なんでカエルパンダで3DダンジョンRPG?①
「残月のアレ(仮)」 Vol.0
ゲスト:田村P(アクワイア株式会社)の回より
なぜ、カエルパンダが
3DダンジョンRPGを手掛ける事になったかについて
奥田が喋っている箇所の抜粋①です。
旧ゲームスタジオ~モバイル&ゲームスタジオでの
ウィザードリィ開発話なんかにも触れています。
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発言者:
主催:奥田 覚(株式会社カエルパンダ)
司会:白石もへ
ゲスト:田村P(株式会社アクワイア)
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白石:
では奥田さんから、
カエルパンダについてご紹介下さい、
(開発会社の名前が発表された時)
硬派なゲーマーから謎の会社認定されてたよね?
奥田:
カエルパンダは
旧G-mode社で携帯電話用ゲームを150タイトル以上プロデュースして
ヒット作をたくさん輩出した河上京子が2013年に一人で作った会社で、
その後2016年より、
河上の夫であり中堅ゲーム開発会社にてディレクターとかを務めていた
奥田もジョインしました。
ゲームのプロデュースから開発までやる小さいゲーム会社で、
もうすぐ設立10年ですがまだ2人です。
夫婦でやってる会社なんで3人目以降のメンバーの選択が難しいんです。
白石:
奥田くんのバックグラウンド的なものを
話ししてもらえますか?
奥田:
話せばちょっと長くなるんですが、
奥田は1977年生まれで、
中学生前後でファミコン版Wizが発売されて
TRPG版も遊んだし、
多感な時期にこれらの薫陶をものすごく受けました。
白石:
ちなみに僕も同じ世代です。ばっちり同い年。
奥田:
そう、
おいらは就職氷河期真っ只中で
就活失敗して大学も留年し、
関西でニートみたいな生活してたんですが、
いろいろあって
2004年にゼビウスとか作った遠藤雅伸さんが
代表を務めていた
旧ゲームスタジオ(以下、旧GS)に拾ってもらって、
たぶん旧ゲームスタジオの最後の新卒入社です。
ちなみに大学は
卒論めんどくさくて中退しました(笑)
白石:
ゲームスタジオは
伝説のファミコン版「ウィザードリィ」を開発した会社だよね。
僕もファミコン版のwizは我孫子のダイエーで正月に買ったよ。
おとなっぽかったので、ワイヤーフレームで遊んだw
それで?
奥田:
当時のGSは携帯電話のゲームに力入れてて。
っていうか、GSって
(PSとかが主流になった)90年代に
会社すごい傾いたらしいんですよね。
その後、2001年くらいから
ドコモを皮切りに携帯電話上でアプリが動くようになって、
(黎明期のアーケードゲームや
ファミコンとかに関わってたメンバーが多く)
小さい容量でのゲームづくりに長けてた事で
携帯電話のゲームで息吹き返して。
「久々に新卒取ろう」ってなった時に
当時、既に2年ほどバイトさせてもらってたんですが、
大学卒業するはずだった年に採用してもらった感じです。
新卒(?)で入社したあとの最初の仕事が
当時サクセスさんから出ていた携帯電話版の
「ウィザードリィ」シリーズで。
白石:
携帯電話版って
グラフィックはオミットされてたけど
ほぼフルスペックのWizが遊べたやつだよね。
個人的には宿屋のオミットの仕方が美しく見えたよ。
奥田:
そう、
「残月」の帰還してすぐ回復するシステムは
アレを真似しました。
ちなみに、
「残月」では自分の中では、
帰還時の回復は宿屋に泊まってるんじゃなくて
異土の魔法科学で回復してもらっているイメージです。
だけど、ここに関しては
ユーザーさん個々に自由に想像いただきたいと思ってます。
続きの話ですが、
入社後、
ファミコン版プログラマーの黒須一雄さんや
ゲームボーイカラー版のプログラマーだった方を
サポートするみたいな役割で
携帯版「ウィザードリィ」のプログラムやってました。
あれ、ガラケー版ウィズ、
ホントすごかったんですよね。
「ウィザードリィ」の中身を知り尽くしてた黒須さんが
自ら手がけて最適化して移植してたから、
上限50KBだった当時の携帯電話で
(システム的には)ほぼフルスペックの
初期三部作が動いてたんよね。
白石:
後年黒須さんに話聞いたら、
「今ならもう数KB減らせる」って言ってたね(笑)。
黒須さんらしい。
追加の註釈
(ここでいう、「50KBのアプリ」は
J-Phone(→のちのVodafone)の50KBアプリを指してます。
黒須さんは「#1」のままのコードだとシナリオ入らないから
「KODs(ダイヤモンドの騎士)」
「 LOL(リルガミンの遺産)」と
ソースを1から書き直してました。
その後は洗練されたコードのLOLのソースをベースに
これを発展させた移植版などが作られてました。
当初少なかった容量のアプリも
1~2年後すぐに容量が増え、
docomoのFOMA端末はプログラム100KB+リソース400KBになり、
奥田はこのあたりのプラットフォームへの
移植をお手伝いしていました)
奥田:
一応、「ウィザードリィ」とか3DダンジョンRPGとは
実は結構所縁があったわけです。
白石:
仕事でWizとの接点があったわけですね。
奥田:
そうですね、
その後、資本関係が変わった時に
「モバイル&ゲームスタジオ」(以下「MGS」)
って社名が変わったんですが、
その頃
「ウィズライク的なゲームは伝統芸能だから、
我々の代で灯火を絶やしてはいけない!」
みたいな感じで
当時、社内で
ウィズライク系プロジェクトの船頭をされていた
一圓光太郎先生が企画系の研修として
「3Dダンジョンゲーム制作講座」を始められて、
「お前たちは有望だ」って事で、
当時の若手の中から、
白石くんとおいらが受けさせられた訳です。
その研修の中で
奥田が考えた「灼熱の車輪」という
ウィザードリィの「ダイアモンドの騎士」のオマージュで
「バイクのパーツを集めて、
組み立てたバイクに乗って地獄へ乗り込む」
というコンセプトがウケて、
それが
「ウィザードリィ~五つの試練~」に収録されることになり、
おいらは当時G-mode社に出向して
ガッツリ別のモバイルのゲーム
(「Rainbow Striker」というサッカーゲーム)
作ってたんで、
仕事として商用に作りあげる作業を
白石くんがやったって感じですよね。
白石:
カエルパンダというと
世間的にカジュアルゲーム作ってるイメージだけど
実はいちおう下地はあったみたいな感じよね。
奥田:
そうそう、
うちの河上のゲームのキャリアの最初は
トライエースの立ち上げメンバーで
トライエースさんのロゴデザインしたの河上だったりするし、
(G-modeの売れっ子プロデューサー時代は
モバイルで「マジカルファンタジスタ」「勇者死す」等、
RPGタイトルも沢山プロデュース)
実はぜんぜんRPGとか
3DダンジョンRPGと接点が無いわけじゃないんです。
会社の体制とか実績の都合で
そういう仕事をする機会がなかっただけで。
さっきも言ったように、MGSでは
奥田はカジュアルなゲーム作る方向に
完全に舵を切っちゃって、
(MGSで)3DS版のアレンジや開発を担当した
「チャリ走DX」が大ヒットしてからは
仕事として求められるのが完全にそっち方面になったし、
白石くんもそんな感じだったり、独立したりで、
一圓先生もMGS退職されたり、
結局、ファミコン版Wizから続いてた
旧GSの系譜の3Dダンジョン系って途絶えてたんですよね。
白石:
その後全然動きなかったんだったけ?
奥田:
うーん、10年くらい前、
(自分のチームは3DSに力入れてて)
自社のオリジナルコンテンツとして
3DSのダウンロードソフトとかで
「500~1000円くらいで初期Wizくらいのボリュームの
ウィズライク出したらそこそこ売れるかなぁ?」
みたいな話を
当時プロジェクトのヘルプに来られてた
一圓先生に話したこともあったけど、
MGSではそれっきり。
同時期にアクワイアさんから
ウィザードリィ・ルネサンスのシリーズの1つがPS3で出て。
結構お金かけて作られている感じで、
やっぱり正統派なものをちゃんと作ろうとすると
あのレベルで作んないとダメだよなぁってところで
中堅デベロッパーだったMGSだと
あのレベルを求められると自社では無理やったんです。
当時、3DSって(MGSで社内エンジン作ったりしてたけど)
なんだかんだと開発わりと大変だったし、
やっぱり、ジャンル的にも
片手間に作るとか現実感全然なかったんですよね。
プラットフォーム広げたくても
ソースの流用が今ほど利かないし、
汎用ゲームエンジンとか黎明期だったし。
(販売の棚を広げるにも)
海外で出すのとかもめちゃくちゃめんどくさかったんですよね。
近年、コンシューマーも
AppStoreとかスマホアプリとかの
申請フロー真似するようになって
劇的に改善されてきましたけど。
で結局、MGSだと、
3DSで社内のオリジナルコンテンツとしてやったんは
おいらがゲームデザインで
黒須さんがメインプログラムで
「ピンチ50連発!!」って
子どもターゲットのアクションゲーム作って。
白石:
そこそこヒットしたよね?
奥田:
そこそこね。
年間ランキング10位くらいにはなった。
完全に(万人受けしてた)「チャリ走」への
カウンターカルチャー的な内容だったから
ひとケタにはなれなかったけど(笑)
すっげー余談だけど「ピンチ50連発」って
Miiverseって当時任天堂さんが運用してたSNSと連動してて
白石:
Miiverseあったねー。
奥田:
「トレジャーハンターK」って名前の
やんちゃなお兄さんみたいなキャラで公式アカウント運営して
子どもたちを扇動してたんやけど、
子どもたちにわりとウケて
7000人くらいフォロワーいてたんすよね。
ツイッターでいえば
たぶん数万人のイメージ
スマブラの桜井さんがたしか1~2万人くらいだったから、
たぶんその次くらいの人数(笑)
投稿始めた次の日、任天堂さんから電話かかってきて
「いやーあれ面白いんですけど、
あれ以上一線はこえないよう気をつけて下さい。
今のままなら大丈夫です」って釘刺された。
(レギュレーションで)直接の購買呼びかけるのNGで、
「応援してくれよなー」くらいしか言えないw
任天堂さんもちょっと面白がってくれてた。
白石:
話、だいぶそれたけど、もとに戻そうか。
奥田:
はい、ごめんなさい。
まあ、そんな感じで
3DダンジョンRPGに関しては
プロのゲーム制作者になって15年ほど経ち
大人になったいま再び一度、
関わることになった感じです。
(②に続く)