"今まで"にとらわれない。町役場から吹かせる、新しい風【おもせ〜ひと vol.7】
福島県大熊町の”おもせ〜ひと”(=面白い人)を数珠つなぎ形式でご紹介するインタビュー企画「おおくままちの”おもせ〜ひと”」。
7人目にご紹介する”おもせ〜ひと”は、福島県大熊町ご出身、町役場で働かれている木幡将之(こわた まさゆき)さんです。
木幡さんを”数珠つなぎ”してくださったのは町役場の方々。
8月頃、役場で行われた会議に出席させていただく機会があり、その際、役場の方に「おもしろい人知りませんか?」と聞いてみたところ、最初にお名前が上がったのが木幡さんでした。
木幡さんが「産業課にいる」という情報を入手した我々は、会議終了後、さっそく産業課の窓口へ直行。
突然、見知らぬ大学生が「木幡さんという方はいらっしゃいますか…?」と押しかけ、唐突にインタビューさせてもらえないかとお願いをしたのにも関わらず、快く私たちの頼みを引き受けてくださいました。(本当にありがとうございました…)
ご自身のことを「破天荒」「役場の中でも異質」と表現される木幡さん。
大熊町における野生鳥獣害の現状や、お仕事をされる上で大切にしていること、木幡さんが思い描く、大熊町の「新しい町」としての未来などについて、お話を伺いました。
大熊町と野生鳥獣害
身近な問題だった"野生鳥獣害"
-まずは、簡単に自己紹介をお願いします。
木幡:福島県大熊町出身。大熊町役場の産業課主事として、農業関連のことを主にやっています。
農業関連と言っても広いんですけど、私の場合は、県や国の補助事業と、農業者さんや農業者さんの団体との橋渡しや、農業の大敵の一つである野生鳥獣による被害の防除とその普及啓発活動を行なっています。
-役場に入る前はどんなことをされていたのでしょうか。
木幡:役場に入る前は、福島大学で農業や野生鳥獣害の研究をしていました。田村市都路っていうところで、古民家の再生をしつつ、借りた農地で野菜を育てたり、地域の住民の方と関わったり。
あと、大学3年生の時には、狩猟免許を取りました。
夏休みは、群馬や茨城で民宿をやりながら狩猟をやっている人のところにお邪魔して、捌き方を教わったり、自分で捕獲するところまでやってみたり。
-なるほど。そもそも野生鳥獣害の研究をしようと思ったのはなぜだったのでしょう。
木幡:福島大学って、自然豊かなところにある大学なんですよね。だから、駐車場にクマが出没したり、イノシシが出たりすることがあって。だから、野生鳥獣害の問題って、私の中ではかなり身近な問題だったんです。
捕獲しても出荷できない現実
-大熊町における野生鳥獣害について、教えてください。
木幡:代表的な野生鳥獣はイノシシなのですが、大熊町の野生鳥獣害で一番難しいのは、「産業的に活用する方法がない」ことだと思っています。
ジビエ料理(※)って食べたことありますか?ジビエ料理、美味しいですよね。野生鳥獣を捕獲したら、ジビエ料理に加工して販売する。それって、今や町おこしの方法の一つにもなっていると思います。
木幡:でも、大熊町は原子力災害の影響で、イノシシの肉の中の放射線量が高くて、一般的には出荷することができないんです。下手をすれば、皮もだめ、毛もだめ、っていうところで、基本的に産業的に活用する方法が何もないんですよ。
-なるほど…。捕獲しても出荷ができないというのは、かなり特殊な問題ですね。
木幡:捕れるには捕れますけども、利活用の方法がない。
特に令和2年度だと、大熊町全体を通して、1,011頭獲れたんですが、それらは全て隣の富岡町の施設で、微生物の力で分解して、限りなく体積を小さくして処理。もったいなって気持ちはありつつも。
-大熊町は東日本大震災から8年間、人は住むことができなかったわけですよね。それによってイノシシの頭数は増えたのでしょうか?
木幡:頭数が増えたというよりは、イノシシの生活圏が人間の生活圏にまで広がったのだと考えています。
みなさん、元々大熊町にはイノシシはいなかったって言うんですけど、いなかったわけではないと思うんですよね。
あくまで、人間には人間の生活圏があって、イノシシにもイノシシの生活圏があって、その間に境界線がある中で、お互いが干渉せずにただ暮らしていた。
でも、震災の影響で人が離れて、町が荒れていく状況になって、その境界線が曖昧になった。それによって、イノシシの生活圏が、元々人間の生活圏だったところへ広がっていった。
すると、たまたま町に人が戻った時に、イノシシに遭ってしまう。それで、獣害が起こる。こういうことだと思うんですよね。
木幡:誰も管理しなくなった農地とか、誰も住まなくなった家とか、そういったものって大概、山裾にあるんですよ。いきなり町中の家が誰も住まなくなったとか、誰も管理しなくなったってありえないじゃないですか。
そうやって、山に近いところから誰も管理しない土地や家ができて、草が生えて、山と同じ状況になって、イノシシの生活圏になる。
それがどんどん進行していくことによって、町中にイノシシが”突然”現れるようになるっていうのが、獣害に対する私の考え方です。
人が町に戻ってくることの重要性
-獣害は、町に人が戻っていこうという時、かなり大きな問題になっていきそうですよね。今後、この問題はどうなっていくと思いますか?
木幡:獣害対策として、捕獲することはもちろんいいと思いますよ。単純に、捕った分だけ頭数が減って、頭数が減った分だけ、遭遇率が低くなると。
でも、イノシシもね、あくまで生きているものなので。我々と同じ動物ですから。だから無意味にはイノシシを捕りたくない。
木幡:そう考えた時に、まずは人が戻ってくること、それによって人間の生活圏と動物の生活圏が再びしっかり分かたれること。そういうふうになることが、大熊町としての一つの理想なんじゃないかと思っています。
なので、私たちは行政として、”駆除”という形でイノシシをどんどん追い出してあげて、人が戻ってきやすくし、人が戻ってくることによって、人間の生活圏を生み出して、イノシシが入ってくることを少なくしたいと思っていて。
まだ役場に入ってから3年しか経っていませんが、この考え方を3年間ずーっと続けています。
具体的な成果としては、豚熱(ブタ・イノシシの熱性伝染病)とか他の要因もありますけど、ピーク時には1,011頭あった捕獲量が、6割ほど減少しました。
町役場でのお仕事について
同じ町民だからこそ、一歩踏み込んだ関係性を
-「地元である大熊町で働く」というのは、ご自身の中で決めていたことだったんでしょうか。
木幡:浜通りで働けたらいいなっていう気持ちはありましたね。あわよくば大熊町でしたけれども。
そもそも、福島大学を選んだのはすごく不純な理由で。震災当時、大熊町民だったやつがいれば、教授も研究のフィールドとして大熊町を選ぶ時に、俺を窓口として使えるだろうなって。それを面接で言ったら、一発でその当時の教授が食いついて、「君面白いね」って合格したんですよ、大学に。
ただ、そういう理由で福島大学に入ったからには、地元に近いところにいないとダメだろうというところで、できるだけ地元に還元できるような講義や、地元で役に立つだろうなっていう講義を選んで、単位をとっていって。
そういった理由もあって、大熊町じゃなくてもいいんですよ。でも大熊町ないし浜通りに就職するっていうのは、大学入った時点で決めていた部分ではありました。
-お仕事をされる上で、なにか意識していることはありますか?
木幡:住民と一歩踏み込んだ関係性をつくること。
どうしても役場とか公務員って言うと、住民に対して役場側が丁寧に対応しないといけないとか、役場側が基本的にはへりくだって、住民側をたててやりとりするとか、そういうイメージだと思うんですけど、難しく考えすぎなんですよ。
例えば補助事業とか、住民の方の側のしっかりやるべきところはやって、我々はそれをしっかりサポートしてあげるって立場。同じ町民だからこそ、関係性を一歩踏み込んであげるっていうのも大事かなと思ってます。
木幡:例えば、私、今標準語に近い形で話してますけど、住民の方達としゃべる時はこんなふうにはしゃべらないですよ。
他にも、野生鳥獣の捕獲隊の基地にたまたま寄って、
「こんなんじゃダメでしょ!(対策のやり方が)弱い弱い!」
「弱くねえよ!みてみ!」
って、そういうふうなやりとりをするんです。
すると、多少私が補助事業に関わることでミスをしたとしても、住民の方は「いいよいいよ、こっちでちょっと直しとくから」って。
結局そのやりとりのスムーズさっていうのが、住民の方への迅速な補助金の支払いに繋がって、さらにスムーズにいくことで、向こうも信頼してくれるので、私たち役場と歩調を合わせていってくれると。
そうすると、ある程度の問題はざっくりとスルーできるので、別なことに時間を割けるようにもなる。
そういう流れがあるので、とりあえず最初は”仲良くなる”っていうのが大事なんじゃないかと。同じ町民ですから。
前例にとらわれない、新しい町へ
近代的なデザインの都市をつくりたい
-木幡さんが思い描く、大熊町の未来について教えてください。
私は、今までの大熊町にとらわれず、我々若い世代が、新しい大熊町を作っていくべきだろうって考えています。
例えば、大熊町って浜通りの真ん中じゃないですか。真ん中にある都合上、大体みんな買い物となると、いわきか仙台に行くんですよ。
でもそれじゃダメだろうと。目指すは仙台ですよ。駅前だけでも仙台(のような大都市)っぽくしたいなって。アウトレットとか欲しくないですか?
-大熊町にアウトレットができたら面白いですね。
木幡:面白いですよね?若い人、来て欲しいですよね。まあ、そういう野望を持っています。
でも、もちろん大熊町って、扇状地で生きがいとして農業をやっていたり、梨をはじめとした果樹の栽培をしていたりする人もいたので、そういう良いところは残しながら、新しい近代的なデザインの都市を作りたいですね。
クリーンエネルギーとか活用して、農業用地の周りとかも、大陽光パネルとかでおしゃれに装飾していきたいなって。そういうの大好きなんですよ。
-新しいものがお好きなんですか?
木幡:好きですよ。大学時代から新しいものとか、新しい文化とか、そういうものに触れる機会が多くて、あまり先入観がないんです。
だから役場の仕事でも、前例にとらわれず、ここ違うなって思ったものは、自分の意見を持って「こうした方がいいと思います」って言って、やってみる。
うちの課長も、自分が納得すれば何やってもいい、筋が通ってさえいればその過程は問わないっていう考え方なので、すごく助かっています。
マイナスからのスタートでも、町のために動いてくれる人たち
-大熊町って、町外出身の方が積極的に町づくりに関わっていたりもしますが、それに対してはどう思っていますか?
木幡:やってくれることがありがたい。逆にすごいなと思って。
大熊町って、言ってしまえばマイナスからのスタートですよ。
原子力発電所はまだあって、これから40,50年くらいは廃炉の問題が続いていくわけですよね。
農業だって、まだ大川原地区でしかまともにできない。農業できたとしても、米はいちいち全量全袋検査しないといけないし、野菜は土壌の放射線量の検査とかしないといけない。
すごくめんどくさい状況の中で、自発的に新しいコミュニティづくりをしたり、農業やりたいですって言ってくれたり、キッチンカーとか、お祭りのコンサルとかやってくれたり、そういう人がいるってことが、私はもうすごいなと思うんですよね。
正直な話、メリットなんかほとんどないわけですよ。人もあまりいないので、利益も取れないでしょうし。
それでも大熊町の人のために何かしたい。そういうふうに、やってくれる人の存在は大事にしていきたいなと、応援していきたいなと思います。
-今回のインタビューを通して、"役場"や"公務員"へのイメージが崩れた感じがします。
木幡:私は破天荒ですからね(笑)。
-では最後に、この記事を読んでいる方へ伝えたいことがあればお願いします。
木幡:まず私はですね、大熊町役場の中でもとりわけ異質なほうなので、役場の人がみんながみんなこういうわけではございませんと(笑)。
産業課の私という人が、こういう人物で、自分の知見とか経験を生かしながら、大熊町に新しい風を吹き込むために頑張っていますと。
私はここにいますということを伝えたいです。
編集後記
毎回インタビュー終了後に、「おもしろい人知りませんか?」とお尋ねするのが恒例となっているのですが、木幡さんに至っては「俺よりおもしろい人、いないからなあ」という返答(笑)。
実際、木幡さんの前例にとらわれない柔軟な考え方や、役所や公務員という職業への印象を良い意味で覆すような言動は本当におもしろく魅力的で、あっという間に1時間が経ってしまった、そんなインタビューとなりました。
記事には載せきれませんでしたが、木幡さんが学生時代に極めていたeスポーツのエピソードもたっぷりお伺いしました。
たまたまインタビューを担当したもう1人のインターン生、中井くんもeスポーツに熱中していたということで、とても話が盛り上がっておりました。
また、生まれてこの方、ずっと都市部で過ごしてきた私にとっては、野生鳥獣害の問題はあまり馴染みがなく、だからこそとても興味深いお話でもありました。
中でも、捕獲した野生鳥獣が放射線の影響で産業的に活用することができないというのは、かなり深刻な問題であると同時に、原発の立地所であるがゆえの特殊な問題であるとも言えます。
そのように、大熊町という町の特性ゆえに発生する問題は、実際に町を運んだり、町の人からお話を聞いたりする機会がない限り、なかなか知り得ないのではないとを感じました。
今回の記事が、木幡さんという「おもせ〜ひと」の魅力を伝えると同時に、そういった問題の存在を多くの人に知ってもらうきっかけとなれば幸いです。
それでは、次回の「おもせ〜ひと」もお楽しみに!
インタビュー:殿村・中井
編集:殿村
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