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「号泣する準備はできていた」は役に立つのか

!!号泣!!なんて、エモをコントロールできたら相当、生活が向上しそうだ。

主に恋愛やパートナーについてのアレコレ、ほろにがが1ダース詰まった短編小説。

好きな本だけど、けっこう描かれている心情が理解できない。
“好き”と“理解”は一致しないんだな、という本。

外国を好んであちこち旅してしたころ、よく墓地を散歩した。墓碑銘を読むのが好きだったのだ。自分の墓碑銘を想像したりした。 『ユキムラアヤノここに没す。強い女だったのに』 というのだ。でもほんとうは、そのときにはすでに、号泣する準備はできていた。

これは↑本のタイトルにもなっている11編目の「号泣する準備はできていた」の中で、主人公 ユキムラアヤノが放つ「号泣する準備はできていた」という心情。
サッパリわからない。

なんで?なんで急に?号泣??

インパクトつよつよ文章だけに、あまりに脈絡なく、唐突に繰り出される「号泣する準備はできていた」に置いていかれてしまった。

これに限らず、全編とおして白や黒でわけられない心の機微が描かれており、「わかるような、わからないような、、、」「まぁそういうこともあるだろうなぁ」というボンヤリな後味でしめられている。

収録されている短編で一番好きなのは〈じゃこじゃこのビスケット〉
この短編は「楽しくなかったけど、大切な思い出」というものについての話なのだけど、読んでると自分にもそのようなものがあった気がしてくる。

ありもしないノスタルジーを刺激されるけど、役に立ちそうな部分はなかった。


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