「世界に対して器用に接することができるようになることを『成長』だなんて、そんな言葉で呼びたくない」
10数年ぶりに映画『フォレスト・ガンプ』を見た。
主人公のフォレストは、知能指数が他の人よりも低い。様々な場面で「世界」とちぐはぐな行動をとってしまう人間だ。
しかし真っ直ぐに人を愛して、人を信じて、馬鹿みたいに正直に約束を守る。
時にはひたすら何万kmも走った。世界平和の為でも無く、動物愛護を訴える為でも無く、ただ「走りたかった」からだ。
無数の選択肢がある様に思えるこの世の中で「たった一つを信じること」は、難しい。
自分にとってベストな道を探し出そうとして、僕たちは四苦八苦する。しかしそれこそが間違いなんじゃないかとフォレストを見ていると思う。
人は接するもの、その全ての側面を見ることは出来ない。大なり小なり、何かを思い込んでしか生きられない。
思い込んだものが「世界」なのだ。その全てを信じられたフォレストは、いつも正直に息をしていたんじゃないか。
タイトルの言葉は、作家の山崎ナオコーラさんのものだ。
曖昧で何となくその場をやり過ごす言葉を発したり、
自分も誰も傷付けない様、その為の所作を覚えたり、
僕たちは年をとるにつれて「世界」との波長の合わせ方を獲得していく。その都度「世界」は振り向き、居場所を与えてくれる。
しかし同時に、何かが失われていくのを感じてもいる。
その何かを擦り減らしながら心の中のガンプは、まだぎりぎり息をしている。
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