羽曳野市の高屋神社と東大阪市の若江鏡神社
高屋神社は大阪府羽曳野市古市6ー12。東高野街道に面しています。大きな神社ではありません。明治41年(1908)に近くの白鳥神社に合祀されましたが、昭和29年(1954)に現在地に再興されました。拝殿も新しいそうですから、氏子さんの崇敬の気持ちが表れています。ただ合祀前の鎮座地ははっきりしないそうです。式内社で、「河内国石川郡二座」の一社。小社です。
祭神は饒速日命と広国押武金日命(ヒロクニオシタケカナヒ、第27代安閑天皇)。安閑天皇は後に祀られたそうですが、この近くに安閑天皇と皇后の御陵がありますから、その関係かもしれません。神社の創建も社伝によれば安閑天皇の弟の宣化天皇3年(538)に勅命によるとされています。安閑天皇は明治時代の修験道禁止にともない、蔵王権現を安閑天皇としたケースが多いです。それと関連があるかどうかは分かりません
当地は物部氏の系統で「新撰姓氏録」にニギハヤヒの十世の孫、伊己止足尼大連(イコトノスクネオオムラジ)の後と記される高屋連の本拠地でした。イコトノスクネは物部五十琴(モノノベノイコト)をさしており、本来はイコトノスクネを祀っていたとの説もあるそうです。高屋連については、「高屋連牧人」の墓誌が隣の太子町で見つかっており、彼は奈良時代後期に正六位上になっていますから、中級貴族という位置付けです。
なお、安閑天皇は物部氏から3人の妻を迎えており、物部氏と関係が深かったようです。
この神社は江戸時代の『河内志』には「山王」とあり、『河内名所図会』には「八幡山」とありますから、この時代には本来の祭神が分からなくなっていたようです。この神社にはニギハヤヒの伝承が伝わっていないようですから、物部氏の一族の高屋連が祖先を祀ったようです。近鉄南大阪線の「古市駅」から南に約1.5kmにあります。
近鉄奈良線で石切駅から大阪に向かう途中に「若江岩田」駅かあります。この駅から南へ徒歩15分ほど行った東大阪市若江南町2ー3ー9に「若江鏡(わかえかがみ)神社」があります。境内の広さが2000坪あり、境内社として熊野権現社があります。
神社の祭神は大伊迦槌火明命(オオイカヅチホノアケノミコト)、仲哀天皇、神功皇后です。神社のホームページによると、祭神名のオオイカヅチ(大雷)は荒魂として、火明命を尊んて称したもので、この神様は強力な霊力と、建築技術•造船•医療•精錬•採鉱•武力等を備えた大部族の長だと言われています。とあります。直接の名前は書いていませんが、内容から見てこの大部族とは、物部氏をさしています。また火明神はニギハヤヒですから、オオイカヅチホノアケノミコトはニギハヤヒということになります。
この神社の名前に「鏡」という字が入っていますが、奈良県磯城郡田原本町八尾(しきぐんたわらもとちょうやお)816にある鏡作(かがみつくり)神社の祭神も火明命です。鏡作神社の祭神は御神体の鏡を天照国照彦火明命として、鏡作部の遠祖の石凝姥命(イシゴリドメ)を祀っています。イシゴリドメは天岩戸の話に登場する女神です。
そういうところからも、若江鏡神社の祭神は火明命すなわちニギハヤヒということになります。この神社は生駒山から昇る朝日を見る場所にありますから、その太陽を鏡に映して祭祀を行った場所とも考えられます。
また北の石切神社を頂点に西のこの神社、東にある玉祖(たまのおや)神社が三角形を作っているという指摘があります。玉祖神社は八尾市神立(やおしこうだち)5ー5ー93にあり、祭神は天火明玉命(アマノアカルタマ、玉祖命タマノオヤノミコト)で玉作部の始祖です。