真相究明 #3竹内文書 救世主=メシヤ=天皇?
救世主=メシヤ=天皇?
「古代ピラミッドの謎」
ピラミッド文明は地球規模で広がっていた?
世界中に残るピラミッドとは!!
有名は所はギザのピラミッドですよね。見渡す限りの砂漠にそびえる巨大な古代のモニュメント!そうそれはピラミッド。。。
「世界の七不思議」の内、その姿を現在も見ることが出来る唯一のモノ△
ピラミッドは古代エジプトに降臨したファラオの墓であるといのがべたになっていますがあんな高度な幾何学構造をしている為、近年では本当は単なる墓では無く!単体観測所だったのでは?といいます。
はたして一体全体どうなんでしょう!
深掘りしていきましょう。
ピラミッドよりも美しい女性に目が行きますね。。。
こんな言葉を聞いた事ありますか?
そうピラミッドパワーです!!
ピラミッド独特の形から発生する不思議な力の存在も知られるようになり、科学的な面からのピラミッド研究も盛んに行われています。誰でも知っている?と思われるピラミッドは未だに解明されていない多くの謎を含んでいる建築物です。
そして現在!!遂に竹内文書で解明されます。
何故ピラミッドと言えばエジプト特有の物の様に考えてしまいがちですが同様の建造物は世界中に多く点在しています。
ウルのジクラット(聖塔)です。古代ユーフテラス川のほとりに栄えたウルの都にあった。日干しレンガで作られていた正方形を基盤とした階段状の構造をしており頂上には神殿があったとされています。
*深掘り*
世界よ七不思議とは??
ヘレニズム時代の人々が驚嘆した、七つの古代建造物の総称。
①メムノンの巨像
動画⬇️
ウィキメディア・コモンズには、メムノンの巨像に関連するメディアがあります。
元々は、背後に同王アメンホテプ3世の葬祭殿(そうさいでん)が控えており、その入口の部分であった。葬祭殿は第19王朝ファラオ・メルエンプタハが自身の葬祭殿の石材調達のため破壊した。
向かって右側の像は紀元前27年の地震によりヒビが入り、夜明けになると、おそらく温度差や朝露の蒸発のせいで、うめき声や口笛のような音を発していた。この現象を最初に報告したのは地理学者のストラボンだった。彼は巨像が声を出しはじめてからまもなくして、エジプト総督アウレリウス・ガルスとそれを見物している。ストラボンは著書においては巨像が発している声なのか、近くにいる人間が声を出しているのか解らないと疑問を呈している。また、『ギリシャ案内記』を編纂したパウサニアスも声を出すメムノンの巨像について記述している。
メムノンの巨像が声を出す現象は当時のガイドによって脚色され、メムノンの死別した母への呼び声だとされた。メムノンの巨像は声を聴こうと詰めかける人々で観光地化して、その中にはハドリアヌス帝と妻のサビナもいた。サビナは130年にメムノンの巨像を訪れ、「日の出後の最初の一時間のうちに、メムノンの声を二度聴いた」という証言を残している。現在もメムノンの巨像の台座には彼らが書き記した署名や詩が残されていて、エジプト総督や地方行政長官の肩書きを持つ人間が大勢訪れていたことが確認できる。その後、巨像はセプティミウス・セウェルス帝によって下に落ちていた像の上半身を取り付けられると、声を出すこともなくなったという。
②アレクサンドリアの灯台
ファロス島は、アドリア海にも同名の島(現在のフヴァル島)があるが、ここで言及されるのは、アレクサンドリア港の一方の端に人工の埋め立てにより出来上がった半島の突端にあった小さな島である。世界の七不思議のひとつ。ただし、ビザンチウムのフィロンの選出した七不思議には含まれていない。14世紀の二度の地震によって全壊したが、七不思議の中ではギザの大ピラミッド、マウソロス霊廟に次ぐ長命な建造物だった。
③バビロンの空中庭園
引用的⬇️
バビロンは紀元前1800年代に建設されたという古代都市。バビロンの空中庭園はカルデア人で新バビロニア王朝のネブカドネザル2世が、紀元前500年頃に建造したと見られる伝説のテラスである。
空中庭園は空中にオアシスが浮かんでいるかのように見えたと伝えられており、古代ギリシア時代の旅行書「世界の七つの景観」に紹介され、ビザンティオンのフィロンの「世界の七不思議」の一つである。
「この宮殿に、ネブカドネザルは石造りはで高く支えられた遊歩道を造った。そこには“ペンザイル・パラダイス”(ぶら下がる楽園)と呼ばれる植栽が施され、その間を埋めるようにさまざまな種類の樹木が植えられた。山国の風景をそっくり再現したのだ」。というベロッソスの文章を引用し、空中庭園を造ったのはネブカドネザルであると主張した。
空中庭園といっても空中に浮いているわけではなく、平地に土を盛り上げて小山を形作り、斜面に階段状のテラスを設け、何層にも重なったバルコニーに植物が植えられた人工庭園なのである。まるで空中から吊り下がったように見えることから、そう呼ばれるようになった。
20世紀に入り、ドイツの考古学者ロベルト・コルデヴァイが発掘調査を行い、その存在が確認された。
バビロニアの歴史家ベロッソスという神官が書いた紀元前290年ごろの著作に空中庭園についての最初の記録がある。この著作は、紀元1世紀の古代ローマのユダヤ人で歴史家であるヨセフスが主要文献として利用したことで現存している。この記録によると「ネブカドネザル2世は基礎に石を利用してわずか15日間で庭園をつくりあげた、その姿はテラス状の宮殿」とある。
④エフェソスのアルテミス神田
アルテミス神殿は、トルコのエフェソスにある遺跡です。放火などによって歴史上何度も破壊と再建を繰り返しており、世界七不思議の一つにも数えられています。イオニア建築の最高傑作とされ、神殿内に祭られたアルテミスの女神は、古代アナトリアの全ての支配者から深く崇拝されていました。
アルテミス
アルテミス神殿に捧げられた最初の神殿は、紀元前625年に完成しましたが、キンメル人の攻略で破壊されてしまいます。プリニーによると、この壮麗な建造物は歴史上9度破壊され再建されたと言います。古代の神殿には、リディア王クロエソスにより寄贈された大理石の円柱が立っていました。
しかし近代になってから、その神殿より更に古い時代の同設計・同寸法の神殿が発見されました。出土品は現在、大英博物館に保管されています。また1904~1906年の大英博物館のデビット・ジョージ・ホガースによる発掘証査では、同じ古代神殿のものと推定される別の3つの層が見つかりました。更に、紀元前6世紀の最下層部分から硬貨も発見されています。
後期のアルテミス神殿は、紀元前564~540年に建てられました。スコパス、プラクシテレス、ポリュクレイトス、フィデアス、クレシラス、シドン、アペッレスなど、その時代の最高水準の芸術家や建築家が集まり、アテネのパルテノン神殿の4倍の大きさの壮大な神殿を造るために全力が注がれたのです。アペッレスは神殿内部のアフロディテの絵を手掛けました。
アルテミス神殿は放火によって焼け落ちてしまった
アルテミス神殿Cafeennui / CC BY-SA
プリニーの“Naturalis Historia”によると、この神殿は高さ20mに及ぶ127本の円柱からなる大きさ200×425mのイオニア様式神殿だったとされています。しかしアルテミス神殿は、後に自分の名を永遠に歴史上に残しておきたいと考えていたヘラストラトスという狂人の放火が原因で焼け落ちました。
その後イラン出征の途中、エフェソスを訪れたアレキサンダー大王は、神殿の修復費用の全てを引き受けると申し出て、大王自らの名の刻まれた記念碑を造るように命じました。しかしエフェソスの人々は「神である大王が別の神を祀る神殿を造るのは相応しいことではありません」と、大王のプライドを傷つけることなく断ったと言います。
⑤アリンピュアのゼウス像
オリンピアのゼウス像は、紀元前435年に古代の高名な彫刻家ペイディアスによって建造された、天空神ゼウスをかたどった彫像です。紀元前五世紀頃、オリンピアにゼウス神殿が建造されました。ゼウス像はこの神殿の奥に収められました。その全幅は神殿の通路の幅とほぼ同じで、全長は、座像でありながら、約12メートルもありました。ゼウス像の本体は杉で作られ、表面を象牙で覆っていました。表面の乾燥を防ぐために、常にオリーブ油が塗布されました。座席は金・象牙・黒檀・宝石で飾られていました。右手には勝利の女神ニケの彫像を持ち、左手には鷲が止まった錫杖を持っていました。建造から800年後の394年、ゼウス像はオリンピアからビザンツ帝国の首都コンスタンティノポリスに移されました。その後の消息は不明ですが、おそらく焼失したのだろうと考えられています。画像は、十六世紀のオランダにおいて画家マルティン・ファン・ヘームスケルクの原画に基づいてフィリップ・ガレが製版した版画『オリンピアのゼウス像』です。
ギリシャ神話によれば、アテネの北300kmのギリシャ最高峰オリュンポス山(海抜2917m)の頂きにオリュンポス十二神と呼ばれる12人(?)の神が暮らしていました。
1.ゼウス 2.ゼウスの妻ヘーラー 3.ゼウスの娘アテーナー
4.アポローン 5.アプロディーテー 6.アレース
7.アルテミス 8.デーメーテール 9.ヘーパイストス
10.ヘルメース 11.ポセイドーン 12.ヘスティアー
その内の一人ですね🤗
⑥エジプトの大ピラミッド
⭐️4.6 (18,341)
クフ王・カフラー王・メンカウラー王の3つのピラミッドとその複合体は「メンフィスとその墓地遺跡」の一部として世界遺産にも登録されています。エジプト観光の際は短期間の滞在でも必ず訪れたい定番スポットです。ギザのピラミッドの位置 ギザのピラミッドは、エジプトの首都カイロの中心部から車で約50分から1時間ほどのところにあります。ピラミッド周辺は砂漠に囲まれているため何もありませんが、近年は割と近くまで住宅街ができてきています。カイロからは車の他、地下鉄やバスを使って移動することも可能。
ギザのピラミッドの中で最大の大きさを誇るのが「クフ王のピラミッド」です。高さはなんと約147m、底辺は約230m!映像や写真で見たことがある方は多いと思いますが、40階建てのビルの高さに相当するピラミッド、実際に目の前で見てみると誰もがその大きさに圧倒されます。
1つ約2.5tの石灰岩を約270〜280万個も積み上げてできているとか。どれほどの年月をかけて作られたのか、本当に不思議です。
クフ王のピラミッドに次いで2番目に大きいのが「カフラー王のピラミッド」です。クフ王の息子カフラー王のピラミッドは、クフ王のピラミッドよりサイズは小さいのですが、高台に建てられているため遠目では一番高く見えます。こちらのピラミッドには頂上部分に石灰石の化粧石が残っているので、他の2つのピラミッドとの違いもお楽しみください。
カフラー王のピラミッドの参道入口にはかの有名な「スフィンクス」が建てられており、ピラミッドを守ってるように見えます。このスフィンクスの目線の先にはKFCがあるという話も日本では有名です。
ギザの三大ピラミッドの中でもっとも小さいのが「メンカウラー王のピラミッド」。高さは他の2つのピラミッドの半分ほどしかなく、建設当時国の財政が悪化していたからではないかと考えられています。しかし、このピラミッドだけが内部装飾が施されており、遺物も多く発見されたとか。ピラミッド内の天井上部も見学できます。メンカウラー王のピラミッドのすぐ横には3つの王妃たちのピラミッドがあります。3つのピラミッドが王に寄り添っている王妃のように見えますね。
⑦ロードス港のアポロン像
ロドス島の巨像(ロドスとうのきょぞう、Colossus of Rhodes)は、紀元前3世紀頃にリンドスのカレス(英語版)によってエーゲ海南東部のロドス島に建造された、太陽神ヘーリオスをかたどった彫像(コロッソス)。世界の七不思議の一つ。全長は34メートル。台座まで含めると約50メートルになり、現代のニューヨークの自由の女神像に匹敵する大きさであった。ヘーリオスは同じ太陽神のソルやアポロン(ローマ名アポロ)と混同されたため、アポロの巨像とも呼ばれる。日本での表記には様々あり、ヘーリオスの巨像、ロドスの巨像や、ロドス島が「ロードス島」と表記されることもしばしばであることから(ロドス島#名称参照)、ロードスの巨像、ロードス島の巨像などとも表記される。また、1961年製作のイタリア映画の邦題では「ロード島の要塞」と題された。
女神様と同じぐらいの大きさとは
当時どうやって作るんでしょうね笑
*現在するものはエジプトの大ピラミッドだけです。
エジプトに次いで古いものは、古代シュメール人の都市ウルに残るジクラット(聖塔)です。
ウルは紀元前二千年前、ジグラットを中心とした都市国家が考古学的研究で判明しています。ジクラットはほぼ正方形を基盤とした階段状の構造をしており、頂上には神殿が設けられていました。正面の中央に一本、左右に一対と、計三本の階段があります。この階段は全て頂上の神殿へと続いており、頂上の神域でさまざまは祭りが行われていました。
この他にも階段を持つピラミッドで有名な物に、北米アステカ文明の移籍ティオティワカンに残るピラミッドがあります。ここのピラミッドは太陽のピラミッドと月のピラミッドが対になっており、他のピラミッド同様天体の運行と深い関係を持っています。
世界中には他には!!
メロエのピラミッド
ジャワのボロブドール
メキシコのマヤ文明
ウシュマルのピラミッド
そして大和の国
あ、そう日本です🗾🇯🇵
日本にもピラミッドが存在する事を初めて立証したのが酒井勝軍 さかいかつとき です。
ではなぜ日本ではピラミッドが発見されなかったのか??
なぜ日本では長い間ピラミッドが見つからなかったのか?それは人工物ではなく自然の山を利用して作られていた物が多かった為です。
例えば富山県の尖山とがりやま⛰
酒井は日本こそがピラミッド発祥の地であると考え研究と現地調査を行い多くのピラミッドの存在を立証しました。
広島県のあしたかやま
青森県の大石神 おおいしがみ
岩手県の五葉山などがある。
現在の日本のピラミッドは
青森県の黒又山 くろまたやま
富山県の尖山 とがりやま
長野県の皆神山 みなかみやま
京都の元伊勢のひむろかまたけ
熱心な酒井さんに竹内家がまだ封を開けられていない古文書の開封にふみきったらなんと!古文書の一部とピラミッドのご神体石が見つかり、そのご神体石には甚大文字こひつとつ、モリツネ文字で次の様に記されていた。
日来神宮 ヒラミット
ではピラミッド建設の意味は!!
ピラミッドは天との交信場所である。
ご神体石に書かれていた文!
ピラミッド = 天皇の霊廟 たましきびょう
別名が メシヤという事になる。
結論はピラミッドは天皇が人類の祖先である神人、神星人とコンタクトを取る為の交信手段として建てられたものです。
手段は色々
世界のピラミッドも日本のピラミッドも
ある程度の高さを必要とした理由とは!
ある程度の高さを必要としたのも、天の波動と交信する為には、地上からの波動から離れた方がより正確に天の波動をキャッチする事が出来た為である。
そしてこの謎の解明にの糸口には「メシヤ」という言葉にあった。
メシヤとは一般的には救いの神、救済主と解釈されていますが、ピラミッドが日本語である様に漢字で当てはめると、「召屋」メシヤ と解釈する事ができる。天皇が交信に使う場所それはピラミッドなのです。
天皇が召屋 めっしたのは?メシヤが救世主という概念を持つことから、人類を救ってくれる力を有する物を指すことは明らかで、宇宙創造神ムメシヤからつかわされた、人類の祖先である、神人、神星人(シンセイジン)しか考えられない。
そう考えると「日来神宮」ヒラミットの字が当てられていた事も納得がいきますよね。天皇の呼びかけに応え、日の神が降臨する宮がヒラミットです。
古代の天皇は統治状で困った事があればピラミッドに登りそして現代の我々が神に祈るがごとく、天の日救国の神人たちに相談をしていたのです。
神道で神を降ろす人を神主と呼び
天の神々を召すことの出来る天皇を人々はメシヤと呼ぶ様になった。
ユダヤで「メシヤ章」と呼ばれる紋章があり、そうこれが日本の十六菊花紋つまり日本の天皇の紋と同じものです。
真ん中の小さい丸の周りを十六の花弁が取り巻いて真ん中に丸、その周囲に十六といえばそう!ピラミッドの単内宮式の磐境(いわさか)と同じです。
ピラミッドは天地人を象徴した建造物で
天においては、太陽として命を育みら地においてはら水として命を育み、そうしあ神を建造物で表しました。
人は神の分魂(わけみたま)を頂いた存在である事をピラミッドは表している
そしてピラミッドは人間社会にも当てはめる事が出来。頂点に天皇、その下に各国の国王、民王、五色人全てが一家の様に心一つになっている姿である。
この形も元々は天から降ろされたものだろあ。宇宙が全て相似形をなしている事は前にも述べた通りで、地球を十六方位に分けて治めた形も、ピラミッドの磐境(いわさか)の配置も、メシア章も菊の御紋章も、全ては一連のエネルギーを有していてピラミッドの形も宇宙と地球のあるべき姿を表しています、そうそれは天皇の姿であり、メシアのエネルギーを表すシンボルといえますり
*深掘り*
チャクラの話を聴いた事がある人も居てると思いますが、こういうポーズを取ってチャクラを整えたり、エネルギーをねったりしますよね。
このポーズこそがピラミッドのポーズにもなっているんですね。
精神と肉体を司るといわれる7つのエネルギー「チャクラ」について
ヨガやアーユルヴェーダに興味がある方は、「チャクラ」という言葉を聞いたことがあると思います。
「チャクラを整える」と言われても、目に見えるものではないので「いまいちピンと来ない」という人もいるのではないでしょうか。
チャクラとは、サンスクリット語で「車輪」、「回る」という意味があります。
人体には7つのチャクラがあり、簡単にいうと「エネルギーが出入りしている場所」です。人間のエネルギーはこの「チャクラ」を起点にして、車輪のように絶えずグルグルと回って、活力を生み出しています。
人間の身体の脊髄の基底(第1チャクラ)から、頭頂(第7チャクラ)まで、第一直線に並んでいます。 つまり、精神的・肉体的にエネルギーが満ちた状態で生きていくには、「チャクラを整える」ことはとても重要なのです。
自分に不足したチャクラのエネルギーがあった時は、そのチャクラに対応する色を身につけたり、眺めたりするだけでもそのチャクラが活性化し、心身のエネルギーが整うともいわれています。
【それぞれのチャクラの場所とその性質】
第1チャクラ(ルートチャクラ)
“人間の根っこ”。心身両面のベースを整える
・チャクラの位置…骨盤の底、会陰部、頸部
・色…赤色
・整える方法…赤のものを身につける/ガーデニング/自然に身を置く/グラウディング瞑想/整理整頓をするなど
第1チャクラは、“グラウディング”されていると感じることが重要。しっかりと自分が大地に繋がり、そのパワーを自分の体内に取り込むために、地の深いところに根を張るイメージを定着させましょう。そのイメージで想像しながら瞑想すると整いやすくなります。
土台となる部分なので、まずはこのチャクラが整った状態でいないと、日常生活の不安感が増したり、地に足がついてない不安定な気持ちになる傾向があります。
第2チャクラ(セクシャリティチャクラ)
心に活力を与えるエネルギーの発信点
・チャクラの位置…丹田、おへそのあたり
・色…オレンジ
・整える方法…腹式呼吸をする/心が喜ぶ映画や本に触れる/創造的な活動をするなど
第2チャクラは、おへその下のあたりの場所、いわゆる丹田にあります。自分の感情と繋がることともリンクしていて、「決断力」にも関係しています。このチャクラが整うことで、潔く決断できたり、心からあらゆることが楽しめることに繋がります。第1チャクラが生きるうえでの土台とするなら、第2チャクラは人生の楽しみいや、喜びを味わうためのセンサーといったイメージです。
第3チャクラ(ソーラプレクサスチャクラ)
自分らしさを確立し、自信を高めるエネルギー
・チャクラの位置…みぞおちのあたり
・色…黄色
・整える方法…好きなことをして生きている人と過ごす/太陽の下で過ごす/キャンドルを焚くなど火を活用する/運動で汗をかくなど
自分を愛し、信じることを促すチャクラ。〝個の力〟が宿る場所なので、自己への肯定感、自信にも繋がります。自分に自信がなかったり、他人の評価が気になる方は、第3チャクラのバランスが崩れている可能性あり。逆にうぬぼれや傲慢さが出ている時は、刺激を受けすぎている状態かも?
第4チャクラ(ハートチャクラ)
愛の象徴。調和の心を持つ
・色…緑
・チャクラの位置…胸の中央、心臓のあたり
・整える方法…感謝の気持ちを持つ/感情の手放し/思いやりを深めるなど
心をオープンにし、他者を受け入れるためのハートチャクラ。自分の家族やパートナーなど身近な人だけでなく、生きとし生けるものすべての存在を愛することを意味します。 ここのチャクラバランスが崩れると、人間不信に陥ったり、一方的に相手に愛を求めてしまったりしがちに。孤独感を感じてしまう人も多いです。 また、自分の時間の多くを自分のために使わず、周囲のためばかりに使っているばかりでもバランスを崩します。意識したいのは、エネルギーを与えるだけでなく、〝受け取る〟必要があります。
第5チャクラ(スロートチャクラ)
喉を開放してエネルギーを導く
・チャクラの位置…喉のあたり
・色…青(水色)
・整える方法…歌をうたったり日記をつけるなど、何かしらの形で自己を表現する/ブログやSNSで発信する/真実・本音を受け入れるなど
何かを表現することに関係しており、喉の部分に位置しています。 開放的で、創造的な第5チャクラが活性化すると、話したり、歌ったり、自分を通じて何かを伝えたり表現することがスムーズにできるようになあるといわれています。
自分の感情や意見を言えない環境で過ごしている場合、喉が締め付けられる感じや、違和感を感じることも。 自分の気持ちをはっきりと伝えるようになることで、自分が望む現実を引き寄せられるようになることを実感できるはず。
第6チャクラ(サードアイチャクラ)
すべてのものを穏やかに見守る
・チャクラの位置…眉間のあたり
・色…藍色
・チャクラを整える方法…デジタルデトックスする時間をつくる/朝日・夕陽を浴びるなど
直感力、第6感を司るチャクラ。人や物事の本質を見抜ける人や、観察力が優れている人は第6チャクラが発達していると言われています。インスピレーションや直感から解決方法を見つける能力が高まります。ここのチャクラや弱いと、ピンときた自分の直感を信じられないといった傾向に陥りがち。電子機器に頼りすぎたり便利な生活を送っていると、第6チャクラは弱ってしまいます。また、思考であれこれ考えてしまいがちな人は、バランスが崩れているかもしれません。
第7チャクラ(クラウンチャクラ)
自己を超越。宇宙の愛とつながるエネルギー
・チャクラの位置…頭頂部の上あたり
・色…紫
・整える方法…第1〜6チャクラを整える/徳を積む/睡眠の質を高める/エネルギーの高いところ、パワースポットにいく/星空を眺めるなど
頭頂部の少し上にある、身体から少し離れた場所にあるのが第7チャクラ。いわゆる「悟り」のチャクラです。第1〜6チャクラが正常に機能して初めて開きます。自分も自分のまわりのものも、すべて同じエネルギーとして意識できてはじめて整います。チャクラが開いていると目に見えない世界に関する真実を理解できたり、人生の目的が限りない可能性への探求、使命に生きるものへと変化します。また、物事に優劣をつけず、すべてのものを平等に見守れてこそ、このチャクラは調整されます。
それぞれのチャクラについてお伝えしましたが、ひとつひとつ、リラックスした状態でチャクラの場所を意識してチャクラのバランスが崩れていないかチェックしてみましょう。
チャクラは本来「開いた」状態なのですが、なぜ閉じてしまうというと、肉体的、精神的に大きな出来事が起きると、その出来事からも自分を守るためにチャクラが閉じてしまうそうです。
ぜひ参考にして、チャクラのバランスを整えることでエネルギッシュな毎日を送ってください。
引用元👇
https://www.biople.jp/articles/detail/863
「日本列島は世界の縮図」
この日本に生まれた事が、いかに奇跡なのか、この時代に生まれた事が、いかに重要なのかを知ってもらいたいと思います
先ずはこの図を見て下さい☆
北海道が北アメリカ
本州がユーラシア
四国がオーストラリア
九州がアフリカ
台湾が南米
世界の五大大陸に対応している
日本列島は世界の雛形であり、人間の体もまた世界の雛形になっているのです。
さて
天皇という言葉がいつ頃からできたのでしょうか。天皇の言霊的な意味は、神と人とをつなぐヒモロギです。
道教の最高神である北極星を指す言葉から取られたものである。
北極星は常に真北にあり、決して動かない天の中心である事から、天の統治者という意味が生まれた。
ではないですよ😊
小ネタはおいといて笑
「日本における」 "天皇"の読み方である。
今でこそ てんのう とよみますが、古くは"すめらみこと"と読みます。
この"すめらみこと"という言葉にこそ「天皇」という称号の鍵が隠されています。
日本には古くから言霊信仰が存在し、言葉の一音一音がそれぞれ霊的な意味をもっています。
日本の親も先祖も、子供の名前を付ける時によく表れるます、どの字をあてるのか、それをどう読ませるのか?私も貴方もこだわったのではないでしょうか?
コココ
共に中華を目指しましょう大王(キングダム)
また脱線してしまいました。。
先祖や両親から一字を貰うのも、その字と共に先祖の加護や、秘められた力を得るためですね。
=天皇も"てんのう"と読むか"すめらみこと"と読むかでそこに託された意味に大きな違いが生ずるのです。
また脱線してしまいました。。。。
では"すめらみこと"という言葉にはどのような意味が込められているのでしょうか?
"すめらみこと"大きくは、"すめら" と "みこと"に分けます。
"す"は大根のす、川の中洲、などを中心の意味を持ちます。
"め"は台風の目、要のメのようにものごとの中心点を表すと共に、植物の芽の様に成長に向かうエネルギーの意味です。
"ら"は、照らすのラ、爛々と輝くのラであり、光、輝くを今する事から太陽をさすとされています。
エジプトで太陽神をラーと称したのも、日本語から来ています。
この一つ一つの音がもつ意味を含んだ"すめら"を「太陽に真っ直ぐにつながるものを統べる」という意味になります。
すみません吠えてしまいました笑笑
また脱線したので戻ります。
同様に"みこと"とは?
"み"は三であり、身、実といったそのものの中心となる大事な部分です。
"こ"は九であり、陽の極まりを表すとと共に、「強固」の様に丈夫でしっかり固まっている状態を意味します。
"と"は人であり人柄や声質といった意味をもつ。
したがって"みこと"とは「大切な三つのことがしっかりと固まった人」を指します。
=大切な三つのこと→思う事、言うこと、行うことを指すと言われています。
以上の言霊的解釈から、古代の天皇 すめらみことは 太陽(神)に繋がる人々(五色人)を統べる事の出来る人格者の称号であったんですね
この方ではないですね笑
続く。。
次は最後です
シリーズ最後の369の世界とは??