経営学と文化解釈を考える(2)

文化経営学の理論化にむけて:

エフェクチュエーション理論の脱構築

  本論文では、エフェクチュエーション理論における文化的アプロプリエーションと異文化理解の課題 、すなわちエフェクチュエーション理論における「クレイジーキルト」概念の使用が引き起こす文化的アプロプリエーションの問題について論じる。
  エフェクチュエーション理論は、起業家の意思決定プロセスを説明する際、しばしば文化的比喩を用いるが、その際に元々の文化的文脈や歴史的意義が捨象されてしまうことがある。この問題は、かつての「日本的経営」研究が、日本の経営慣行を過度に単純化し、本質化してしまった問題と類似している。文化的実践の理解やその転用に対する慎重さが求められる中で、本論文ではエフェクチュエーション理論の具体的な問題点を考察し、経営学における異文化理解の限界と課題を明らかにする。
   サラスバシー(Sarasvathy)は、エフェクチュエーション理論において、クレイジーキルトを「予測不可能な未来に対する柔軟な対応」の象徴として用いている。この用法は、起業家が計画や予測に依存せず、既存のリソースと関係性を駆使して不確実な未来に対処する方法を示すためのものとされている(1)。しかし、クレイジーキルトにはその文化的・歴史的な文脈があり、この点が理論の応用において捨象されていることが問題視されるべきである。本稿では、クレイジーキルトの文化的意義を踏まえ、エフェクチュエーション理論の限界を具体的に検証する。

クレイジーキルトの文化的意義
   クレイジーキルトは、アフリカ系アメリカ人の文化的・歴史的な実践に根ざしている。特に奴隷制の時代から続く伝統として、キルト制作は重要な文化的意味を持ち、単なる装飾品や実用品にとどまらず、アイデンティティや抵抗の象徴として機能してきた(2)。例えば、19世紀のアフリカ系アメリカ人女性キルト職人であるハリエット・パワーズの作品は、高度な芸術性と同時に、当時の社会的メッセージを込めた作品としても評価されている。        John Michael Vlachは『The Afro-American Tradition in Decorative Arts』において、これらのキルトがどのようにアフリカ系アメリカ人のアイデンティティと共同体の意識を表現してきたかを詳細に分析している(3)。 こうした文化的背景を持つクレイジーキルトが、エフェクチュエーション理論において「無秩序」や「偶発性」の象徴として用いられている点は大きな問題である。
   実際、クレイジーキルトは、綿密な計画と技術に基づく高度な芸術作品であり、制作には多くの熟練した技が求められる。1981年にホイットニー美術館で開催された「Abstract Design in American Quilts」展覧会は、こうしたキルトの芸術的価値を広く認知させるきっかけとなった(4)。したがって、クレイジーキルトを単に「偶発性」の象徴と見なすことは、その文化的・歴史的な深みを無視するものといえる。

エフェクチュエーション理論における問題点
   エフェクチュエーション理論は、クレイジーキルトを「無秩序」や「偶発性」の象徴として扱うことによって、実際の文化的実践の複雑性や深層的な意義を捨象する傾向がある。クレイジーキルトの使用が示すように、文化的実践の安易な理論的転用は、経営学における異文化理解の浅薄さを露呈している。これは、かつて「日本的経営」研究が、日本の経営慣行を過度に単純化し、文化的特殊性として本質化してしまった問題と類似している(5)。
   例えば、「日本的経営」の研究において、日本の企業文化や労働慣行が他国の企業文化と異なる点が過度に強調され、文化的アイデンティティの一部として定義されてしまった事例がある。このような文化的実践の単純化は、現実の複雑な文化的背景を無視し、ステレオタイプの再生産につながるリスクを伴う。クレイジーキルトの概念がエフェクチュエーション理論において適用される際も、同様に、アフリカ系アメリカ人の歴史や文化的実践の意味が捨象され、表面的な理解にとどまってしまっているのである。

文化的アプロプリエーションの構造
   文化的アプロプリエーションとは、ある文化的要素を他の文脈で再利用・転用することを指し、多くの場合、権力関係や文化的な背景を無視した形で行われることが問題とされる(6)。ダグラス・クリンプが1977年に企画した「ピクチャーズ」展は、アプロプリエーションが文化批評の重要な視点となる契機を提供した(7)。
   エフェクチュエーション理論におけるクレイジーキルトの使用も、このアプロプリエーションの問題を経営学の文脈で提起していると考えられる。 エフェクチュエーション理論におけるクレイジーキルトの使用については、特に以下の三つの問題点が指摘できる。
   まず第一に、サラスバシーは、クレイジーキルトを「パートナーシップの構築」の比喩として使用する際、その歴史的・文化的文脈を完全に剥奪している点が挙げられる。これは、アフリカ系アメリカ人の文化的実践が持つ深い意味や価値を無視し、表層的な理解にとどめてしまう危険がある(8)。    第二に、この理論は、文化的実践に内在する権力関係や歴史的背景を不可視化する効果を持つ。特に、奴隷制の歴史やそれに対する抵抗の象徴としてのキルト制作が捨象されることは、文化的実践における権力関係の問題を覆い隠してしまう(9)。文化的実践が理論の素材として転用される際、こうした権力関係や歴史的文脈を無視することは、特定の文化に対する理解を浅薄なものにするばかりでなく、その実践を単なる「偶発性」や「柔軟性」の象徴に貶める結果を招く。
   第三に、経営理論への転用は、文化的実践を単なるビジネスモデルの一要素として商品化する危険性を持つ。文化的実践が持つ本来の社会的・政治的意義が失われ、表面的な「商品」としての価値だけが残ることになりかねない(10)。こうした商品化は、文化的実践の豊かさや多様性を損ない、経営学の理論的応用においても問題を引き起こす可能性がある。

異文化理解とビジネス理論
   エフェクチュエーション理論における文化的アプロプリエーションの問題は、経営学における異文化理解の方法論的課題を示唆している。特に、経営学の理論構築において、文化的実践の複雑な意味や背景が捨象される傾向が見られる(11)。エフェクチュエーション理論におけるクレイジーキルトの使用は、この問題の典型例といえる。
   ここでは、経営学における異文化理解の方法論的問題を三つの観点から検討する。 まず、文化的実践の理論化における問題が挙げられる。経営学において文化的実践を取り上げる際、その実践が持つ複雑な意味や歴史的背景が捨象され、単純化される傾向が強い(12)。エフェクチュエーション理論でクレイジーキルトが使用される際、アフリカ系アメリカ人の歴史的背景や文化的意味が捨象されている点はこの問題の典型例といえる。
   次に、理論化の過程で、文化的実践が持つ権力関係や歴史的背景が不可視化される問題がある。特に、マイノリティの文化的実践を理論の「素材」として使用する際、この問題は顕著に表れる(13)。この問題は、エフェクチュエーション理論がクレイジーキルトを比喩として使用する際にも指摘される。
   最後に、異文化の実践を理論化する際の倫理的配慮の欠如が学術研究における重大な問題を引き起こす点が挙げられる。異文化理解における倫理的配慮の欠如は、単なる方法論的な問題にとどまらず、研究者の社会的責任に直結する問題である(14)。文化的実践を理論的に転用する際、その背景や社会的意義を踏まえた慎重な対応が求められる。

結論:新たな理論構築に向けて
   本研究は、エフェクチュエーション理論におけるクレイジーキルト概念の使用が提起する問題を通じて、経営学における文化研究の新たな展開可能性を示唆した。異文化理解の深度を高め、文化的実践の多様性と複雑性を保持しながら理論化することが重要である。特に、他者の文化的実践を理論化する際には、慎重さが求められる。他者の文化に対する深い理解と倫理的配慮を持って、文化的実践を理論化し、それに基づく分析を行うことで、経営学の理論構築における質的向上を図ることが可能となる。
   また、経営学における文化的感受性や文化的文脈への理解は、新たな理論構築の鍵となり得る。文化的実践を捉えるにあたり、当事者の視点を含めた分析枠組みを導入することで、より豊かで多層的な理解が可能となるだろう。さらに、民俗学や文化研究との対話を通じて、学術研究における文化理解を深化させることが望まれる。こうした新たな方法論の開発は、経営学における文化研究において重要な役割を果たし、より倫理的で実践的な理論構築を促進する可能性を秘めている(15)。

  1. Saras D. Sarasvathy, Effectuation: Elements of Entrepreneurial Expertise (Cheltenham: Edward Elgar Publishing, 2008), 101-123.

  2. Maude Southwell Wahlman, Signs and Symbols: African Images in African American Quilts (New York: Studio Books, 1993), 15-28.

  3. John Michael Vlach, The Afro-American Tradition in Decorative Arts (Cleveland: Cleveland Museum of Art, 1978), 45-67.

  4. Jonathan Holstein, Abstract Design in American Quilts: A Biography of an Exhibition (Louisville: The Kentucky Quilt Project, 1991), 23-35.

  5. D. Eleanor Westney, Imitation and Innovation: The Transfer of Western Organizational Patterns to Meiji Japan (Cambridge: Harvard University Press, 1987), 89-112.

  6. Hal Foster, Recodings: Art, Spectacle, Cultural Politics (Seattle: Bay Press, 1985), 166-180.

  7. Douglas Crimp, "Pictures," October 8 (1979): 75-88.

  8. bell hooks, Art on My Mind: Visual Politics (New York: The New Press, 1995), 45-62.

  9. William Arnett et al., The Quilts of Gee's Bend (Atlanta: Tinwood Books, 2002), 89-102.

  10. Edward W. Said, Orientalism (New York: Pantheon Books, 1978), 201-225.

  11. George E. Marcus and Michael M. J. Fischer, Anthropology as Cultural Critique: An Experimental Moment in the Human Sciences (Chicago: University of Chicago Press, 1986), 137-152.

  12. Ronald Dore, Stock Market Capitalism: Welfare Capitalism: Japan and Germany versus the Anglo-Saxons (Oxford: Oxford University Press, 2000), 45-67.

  13. Gayatri Chakravorty Spivak, "Can the Subaltern Speak?" in Marxism and the Interpretation of Culture, ed. Cary Nelson and Lawrence Grossberg (Urbana: University of Illinois Press, 1988), 271-313.

  14. James Clifford, The Predicament of Culture (Cambridge: Harvard University Press, 1988), 189-214.

  15. Regina Bendix, In Search of Authenticity: The Formation of Folklore Studies (Madison: University of Wisconsin Press, 1997), 156-178.

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