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気がかり。


社員が十人弱のうちの会社に、新人が一人入って、二か月弱で辞めていった。

三十代後半の女性。
物静かだけれど仕事は淡々と捌いて、個人的にはとてもやりやすかった。

あとから聞いた話だと、入って二週間ほどで、家族の間で起きた問題で、あまり来れなくなるかもと社長に相談していたらしい。体調不良や、兄弟の仕事を手伝わないといけないことがあったり、彼氏との間に解決しないといけないことが出てきたりと、色々な理由で、出勤が飛び飛びになり、結局、辞めることが決まったのだけれど、最終週は一度も顔を見せずに、お別れを言うこともなく辞めていった。

まあ、色々あったのかもしれないし、全部嘘かもしれない。
何かしらの口実を作って、とっとと辞めてしまいたかっただけかもしれない。
けれど、まあ、そんなことはどうでもよくて、事実としては入ってから出勤は飛び飛びで、最後は来なくなって、結構すぐ辞めていった。

という人だった。

気がかりは二つ。

一つは、出勤時、会社のビルのエレベーターに乗って、ドアが閉まっている最中に、出勤してくる彼女が見えた。
「……」
あ、「開」を押そうかな?
と、思ったけれど、ドアは閉まり、そのまま登っていった。

「開」を押しても良かったのになぁ。


もう一つは、勤務中外は雨が降ってきて、傘を持ってきていない彼女に、
「そこの置き傘使っても平気ですよ」
と、伝えたのだけれど、
「あ、駅から近いんで大丈夫です」
と、ニコッと笑って帰っていった。

まあ、いいのか。
と思って外へ出ると、結構な雨。
駅から近いって言ってたけれど、駅までは濡れるんじゃないかしら。と、思ったけれど、まあ、傘を借りたくないっていう人もいるのだろうと。

次の日、出勤してきた彼女に、
「昨日、雨、平気でした?」
と、訊くと、
「結構、濡れましたぁー」
と、笑っていた。

ああ、やっぱり。と思いつつ。
傘を強引にでも渡しておいたほうが良かったのかしらと思ってみたり。

なんとなく、悪いことしたなぁ。と、残っている。

けれどまあ、たぶん、そんなことを彼女は覚えてもいないかもしれない。

なんだかんだと、辞めた後、「途中から表情がすぐれなかった」とか、「悩んでいるのを一人で抱えていたんじゃないか?」とか、「実はいい加減で、そうやって転々としていたのではないか?」とか、噂を聴きながら、僕は、まったく、何も気づかず、「よく働いてくれる人」と思いつつ、唐突に来なくなったなぁ。と。
なんか悪いことしたなぁと、その「二つの気がかり」だけ、しばらく思い返していた。


今はエレベーターに乗るときと、雨の日にはちょっとだけ思い出す。



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奥田庵 okuda-an
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