「見えない何か」を招(お)ぎよせまなざす*私たちのスピリチュアルなるものをめぐって
日本人とは何か、という問いはあまりに深遠すぎて到底即答などできない。
けれども日本語という、さまざまな意味や呪(しゅ)を込められた漢字なる言葉を多様に使う言語を日常的に使う種族として生きている時点で、どんなに否定してもスピリチュアルな象徴と無縁な日本人など存在しえないのではないか。
道教などのさまざまな護符や呪符や霊符を見ると、日や口(くち)といった漢字が非常に多く使われており、それだけ強い力を発動する漢字であることが窺える。その組み合わせ方法や図形構成の秘儀など、当然一介の素人の私には計り知れぬ領域だ。
けれども、たとえば滝本晃司さん。石川浩司さん。柳原陽一郎さん。知久寿焼さんと。元たまのメンバー全員の氏名漢字に日や口がもちいられていることを思えば、あるいはたまの結成やその後のめくるめく展開の広がりに至るまで、これらの漢字のやどす強き呪(しゅ)のちからが共振して発動した奇跡であるかもしれないこと。どうして否定できようか。
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来〜てよその火〜を飛び越えて〜♪
潮騒のメモリー(あまちゃん)の頃からここまで生き延びて/生き延びることができて。いのちを支えていただいて。
ほんとうに私の精神の火は2011年以降、手縫いや短歌や無数の言葉を経て鮮明にいまここの滝本さんという美しき野火に向け鍛えられてきたのだと。
その火を飛び越えてが「その日(311)を飛び越えて」でもあること。
私は短歌で震災詠は行なってないけれど、亡きひとや死者たちとの共振の呼び声は確実に歌詠みの中に沈めてきた。そのひとを乞うことは相聞であり挽歌でもある。いとしい。ただひたすらそう思うとき、その想いはたやすく時空を越える。
某大学理事長だった洛北のお父さんと昵懇だった碩学の宗教学者の先生が、こんなことを仰っていたという。
「のう、◯◯さん(お父さんの名字)。僕の周囲を見渡すとね、あの人も死んでしまった。この人も死んでしまった。生き残った僕はね。ひとり夜そのひとたちと対話することしか…楽しみがなくなってしまったんだよ」
私自身、何度もお逢いして感銘を受け続けている方なので、いかにも仰りそうな話だなあと深く頷きつつ。
そうやってひとり残された側の孤愁と諦観の中で亡き学者仲間の方たちと対話する行為が、死と喪失と折り合うための静かなる内的対話であること。
あるいはご自身、むしろ死の領域のほうがおのれに近しいことを淡々と受け入れ、やがて訪れるその日をもごく淡々と虚無と諦観の中にまなざすそれ。
さまざまな歴史上の上人たちの「往生」についても想いをめぐらせていた方だけに、死=終わりへの絶望という、ごくありふれた一義的終末思想とは一線を劃す、その語りのどこか飄々とした軽みと趣までいまの私には理解できる気がする。
死者を鎮魂する文学が怪談であるのと同様、私たちが亡きひとを想うとき、その想いは彼岸にあるそのひとにも確かに届くという。死してなお私たちは死者と対話できる。これは妄想ではない。
たとえばあることについて「父ちゃんどう思う?」と問うと、不思議とするする父の声が降りてくる。
その声は生前よりずっと優しく、その対話も生前よりずっと優しい。私たちのあいだにはひたすら穏やかな時間が流れており、そのあまりの暖かさと守護のありように、涙も出てくる。それでいいのだ。
語ること/憶い出すことそれ自体、大いなる供養であること。
イタコや巫女など巫覡(ふげき)のシャーマンを介さずとも私たちの心は亡きひとを招(お)ぎよせることができる。心静かに。いや、烈しい慟哭のさなかでさえも耳を澄ませばその声は聴こえる。何となくそう言ってるように感じる。幽けきその感覚こそひかりだ。
スピリチュアルを忌避することは自由だ。けれども私たちは死者をたんなる肉塊として放擲できるほどシステマティックな神経を持ち合わせていない。ひとが亡くなれば祈りを捧げ、丁重に葬ってあげたい。動物の亡骸があれば埋めてあげたい。せめて車の往来からよけてあげたい。そう思うではないか。
それはその亡骸の中に見えない何かを感じ、そうせずにはいられぬ心性が私たちに備わっている証しではないか。
「私のお葬式はこの曲を流して欲しい」と。
葬儀なる宗教儀式を想定する時点ですでに充分スピリチュアルであること。それこそ盆暮れ正月に至るまで、スピリチュアルは遠き存在ではないこと。
見えない何かをまなざし、畏れる。
それこそ極めてプリミティブなスピリチュアル行為を、宗教者でなくとも私たちはごく自然に日々の暮らしの中で行なっていること。忘れてはならないと思う。
(2021年12月8日、2022年11月9日ツイートに加筆)
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