旅と車ー本土での運転にはまだ慣れないー
数日前、車で移動したその距離を、今日は電車で旅をする。
電車の窓を流れていく景色を見るのが楽しい。
旅行は行くもの、旅は出るものと誰かが言っていた気がするけれど、道中も含めて楽しむのが旅なんだと思う。
私が車の免許をとったのは、大学生のとき。
関西の大学に進学したものの、なんとなく卒業後は地元に戻ると思っていたのかもしれない。
地方で暮らすなら免許は必須、働き出してからではとれないから時間のある学生時代にとっておいた方がいいと、親から言われるがままに自動車学校に通った。
免許はとったものの運転には苦手意識があって、誰かとレンタカーを借りて旅行するときも、すすんで運転することはなかった。
大学進学当初は予想していなかったけれど、就職先も東京になったので、車とは無縁の生活を送っていたら、免許だけはゴールド免許になっていた。
そんな中、島への移住が決まった。
小さな島とはいえ、アップダウンもある土地なので、自転車ではきつい。
当然のように自分の車を持つことになった。
意外にも島での車生活は快適だった。
道は覚えてしまえるくらいだったし、信号も一つしかない。
なんなら車を見れば誰が乗っているか分かるような規模の町だったので、ドライバー同士の関係性もおだやかで、荒い運転をするような人もほとんいなかった。
車は人目を気にせず一人になれる空間で、ちょっと凹むことがあると、好きな音楽をかけて歌いながら、海沿いの道をドライブした。
好きなところで止まっては、写真を撮った。
島での車は、自由を広げてくれるものであり、日常をちょっとした旅に変えてくれるものだった。
一昨年、島を出た。
引っ越し先で新たな車を手に入れた。島から乗っていくにはお金も時間もかかりすぎたから。
本土での運転は思った以上に大変だった。
信号もたくさんあれば、右左折限定の車線もある。
交通量も多いし、自分も含めてドライバーはなんだかんだ余裕がなさげだ。
高速道路は移動を便利にしてくれるけれど、運転していたらどんなに素敵な景色があっても、当然止まれない。
車は私にとって必要だけれど手に余る、単なる移動の手段になった。
島で感じていた車の自由ってなんだったのだろう。
行きたいときに行きたいところに行ける。
好きなときに足を止められる。
本土は広くて、人も車も多くて、運転していると運転だけに意識を集中しないといけない。心も体も不自由だ。
心の自由さ、頭の自由さ、きっと電車の旅に私が求めているのはそんなことかもしれない。
こっちでの車もいつかそうやって自由に操れるようになるんだろうか。