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縁も切れる【短編小説】

「……」

よく考えてみろと、言われて考えてみようと思った。

ネットで過去に数回あっただけの人の発信を見て、なんとなく繋がっているようで「縁」が切れている人が多くいる。

「……」

よなぁ……。

今にしてみれば、ということである。
別に最後だとも思っていなかったし、会おうと思えば生きていれば会うこともあるかもしれない。ただ、「会おうと思う」ということは、かなりの「縁」だなと、思うようになった。

まあ、僕にしたらという話かもしれない。

僕以外の多くの人は、ネットだけじゃなく結構リアルに会ってるのかもしれない。
それは単純に羨ましいことだったりする。
僕は、日常で混乱した「圧」のようなものを整理して、なんとか乱れを少なくするのに、精一杯で、とても誰かと「会おう」と思うほどの余裕を得られることができないでいるのだ。

だから妄想で憧れたりする。

弱った主人公が誰かに後押しされて、心のわだかまりを解放するような物語を見ると、イイなぁっと思う。
そんな自分の都合にあった、分かり合っていて、気が休まって、助け合うことができて、一緒に泣いて、笑って、乗り越えて、なんて、奇跡のようなことに憧れる。
たまに、その憧れに押しつぶされそうにすらなる。

「よく考えろ」
とは?

職場で1つのアイディアを提供してみた。

するつもりはなかった。
経験的に、その責任者があまり心地よい時間を共有できる相手ではないからだ。
否定から入る。自己以外に「愛」がない。

だから、距離を取らないと、楽しくないし、幸せになれないのだけど、

「……」

けれど、その「アイディア」の言いたい欲求が高まり、それを持て余していた。
言わないほうが気持ちよく過ごせる。
しかし、会社でもし、このアイディアが実現したら、ワンチャン凄いことになるかもと妄想する。
凄いこととは、世間に救われる人が少しでも増える可能性があるという話である。

でも、個人的にはやらなくてもいい。
大変だから。
ただアイディアが浮かんでしまっだけなのである。
なら、言わなければいい。
いや、言ったらどうなる?

「……」

で、言ってみた。
それはそれで問題なのは分かっている。
自分の心の問題。
わざわざ不愉快になる必要はないからだ。
やる気もないものを人に押し付けようとしているとも言える。

結果、一通り、「正解がない」ことをたてに、ポジショントークをされる。

勿論、予想通りで、とても不愉快になって、一生アイディア言わねぇ。
ムカつく。こんなとこどうなろうと知ったこっちゃない。と、思う。

まあ、アイディア言わなくても、月に二、三回は思う。知らねぇよ、と。
腹を立てる。けど、腹を立てることを表明しない訓練にはなっている。

そして反省する。
「言いたい」と言う欲求は、「言わない」にできるようにならないと。
言語も違うのだ。
それでも言いたいのなら相手の言語を覚えること。
相手の言語がどうしても心に響かないのであれば、自分の言語が通じる相手を探すこと。

これも「縁」である。
分かり合えないで離れるのも縁。
いつか離れるんだろうなと思いつつ、しばらく一緒の空間にいるのも縁。
繋がっているようで、既に切れているもの縁。

よく考えよう。

「会おうと思う」こともかなりの縁。

「……」

ふと寂しくなり、妄想する。

僕は誰に会いたいのだろうか?
会いたがってくれている人はいるのだろうか?
ここにいていいのだろうか?
どこに行けばいいのだろうか?

弱った主人公が誰かの後押しで、心のわだかまりが解放されるような物語に憧れる。
たまに、その憧れに押しつぶされそうにすらなる。

「……」

家が一番。
妻と犬の待つ場所へ。

妻と食事をしながら、愚痴ってると、

結果、自分の失敗パターンの「学び」があり、ポジショントークになったからそのアイディアの話はなくなり面倒な仕事も増えずに済んだんだから、

「良かったのかも」
と、なった。


心地よくはない。
でも、まあ、そういうものだなとも思う。
同じ「言語」で語れる人と出会えることは、それだけできっと幸運なことなんだなと、憧れ、反省し、結果、欲求は満たされたのだ。

今後の「縁」を夢見て、僕の言葉を探そう。
ゴキゲンを探そう。

そう、思う秋の匂い。








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