言っても過言ではない

否定しているわけではない
そうでなかったら世の中にこれだけ素晴らしい音楽が存在しなかった可能性だって十分にあるのだ

しかし、すべてはこの男によって、、
もういいか

素直に面白いと思っているという話

ちょいと長いが、面白いからこれ貼っとこ


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