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白を纏い|あなたの忘れられない思い出、小説にします

 運命という言葉は口にした瞬間熱を帯びて、夜空に逃げ出してしまいそうなくらい鋭く儚いものだ。
 
 真っ赤に染まった頬、微かに震える両手で差し出されたのは、小さな紙に書かれた連絡先だった。  
 「食事に行きませんか」  
 今にも消えてしまいそうな声で彼女はそう言った。
 驚いた。普段はどこか余裕があって隙のない完璧な人が、今は目の前で耳まで真っ赤にしてこちらを見つめている。
 きっと俺は、その瞬間から恋に落ちていたのだと思う。

 彼女はいわゆる職場の仲間みたいな存在だった。
 薬局で薬剤師として働く自分と、 病院で医療事務をしている彼女。 接点といえば電話で報告を貰う程度だった。
 そのため今まで特別な目で見たことはなかったが、足の不自由な患者さんを支えて薬局まで連れて来てくれたり、患者さんに熱心に寄り添う姿や誰に対しても分け隔てなく優しく接する姿を見て、 素敵な人だとは思っていた。  そんな彼女からこんな風に声をかけてもらえる時が来るとは、たった数秒前の自分でさえも想像できてなかったはずだ。
 動揺をなんとか抑えながら短く返事をして、 微かに震える手から小さな紙を受け取った。


 「この子、山本さんみたいですね」
 彼女がそう言って立ち止まり、指を差した先にあったのは、眩いほど純白な紫陽花。 食事へ行った後、紫陽花を観に行こうなんて話になって二人で近くの公園まで来た。
 俺が首をかしげると、彼女は少し照れくさそうにこう言った。
 「なんか柔らかくって、 優しい感じが似てます」
 今まで生きてきて花に例えられたことなんてなかったからか、なんだかこちらも照れくさくなって二人静かに俯き、またゆっくりと歩き出した。

 彼女は紫陽花を見つめながら、またぽつりぽつりと語り始めた。
 「昔、 私が通ってた小学校の近くにものすごい数の紫陽花が咲いてる家があって。私、それが凄く怖くて、 紫陽花が苦手になったんです」
 「えっ、そうなの? 」
 「梅雨の時期だからまだ早い時間でも空はどんよりしてて…その中に鮮やかすぎるくらいの紫とか青の集合体があって。 美しすぎて怖いものって あるじゃないですか。 そんな感じだったんですよね」
 焦ってじゃあ今は大丈夫なのか。と聞こうとした時にあることに気づいた。
 「俺も、似たような風景を見たことがある気がする」
 彼女はまさか、と言って疑いの目を向けながらもこう続けた。
 「近くに今にも崩れ落ちそうなボロボロの歩道橋があります」
 「その家の向かいにポツンと黄色い屋根の床屋は」
 「あった…少し進むと店員がおじいちゃんしかいないコンビニがあります」  「ああ、やっぱそうだよね。 揚げ物揚げてる後姿見ると火傷とかしないかととかちょっと心配になる」
 彼女はまんまるな目をさらに丸くさせて驚くように身体ごと振り返った。
 「山本さん、なんで知ってるんですか?私たち、地元違いますよね?」  「いや。 昔住んでたことがあるんだ。 そこの近くの小学校に通ってた」  そこからさらに彼女からの質問攻めが続き、俺が他の街に引っ越した後、 彼女がその街に引っ越してきたことがわかった。
 ほんの少しでもタイミングがずれていたら、 幼馴染みたいな存在だったのか。急に彼女が近しい存在になったような気がして、くすぐったかった。 

 長い髪を丁寧に櫛で溶かし、お気に入りのティーカップに淹れたハーブティーの最後の一口を飲み干す。ベットに潜り込み、瞳を閉じて暗闇の世界に身を預ける。少しすると意識が遠のいていくはず、なのに。
 どうしても眠れなかった。 ここ一ヶ月ほど、うまく眠れていない。
 温かいアイマスク、リラックス効果のあるハーブティー、ぐっすり眠れるらしい入浴剤など様々なアイテムを試してみたけど、どれもダメだった。  記憶の海から、じんわりと身体に溶け込んでいくような心地良い声を引っ張り出す。まだきちんと思い出せることに安堵を覚えて、少しだけ泣きそうになった。
 彼のどこに惹かれたのかと聞かれたら、 声だとすぐに答えることができる。 特別好みの声という訳ではなかったが、不思議と心地が良く、聞いているだけで眠くなってしまうような、強く惹きつけられるものがあった。
 窓の外に耳を澄ますと、微かに雨の音がした。 今年もまた、 紫陽花が咲くのだ。
 紫陽花なんて、青とか紫とか赤ばっかだって思ってた。
 だけど、あの日みた紫陽花は、泣き出してしまいそうなくらい柔らかくって優しかった。そんな真っ白な幻を見たのは、あれが最初で最後だった。  また思い出に支配されてしまう前に、 キッチンへ行き、 再び茶葉が入った缶に手をかけた。

 「これ、良ければ…」
 そう言って彼女の前に差し出したのは、真っ白な紫陽花のブリザードフラワー。耳まで真っ赤にして連絡先を渡してくれた彼女を思い出した時、何か彼女が喜ぶようなことをしたい。そう思って花を探しに行った。
 綺麗な花はたくさんあったけれど、なかでも目を惹いたのが白い紫陽花だった。 紫陽花は、青や紫しかないと思っていた。花屋さんに聞くとやはり珍しいらしくまさに彼女みたいだと思い、すぐにこれを渡そうと決めたのだ。  「えっ…ありがとう」
 彼女は驚いた顔をしたあと、また頬を赤く染めて、まんまるな瞳から涙をこぼしそうになっていた。
 「綺麗…」
 涙をぐっと堪えて彼女はそう呟いた。 そんな風にして花を抱き寄せる彼女を見て、俺は初めて心から人を美しいと思った。花が似合う人とは、きっとこんな綺麗な心の持ち主のことを言うのだ。
 そんな言葉にならないくらいの想いを美しい花に例えて、託して贈る。誰かに花を贈って受け取ってもらえるということは、こんなに尊いものなのか。
 「私たちって、似てるんですかね」
 「そうなのかもね」
 そう言って顔を見合わせ笑い合った。

 勢いよく立ち上がると目の前が一瞬真っ暗になって身体のバランスを崩し、近くの棚に身体を思い切り打ちつけてしまった。
 花瓶が床に叩きつけられ、ぱさりと音を立てて落ちた花に、西陽が当たって一瞬輝いているように見えた。
 まるであの日二人で見た白い幻がまだ生きているみたいで、美しくて、温かくて、優しくて、涙が溢れた。
 「君は枯れないもんね」
 美しく、強く生きろと言われているようだった。
 彼に貰った白い紫陽花のブリザードフラワーは、 生花と違ってすぐ枯れてしまわず、数年は美しく咲き続けてくれるらしい。
 その間に私は、何度この子に励まされるだろうか。
 少しだけ泣いたら久しぶりに眠気が襲ってきて、白い紫陽花を片手に深い眠りについた。



「あなたの忘れられない思い出、小説にします」

「あなたの忘れられない思い出、小説にします」-心の処方箋お届けします-は、今でも胸を締め付けるような苦い思い出、大切な人と過ごした日常の中での美しい瞬間。 そんなあなたの心の中にある大切な思い出やエピソードを、心の処方箋【小説】という「形」にしてあなたの元へ届けます。

「忘れられない、思わず思い出してしまう後悔しているエピソード」を小説という一つの作品を通して「一生大切にしておきたい思い出」に昇華させる。そんなサービスです。

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今回のご依頼・感想

✉️ご依頼者 
ハルハル様

✉️ご依頼内容
別れた恋人とのエピソード/その後の話を読んでみたい。

✉️感想
ビデオチャットでのやり取りの際はこちらの不手際もありながらお時間頂きありがとうございました。
質問を沢山貰い、言葉に表すことが難しかったり、チャットが終わった後にお伝えしたいことができたりとイレギュラーを発生させてしまいました。そんな中で丁寧な対応をして頂き、今後の人生に一緒に歩むことの出来る作品を作って頂きました!
表現方法など心に響くものが沢山散りばめられてます!
忘れられない思い出、小説にしてもらって良かったです!

ご依頼お待ちしております。

奥泉

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