メタバース 徹底して分かるまで その1
イントロダクション メタバースとはなにか
メタバースとはなにか?をわかりやすく正確に説明してみたい。
Matthew Ball のThe Metaverseが非常に上手に丁寧に説明しているので、その流れをパラフレーズしていく。この本は三部にわかれていて
第一部:メタバースとはなにか
第二部:メタバースを作ろう
第三部:メタバースはすべてをどのようにかえていくのか
の順番に説明をしている。
本書の特徴は歴史的文化的に説明をしながら、技術やプロダクトおよびサービスの説明をかなり正確に行っていることにある。
メタバースは1930年代、ヴァヌバー・ブッシュが”Memex"を思いついたときから始まるという。この話は多くのコンピューターユーザーならしっているだろう。1945年の『アトランティック』誌で発表された。だがこの記憶拡大装置memory extender の略語でよばれた高速で何でも自由に検索できる機械は単なる空想では無く、階層構造でデータを整理しない想像上の電子デバイスであり、これを思いついたときにブッシュはthe Carnegie Institution of Washingtonの所長だったという。彼はその後、後のNASAになる組織の副所長を1939年から41年まで担当して、ついて、フランクリン・ルーズベルト大統領を説得して、Office of Scientific Research and Development(OSRD)を設立して、第二次世界大戦を戦うための技術開発を無制限の予算でおこなうことになった。
OSDR設立の四ヶ月後ルーズベルト大統領はブッシュと副大統領のウォレスとのミーティングを行い原子爆弾の開発、マンハッタンプロジェクト、を始めることになる。このプロジェクトを実質上マネージしていたのがブッシュである。戦後、彼が手がけたプロジェクトが明らかになっていく。1960年代アメリカは国防総省(Department of Defense)の予算でいくつもの軍事プロジェクトを実行して行く。その一方でブッシュのMemexの考え方はHTMLの考え方を生み出し、無限にネットワーク上にあるコンテンツをテキストをクリックすることでアクセスできる仕組みへと進化していく。アメリカ政府はthe Internet Task Forceを発足させ、そこを始まりとしてthe Internet Protocol Suiteが開発される。その後、the Department of Defense はWorld Wide Webの開発の資金援助を行い、現在のHTMLが登場することになる。 こうした技術の展開は我々普通の人の目に触れることはないが、SFの世界は次の世界がどのようになるかのわかりやすいビジョンを与えてくれる。1968年、アメリカの家庭には10%あまりのカラーテレビしか普及していなかった。だが、映画『2001年 宇宙の旅 A Space Odyssey』ではiPadのようなデバイスで朝食中にコミュニケーションしているシーンが描かれている。この装置がiPadとして我々の生活に登場するのは45年以上あとになる。 2021年、Facebookの創業者Mark Zuckerbergはソーシャルメディアの会社からメタバースの会社になると宣言した。この流れにはFacebook以外の会社も参加した。マスコミはメタバースに関するニュースを多く報道した。この動きは西欧諸国だけではなかった。中国のTencentがメタバースに参加した。他にも多くの会社が韓国で活動を始めた。中国政府はこうしたゲーム産業の動きにブレーキをかけるべく規制をしたが止まらなかった。メタバースの動きは次世代のコンピュータを生み出すと思われ始めた。有線でインターネットに繋がるPCの時代から、モバイル携帯とクラウドコンピューティグの時代へと変化した動きが、さらにもう一度大きく変化していくと議論され始めた。このような変化は「破壊的変化」と呼ばれる。だが、破壊的変化は始まった当初は人々は気がつかない。そして変化が終わったときには社会が変わっている。 一体何がおこっているのか、これからどうなっていくのか、を明確に Matthew Ball はThe Metaverse and How It Will Revolutionize Everythingで説明する。本ノートではそのエッセンスをできるだけわかりやすく紹介したいと思う。
追記 2022/08/18
Ballの語る「歴史」として紹介していますが、Ballの説明だけをだして、その問題に関して、僕の立場の明確な言及がなくて、「これって、正しいの?」みたいな指摘があります。たしかに、僕も30年くらいここに付き合い、HTMLの初期にいろいろ活動をしていた経験と当時WWWについて言われていたことと違うなという感じはありましたが、そういう「歴史」も確かにあるなとおもい紹介しています。このあたりここでもっと書いておくべきだったと思い、追記で「定説」を加筆しておきます。
具体的には、Hypertextの成り立ちからHTMLまでの歴史の部分で、「CERNではなく米国国防総省によってWWWができたような記述はおかしい」といった指摘です。たしかに、World Wide WebはCERNに所属していたティム・バーナーズ・リーが開発したものです。これがMosaicによって使いやすい仕組みが加えられて一気に普及しました。このとき、国防総省(DoD)の資金援助があったかは英語のWikipediaではW3Cに対してDoDの機関であるDARPAが協力をしたとあります。つまりBallの説です。僕はBallの本を読むまでCERNの説で考えていました。ですが、ブッシュが1930年代からアメリカの軍事戦略に深く関わってきたというBallの本の流れとメディアラボが軍需からの研究資金がなくなって、バブル期の日本に営業をかけたという話を実際に現場で見聞きしていて、Ballの書く「歴史」もあるかなと紹介しています。二つの解釈ができるという点を本文でコメントとしてしっかり書いておくべきでしたね。ここに追記しておきます。