見出し画像

【聞き書き①】牛と暮らす勝田さん

こんにちは。奥出雲町農業遺産推進協議会です。これから、この地で農業に携わる方々の思いや知恵や暮らしを、聞き書きで綴っていきたいと思っています。第一弾は、奥出雲町の阿井という地域でお米作りや牛飼いを続けてこられた、勝田さんご夫婦にお話を伺いました。聞き手は、聞き書きライターの松本朝子さんです。

阿井地区の位置

「若い頃から牛をしようと思っていました」

「家内は牛を目当てに嫁いできたですよ(笑)」

水田の周囲に森林が広がる阿井地区の景観
右が勝田力さん(79歳)、左が勝田律江さん(71歳)

力さん)牛は私の牛でありませんでね。登録証みせてあげえか?家内の名前でね。

律江さん)全頭私の牛です。同じ町内からこの阿井に嫁いで、いま71歳です。それで、やっぱり若い時から農業に興味があって、実家も米と野菜と和牛をしていて、牛をやろうと思って嫁いできました。それについては仁多米というのが、もうすごく美味しいお米だということに、若いね、結婚する前の時から関心があって。それでここで農業をやろうと思って、それでこっちに嫁いだんですけど。今でいうと地域おこし協力隊みたいな、先進地留学というのがあって、広島の神石じんせき(現在の神石高原町)に、普及所や役場にもお世話になって1年行かせてもらってそれから嫁ぎました。主人は勤めてましたんでね。

力さん)私は農協に勤めてましたからね。それで親父は肥育(子牛から育てて肉にする)をしていたのですがね。早い話が、家内は私のところに嫁にきたのではなくて、牛を目的に嫁いできたわけですよ。私でなしに牛のところに嫁いできたんですよ。それで最初から雌牛はこれに任せようと思って。肥育でなく繁殖を飼ったわけです。(牛飼いには、仔牛を生ませて売る「繁殖」と、仔牛から育てて売る「肥育」の2種類があります)家のことは任せにゃいけんと思ってそれで最初から牛の登録は全部家内の名前にしたんですよ。

律江さん)お父さんが亡くなられたから、それまではお父さんの名前で、亡くなられてから私の名前でね。農地はもちろん主人の名前ですけどね。まあ5・6頭しかいなかったけどね。それから少しずつ増やして、多い時は12~13頭飼っていました。今は6頭ですけどね。今度競りがあるから自家保留した分も入れてね。それはなんで自家保留したかというと、来年(2022年10月)は鹿児島で全共(第12回全国和牛能力共進会:別名「和牛のオリンピック」)があってね。そのために候補牛として選抜されてるからね。

「米と話ができるように米作り。牛は感情がわかるからよけいに可愛い。」

力さん)年を取りましてねぇ。あと牛飼いできるのも5年か6年だと思っていてね。それで1年に1頭減らかしていく、そげな計画でね。牛は経済動物ではあるけどね。よく昔の人は、米作りはね、「米と話ができるように」って言ったもんだけど。牛は喋りますが?言葉はわからんども。そげするとね、感情が分かりますが。それで可愛いでしょ。そいでやめられんですわ。でも牛がいかんようになるか、こっちがいけんようになるかってくらいでね。でも最後まで続けたいですよ。その心配があるもんだけんね。そりゃ最後まで続けたいですよ。

「100万牛友の会。それはそれはすごい時代があったんですよ」

律江さん)平成の2年3年くらいのことですわ。本当に仁多牛の頭数がほんにいてね。女性部が活躍して、特に阿井はさかんに活動しててね。100万牛友の会。「第七いとざくら」という種牛が出てきて、それがものすっごい活躍した時代があってね。仁多牛にすごい貢献したんですよ。もう競りに出すとね100万・150万、1番高いのがそこの小阿井のおじさんが230万円というのがあってね。その話を今でもするけど。その時は100万音頭というのを替え歌で踊ってねぇ。平成の2年かね、いろんなところに踊りに行ってね。振付を自分たちでしてね。すんごい賑やかにしてましたね。「平成音頭」の替え歌でしてね。その時の仁多の所長さんがね、こういうのが好きで、歌詞をつくってくれてねぇ。曲までは作る人がおらんで、曲は「平成音頭」。その時の歌い手がね、私の実家の兄なんですよ。安来節の三味線の師範で、歌って録音してねぇ。そのうち牛飼い仲間の女性が歌手でね。カラオケにして歌って祭りなんかにも行ってねぇ。踊りましたわ。ご祝儀いただいて。そのお金でこの冊子も作りましたわ。
 阿井の女性が全部、標語もつくって写真撮って文も一字一字を書いてね。だけん、女性のパワーがほんに、ものすごいでしょう?40人はいましたね。牛はほんにいまは20軒ですけどね、ほんに門ごとにね。いまは女性部っていうけど、その頃は婦人部ですわ。牛飼いの先輩のおばあちゃん達にいろいろな事を教えてもらって今の自分が頑張れると思いますがね。
 メスの子牛が100万を超えてねぇ、オスは70万くらいかね。いとざくらの血統牛が欲しいばっかりに。岩手や北海道から買いにこられてね。

「百萬音頭」の様子

「子どもの体験学習。最初の子達がもう40歳ですわ」

力さん)そういう流れの中で。子どもの体験学習の作文もこの冊子には載ってるんですわ。
 秋に阿井地区の品評会がありましてね。その時に、牛を見せたり、仁多牛の歴史や牛の見分け方なんかを学習会して。小学校4年生の児童が審査してくれます。それが審査の先生とおんなじ子牛を選ぶんですわ。4年生いうたら10歳ですが?最初の子達、それが今年40歳だって。だからもう30年もやってる。その時も支部会の支部長さんが熱心な方でね。共鳴し合ってねぇ。

阿井小学校の児童が和牛の審査を体験

「大人が当たり前と思うことが子どもには発見」

力さん)高校の審査大会のときの子どものね心に残ってね、それを作文にしてるんですわ。
 第一回目の審査会に出た4年生の児童が、今では中国牧場で働いていてね、ここらじゃ一番大きい、数千頭くらいおるところでね。第一回の子どもさんでしたわ。審査競技に出たら優勝されたことが新聞にも出てね。
 子どもはすばらしい。大人は当たり前と思ってることが子どもの目から見たらね発見するでしょ。僕がいちばん心に残っておるのはね。「牛はなんで乳が4つあるか?」そんなこと考えたことないでしょ。当たり前だと思っておるでしょ。それが牛の3ツ子がうまれたですよ。その時に、牛の子は3つなのになんで乳は4つあるんだとね。そんな疑問の中からいろんなアイディアが出てくるんだわね。松江で高校生が提案してましたが?提言だなんだ。子どもっつうのは素晴らしいなと思って。

律江さん)子どもが4年生にしたことを、子どもはほんに素直に書いててね。うちも年に1回体験会して触らせてってやってたけど、今はほんに寂しくなりました。

挿絵も字も地域の方の手書き

「ケロちゃん田んぼ。見たり食べたり触ったりが子どもの心に残ってくれたら」

力さん)それから小学生と幼稚園の年長さんを対象に、米つくりの体験をしてましてねぇ。そりゃあ、どげな米つくりかというとね。「昭和の米つくり」です。これもその名前をね、ある人がつけたですよ。種まきをしてねぇ、ババヒキやね、定規ジョウギ(ババヒキと定規は同じ道具の別名)、あれもしたけどねえ。それから地区の高齢者も一緒に参加してもらって。稲刈りはもちろんカマで刈らせてね。幼稚園のは”ケロちゃん田んぼ”っつってねえ。田んぼの中へ入る機会子どもはないでしょぉ?入ってねえ、どろんこ遊び。もう田んぼの中で泳ぐんですよ。幼稚園の先生も子ども達と一緒になって入ってねぇ。面白ぇなあって。汚ぇがいてね。そういうのを側のもんが見ると楽しいからねぇ。2~3年前は田んぼで鯉を飼ってねえ。1年や2年の小さい鯉、コイの子を買ってきてね。それをまた稲刈りが近づいてくると、すくうのも稲場に入って子どもが一生懸命にね。稲刈りも手刈りとバインダーとで刈ってハデ干しして。昭和の米つくりだって。コンバインや大型の機械に乗せるんじゃなしに。ハーベスターと、千歯のね、足踏み千歯ね。子どもにそういう体験をさせましたわ。自分が親になって子どもがおるようになったらそれが心に残っておるんだわね。

阿井地区の子どもが米作りを体験する「ケロちゃんたんぼ」

力さん)子どもはね。体験学習!見たり食べたり触ったりしたことが、覚えておらんでも体が覚えていくからにぇ。
 そのことともうひとつ。やってみてわかりましたが。阿井にふれあい祭りというのがあるんですが、子どもに参加させたら、じいさんばあさんがどげでも出えですよ。孫だっていって。親よりも。やっぱり子どもが出ればじいさんばあさんも出るんですよ。その中で昔から継いでいるのはいろんなことを体験して、そういうことを代々ずっと体で受け継いでるんですよ。

「田んぼと牛はセット」

力さん)田んぼと牛、米と牛ですわね、これはセットなんですわ。具体的にいうとにぇ、田んぼがたしかに4反あるとね牛1頭。8反でまあ2頭になりますわね。だけん、1反や2反で5頭や10頭飼ってもそれは無理だと続かんと。それはわかったことですわね。昔は今と違って飼料も買えませんわねぇ。輸入もないし。その地域の中で牛の飼料も賄って、んで田んぼとなんで繋がったかというと、畦畔の草刈りをしますわね。昔はハデ干しもしよったがね。
 畦畔の草、それがあれば、4反で1頭は飼える。牛がおるから、畦畔も荒れんようになる。牛がおらにゃ、草も刈らんようになるでしょ。いまは補助金もらって草も刈らにゃいかんけど。牛がおれば糞がでる。それが肥料になる。こやしを買わなくて済む。面積も、続かないと、牛は1年に良くて1産でしょ。よくて1産。そうすると1年にいっぺんしか収入にならん。種がつかんとね、収入がないでしょ。ところが牛には食べさせにゃいかん。牛お前子を産まんだったけん食べるなってわけにはいけん。毎月収入がないわね。牛は食べるほどだけども。勤めておれば収入はあるが。農業を続けていくには、資源を回していけば、継続はできる。儲けたお金を地域の中で回して、米と牛の循環の環をね。昔の人は体験から知っておったんだわね。子どもは大人の後ろ姿見て育つっていうわね。コロナで人が集まれんようになって、そうやって見せる機会もなくなってしまってにぇ。

牛舎に張り付けられる縄久利神社の札

律江さん)これは牛の神様の縄久利神社の札。広瀬(安来市)のね。4月24日に春のお祭りがあるの。ここらの牛飼いは、だれもが行って、札をもらって、こういう牛舎に貼るの。やっぱり神事かみごとなんだわねぇ、牛なんかは。お米もそうかもしれんけど。神様が宿るんだわね。

「お産した牛には味噌汁を飲ませるの」

律江さん)毎日よぉおんなじもん食べちょるねぇって思うけどね。毎日毎日ねえ。
 産後には味噌汁をあげるけどねえ。産後にはまあ気を付けるけどねぇ。ちょっと餌を食べんとかあると獣医さんに診てもらったり。薬をのませたり。それから一番怖いのは、脱水状態になることなんだわ。子牛は下痢して足が立たんようになるの。そうすると点滴して。産後1か月はなりやすいんだわね。そのときが一番えらい。死ぬるかどうかとかね、発育も遅れるわね。おかあさんのお乳もの飲まんようになるしね。そうならんように、一生懸命、保温してやるわけ。ちゃんと専用の防寒ベストみたいなのがあって、そこにこうやってカイロを入れてやって。そこへ毎日ホッカイロをね、冬のこう寒いときね。母体の体温は20℃くらいなんだって、それで生まれたら5℃だと寒いが?それでネックウォーマーみたいなのをして、ベストを着せて、夜は1℃くらいになるからね。体温を下げないようにね。電気のホットカーペットの上で寝させるようなこともあるよ。まあ生後1か月までが大事だわね。まあ生き物だもの。病気になることもあーわね。

「一頭ずつ性格が違ってね。この仔は親が人見知りでこの仔もなんだわ」

「やっぱりちょっと縁起のいいような名前を考えるわね」

律江さん)(名前は親にちょっと似た名前なんですね)メスはひらがな、オスは漢字にしてるの。「つやひめ」は米の名前だわね。島根県が推してるいいお米って聞いて、それを名前にしたの。「つやひめ」の娘は「つやむすめ」ね。あの前にアナ雪(『アナと雪の女王』)という映画が流行ったときには、「はなゆき」って付けたりね。その時に流行ったものをひょっと付けてみたりね。飼い主の思いが入ってるんだわね。名前の付け方もなかなか、どうしようかなあと考えるわね。やっぱり売られていく牛は、てきとうっちゅう訳ではないけど、やっぱりこの残す牛はうちの牛として育てようと思うようなのはそれなりに考えるわね。この子牛は、おかあさんがもう売られてしまって「はるひめ」さんだったけん、「いとひめ」にしたんだない。幸に福とかね。ちょっと縁起のいいような名前を考えたりね。

手を出すとなめてくれる。ざらりと温かい。

「どういう牛を好まれるか考えながら育てるんだわね。」

律江さん)今年のコロナで3月4月は落ちたけどね、10万円くらいはすぐに変動して、いまは回復してきて。10万の違いで餌代が取れるかどうかね。250日~260日で出荷だわね大体。適期をみてね。長く買うと損だわねエサもいるし。購買者の方が儲けてもらうと、また次の分を待って、買ってくださる。購買者さんに喜んでもらわないとね。やっぱりこのさんの分はよかったなと思うとまた競りに来て買ってくださる。前が失敗したらあんまり買われんし。どっこの家もそう。この家のこの系統はいつも高いねというのをみんな知っててね。競り場で牛を見てね、これならばうちも買おうかなあという気に。競り申込書をひと月前までに出すの、そうすると購買者さんに全国発送されて、それを見てこれがいいなあと思ったら丸されてね。お客さんがどういう牛を好まれるか考えながら育てるんだわね。

「よう毎日おんなじもん食べちょるねえ」「ありがとうねぇ」

「一に声をかけ、二に手をかけ、三に愛情をかけ」

牛飼い標語集より
阿井地区の雪解けの棚田

<編集者感想>
勝田さんご夫婦のお話を伺い、地域への思いと牛への思いを感じて胸が熱くなりました。米ですら米の声を聞くように育てるのに、まして牛は何を考えているか分かるからこそ余計に可愛いと言われた言葉に色々な思いが込められていると感じました。そんな手もかけ声もかけ大切に育てられた牛を売り、また次の仔牛を丹念に育てていく。大切にすればするほど売るのは寂しくなるけど、いつか死ぬと分かっていても人は出会いと人生の喜びを感じるように、そこに命の喜びそのものが凝縮されて在るのだと感じました。貴重なお話をありがとうございました。(聞き書きライター:松本朝子)

いいなと思ったら応援しよう!