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焚き火【短編小説】

疲れがとれない。
心が落ち込む。
なんだか色々とどうでもよくなる。

彼はふと、なにかしたいことはないか考えてみた。そういえば、そんなことすら考えることを忘れていたのだ。

そして愕然とする。
もはや、したい、成し遂げたいなどという思いはなにも浮かんでこなかったのだ。

死んでもいいかも。
と、彼は思った。

彼はアレコレと考えるのを止めて、外へ出かけた。貯金をコンビニで限度額までおろして、適当な電車に乗り、ひたすら頭の中で、だるい、だるいと繰り返される「重石」のような気分が消えてくれないかと思った。

どこへ向かってるのだろう?
静かなところ。
人がいないところ。
頭を真っ白にして、体中にこびりついた、ダルさを心の底から振るい落としたい。

目の前で誰かが横切るだけで、イライラした。
笑い声が聞こえるだけで腹がたった。
彼の心は荒んでいて、追い詰められていて、全ての生き物が不幸になっても構わないと思えるほど疲れ果てていた。心がザワついている。

電車内でランドセルを背負った小学生三人が被ってる帽子の取り合いをしている。一人が執拗に繰り返しどちらかの帽子を奪い、ケラケラ笑っている。あとの二人は本当に嫌そうで、だけれど、あまり揉め事にならないよう、ギリギリの「返せ」「止めて」「マジで」なんて言っている。

電車を降り、バスに乗り、人気のない場所で降りる。しばらく歩くと森が見えた。

森に足を踏み入れる。
進むにつれ、道がなくなってくる。
樹木に囲まれ、鬱蒼とした場所。
誰もいない。
静かに溜息を吐く。
彼は座り込み、そのうち小さな子供が怯えるように身体を丸め寝転がる。
夕暮れが過ぎ、暗くなる。

眠ってしまおう。
もう、どうでもいいや。何も考えたくない。
彼はこのまま自分が蒸発して消えてしまえないかと願った。

「……」
目を覚ましたとき、辺りはシンと静まり返っていた。ふと、暗闇に赤みが目の奥をつく。
彼はその、赤い気配の方へ目を向ける。
焚き火?
少し離れた場所で、焚き火をしている人がいるのか? もしかしたら自分のように喧騒から逃げてきた人がいるのかもしれないと思った。

彼は焚き火から離れようと、立ち上がり暗闇に向けて歩き出す。
足音が耳に残る。枯れ葉や枝を踏みつけている音。何から逃げているのだろう。そして今、何をしているのだろう? いや、何をしているとかそういうことではないのだ。
何もしたくないからこういうことになっているのだ。
しばらくして、彼はあることに気づく。
いくら歩いても、一定の距離を置いて、焚き火がそこにあるのだ。
「……」
焚き火がついてきている。

彼は立ち止まり、その赤い揺らめきをジッと見つめた。
やはり、焚き火のように見える。
不気味に感じたが、すんなりと受け入れた。彼の心は投げやりで、色々とどうでも良かったのだ。そこに焚き火がある。そしてついてくる。ただそれだけのことじゃないか。どうでもいい。

今度は焚き火に近づいてみようと思った。
一定の距離を置いて離れていくのかと思ったが、近づくに連れ、距離は縮まっているようだった。

そして、歩いた先にはちゃんと焚き火があった。
暗闇に、ポツンと当たり前のように焚き火があり、柔らかな炎を揺らしていた。
「当たっていきませんか?」
声がした。
さっきまで誰もいなかったはずなのに、焚き火の横に、一人の中年男性が座っていた。
ますます不気味に思えたが彼はその誘いに乗り、中年男性と向かい合うようにして焚き火の横へ座った。

焚き火をしばらく眺めていた。
炎の揺らぎ、パチパチと音がする。
頭の中で少しだけ柔らかな何かに包まれているような心地良さが過る。

「とても疲れているんですね」
と、中年男性が彼に言った。
「なんだか色々なことに嫌気がさしている」
と、中年男性は続けた。

「ええ」
と、彼が言った。そして、
「心が晴れたら良いのに。全身に纏った憂鬱に似たこの気だるさから解放されたらいいのに」
と、付け加えた。

「いつの間にか、心が震えなくなっていることに気づく。そして、なんだか何も楽しくない。誰と話していても、何も伝えられている気がしない」
と、中年男性が言った。
「ええ、まさにそんな感じです。わたしはどこかで何かを間違ってしまい、そのまま進んでしまったような気がしています」

それについて、中年男性は何も言わなかった。
二人はしばらく焚き火を見つめた。

そして、彼はふと気づく。
誰かと何かを共有している。
焚き火があり、心の散らかりについて、今
吐露している。
涙が出てきた。

「ここでは泣いていいのです」
と、中年男性が静かに言った。

たぶん、これは錯覚であり、正面にいる中年男性は、時空を超えた自分なのだと。
そして、ここまで逃げてこない限り、彼は救われることが出来なくなっているのだと気づく。

死の手前にいる。

彼は自分の掌を擦り合わせ。
一度目を閉じ、そして開いた。
暗闇がある。
焚き火は消え、中年男性の姿もなくなっていた。

「……」

彼は立ち上がると、暗闇の中をまた歩き始めた。

森を出よう。

ただ、それだけを思った。
また辛くなればここへ来ればいい。
少なくともそこには憂鬱を共有できる焚き火があるのだ。




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