庭に大の字になって寝っ転がった時に感じた、自分が戻るべき場所。【おもせ〜ひと vol.1】
福島県大熊町の”おもせ〜ひと”(=面白い人)を数珠つなぎ形式でご紹介するインタビュー企画「おおくままちの”おもせ〜ひと”」。
記念すべき1人目にご紹介する”おもせ〜ひと”は、大熊町の交流スペース、「クマプレ」に勤務されている、吉田幸恵さんです。
幸恵さんは、私たちインターン生の"お母さん"的存在。
インターン初日には、ご自宅の庭でBBQをして迎えてくださったり、たまに幸恵さんのお家で色々なお話をしながらご飯を食べたり。
業務で困っている時にも、アドバイスをしてくださったり、地元ならではの人脈を駆使して色々な方に繋いでくださったり…幸恵さんには日頃からお世話になりっぱなしです。
そんな幸恵さんは、大熊町のご出身。震災以降、地元である大熊町に帰りたいとずっと思い続けてきたといいます。
また、「町がなくなってしまうのではないか」という危機感から、自主的に町の歴史や記録を勉強するようになったのだそう。
大熊町で働かれるまでの経緯や、地元である大熊町に対する思いについて、お話をお伺いしました。
「仕事やめて3年以上経っていたのに、みんな覚えててくれて」
━今はどんなお仕事をされているんですか?
幸恵:大熊町の交流スペース「クマプレ」で4月から働いています。業務としては、来訪者の対応や町の案内、大熊町情報noteの情報発信と、あとは挨拶周りとか。企業さんや町の人に、「こんにちはー」「最近面白そうなことありますか?」って、町のことを直接聞いて情報収集してます。
※幸恵さんは、この大熊町情報noteを中心となって運営されています!
━大熊町で働くことになるまでの経緯についてお伺いしてもよろしいでしょうか。
幸恵:2019年に楢葉町に引っ越した時に、広報誌に「ジモットワーカー」(県外からでも、在宅で福島の仕事をすることができるサービス)の就労支援募集が入っていて、それに登録したのがそもそもの始まりです。
仕事を探したくても、私は障害を持っているので(※2013年、引き逃げ事故に遭われ、身体障害と脳脊髄液漏出症の疾患を患う)、企業に就職するにしても、フルタイムで働いたり、1日中座って勤務するっていうのは難しかった。それに加えて、私は広く双葉郡に関わるお仕事がしたかったから、在宅ならなんでもいいわけじゃなくて。
そしたら「ジモットワーカー」で、このクマプレの仕事を紹介してもらったんです。「出勤自体は週に数回で、あとは在宅で町の情報発信とかする仕事なんだけど幸恵さんの要望にあってるからどう?」って言われて、「もうぜひ」と。
広く双葉郡とは言いつつも、やっぱり大熊町にいたいって気持ちはあったから、大熊町の仕事って言われた時に「ああ!」って思って。
━ただ在宅で仕事ができれば良いわけではなくて、あくまでも”地元で”働くことにこだわりがあったのですね。
幸恵:印象深い出来事があって。2019年に楢葉町に引っ越して、距離が近いから大熊町の役場とか、大川原(大熊町の復興再生拠点)とか、そういった場所にもちょこちょこ来るようになったんだよね。
元々震災前もヤマトのドライバーとしてここら辺ぐるぐるまわってたし、震災後も社協の相談員やってて、会津若松に避難してる大熊町民のところぐるぐる歩いていたりしたんだけど、そしたら仕事やめて3年以上経っていたのに、みんな覚えててくれて。
町の人たちが「元気だった?」とか「どこにいたの?」とか声をかけてくれたのが嬉しくて。ああやっぱり町に関わる仕事がしたいなって思った。
━3年以上経っても覚えていてくれているのは、嬉しいですよね。
幸恵:もうすっごい嬉しかった。私が働いていたあの3年間って、無駄じゃなかったんだなって。誰かの記憶に残ってたんだっていうのがすごく嬉しかった。
「あんた来なくなってからつまらなくなったのよ」なんて言ってくれる方もいて、私も役に立ってたんだって感じたんだよね。
だからそういうふうに、地元にちょっとでもいいから関われることをしたいなと思って。
大の字になって寝っ転がった時に感じた、自分が戻るべき場所
━今、大熊町に期待していることはなんですか?
幸恵:まあ、正直1番気にしているのは自分の家だよね。一応、2024年度以降に除染・解体が始まる予定なんだけど、帰れるようになるまでどれだけ迅速に、確実に進んでいくのかっていうのは個人的に1番気になる。
大熊町にどんなお店が入ってくるとか、これからどんな町になるかとかっていうのは興味があるけれど、何が1番気になるかって言われたら、そこに住んでいた町民としては、やっぱり自分が住んでいたところが1番気になっちゃうのよね。
━同じ大熊町民でも、もう町には戻らないと決断された方もいらっしゃいますよね。そんな中で、幸恵さんが「帰りたい」と思われるのはなぜなのでしょうか。
幸恵:今住んでいる楢葉町に引っ越してきた時、庭に大の字になって寝っ転がったんですよ。その時に、「ああ、やっぱり私はこっちの空気があってるんだな」って思った。その瞬間に、やっぱり私が戻るべき場所は大熊のあそこの家なんだろうなって、すっごく強く思いました。
元々ずーっと帰りたいなっていう気持ちはあったんだけども、それをものすごく強く感じたのはあそこで。
町がなくなってしまうかもしれないという危機感からはじめた、大熊町の勉強
━幸恵さんがこれからやりたいことはなんですか?
幸恵:町を知ってもらうっていう活動はずっと続けたいと思ってる。語り部みたいなことをやりたいわけじゃなくて、単純に町を知ってもらう活動がしたい。
とにかく、ありのままの大熊町を知ってもらいたいかな。それをみてどう思うかはその人次第なので。帰っておいでとか、こんなに町が良くなったから皆さん戻ってきてくださいとは全く言えないし言う気もない。それぞれに色々と事情を抱えているから。
町外の人に限らず、町外に避難した町民の方にも、今の町の現状を知ってもらいたいし、ここへ来た人に、私が町のことを話すことで、それをまた聞いた人が誰かに伝えて、さらにまた誰かに伝えてってやっていくことで、幅広くいろんな意味で町を知ってもらう活動はずっと続けていきたいなと思うよ。
私が一方的に何かを伝えるんじゃなくて、相手が知りたいことをお伝えしようと思って、自分も勉強し直してるし。
━町についてとってもお詳しいなと思ったら、ご自身で勉強されていたんですね…!
幸恵:避難して、「もしかしたら大熊町っていう存在がなくなるんじゃないか」って、一瞬思う時があったんですよ。避難指示の解除とかまだ何も決まっていない時に。
そうなった時に、自分はこれまでは普通にそこに暮らしていたけれど、どこまで町のことを知っていたんだろうってふと思ったんだよね。そっからかな。
町がなくなってしまうかもしれないって危機感が自分の中に芽生えた時に、せめて記録や歴史はちゃんと覚えとこうと思って、調べるようになった。
だから、「仕事で案内するから」勉強するようになったというわけではないんだよね。
━誰かに伝えるためというより、個人的に興味を持ったから勉強された?
幸恵:そうだね。町で暮らしていて、子供の頃から普通だと思っていたことが、もしかしたら普通じゃなかったのかもしれない、大熊町ならではの風習や文化や伝統だったりして、他の地域にはないものがあったのかもしれないって思った時に、それって一体どこまでがそうなんだろうとか、そもそもあの町ってどんな町だったんだろうっていうのが、自分の中で興味が湧いて。
「ずっと関わり続けられるような関係性を持てたらなって」
━最後に、今これを読んでいる方に伝えたいことがあればお願いします。
幸恵:こうやって(インターン生のように)来てくれる人がいるじゃないですか。そのご縁は細く長く繋がっていきたいっていうのはすごくあって。元々の町民とも、離れてしまったけれど、細く長くできればずっと繋がっていたいと思っているし、町に興味を持ってくれた人も、一度じゃなくて、ずっと関わり続けられるような関係性を持てたらなっていうのが希望かな。
町のことを一回で知ろうたって、やっぱり難しいよね。関わりを持ってくれるなら、太くじゃなくて細くでいいから、息の長い関係を続けていきたい。
そういうものって、当たり前だと思ってたけど、一回(震災で)切れた瞬間に、あれって当たり前じゃなかったんだって思ったから。繋がりが1番大事だよ。
編集後記
3年以上経って戻ってきても、自分のことを覚えててくれる人がいた、
そんな人と人の繋がりが、幸恵さんの「町に関わる仕事がしたい」という思いを一層強めたというお話が印象に残っています。
インターンが始まった頃、幸恵さんに大熊町について本当に多くのことを教えていただいたのですが、ここまで町に詳しいのは、「地元の方だからだろう」とばかり思い込んでいました。
ですが、今回のインタビューで、大熊町がなくなってしまうという危機感から、ご自身で勉強をされたと聞き、驚いたと同時に、幸恵さん大熊町への強い思いを感じました。
ここに載せ切れないことがもったいないくらい、本当にたくさんのお話をしてくださった幸恵さん。
大熊町にいらした際は、ぜひ幸恵さんに町の中を案内してもらってください!
次回は幸恵さんの旦那さん、喜一さんのインタビュー記事を公開予定です!
お楽しみに〜
インタビュー:殿村・中井
編集:殿村
※【9/14 追記】
幸恵さんの旦那さん、喜一さんのインタビュー記事も公開しました!
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