「Ring Ring Ring」を聴く。【小説】
高校の友人が突然謎の病になった。
医者が言うには、「どこも異常はない」とのことだったが、明らかに以前の元気は消え失せ、ずっとうつろなまま、ほぼ起き上がれない日々が続いていた。
「おじさんに相談してみたら?」と母が言った。
「おじさん?」
「栃木で独り暮らししている、親戚の。なんか、凄いパワーもってるらしくて、沢山の人の謎の病気を治してるんだって」
僕は、半信半疑で、栃木のおじさんの家を訪ねた。
人の気配がしない静かな場所に、おじさんは一人で住んでいた。
奥さんは他界して、僕のいとこにあたる娘さんはニュージーランドへ留学しているらしい。
案内されて、部屋に入る。
ペットボトルのお茶を渡され、「箱買いしてるんだ」と言われ、向かい合った。
僕は、ひとしきり事情を説明した。
「……」
「……」
すると、しばらく沈黙の後、おじさんはおもむろに、
「浅香唯さんは4年半休業していたんだ」
と、言った。
浅香唯? 僕はスマホで検索する。
日本の歌手、タレント、女優。1985年デビュー。
写真を見て、ふむふむ。知ってるかも。
「ブレイクしてトップアイドルになり、まともに寝る時間もない中で、ステージに立ち続け、そのうち喉を酷使し、それをカバーするために歌い方を変えたりした。作詞をしたり、レコーディング時にも、内容にこだわり、より深く音楽が響くように努めたが、世の中は気軽でわかりやすい簡単でチェーン店的なものが溢れていた。そこに成長していく浅香唯さんとのズレのようなものもあったのかもしれない」
僕は黙って話の続きを待つ。
「休業してまず、ずっとやりたかった目覚まし時計をセットしないでぐっすり眠ることをしたが、それはすぐに飽きた。そして社会の中で生活することを覚えていった。例えば電車に乗ることだったり、銀行でお金をおろすことだったり、買い物をすることだったり。それまで、電気や水道にお金がかかることすら知らなかったんだ。中学を卒業してから8年間ずっと芸能人として生きてきたから、そういうことは周りにいる人がやってくれていたんだ」
僕は頷く。
「休業中、浅香唯さんは作詞を行い、曲を作り、それをレコード会社に自分で持ち込んだりもした。けれど、受付で、「アポはとられましたか?」と訊かれ、事前に連絡しないと会ってさえくれないことを知った。「アポ」の意味さえ知らなかった。第一線で大活躍していた日本中の誰もが知っていた浅香唯さんが、受付で話も聞いてもらえず帰されたりしてたんだ」
「……」
「4年半の休業を経て、浅香唯さんは新曲をリリースした。それが『Ring Ring Ring』だ。作詞は浅香唯さん本人だ」
すると、おじさんは、リモコンのスイッチを押した。
「この曲だ」
部屋中に「Ring Ring Ring」が流れる。
「長い休業明けに出した曲で、「ほらまだ笑えるから」と、「明日に届くように」と、歌う。ここで泣ける」
「……」
「つまり、そういうことだ」
「……」
僕が首をかしげる。
と、おじさんは、リモコンのスイッチを押した。
「Ring Ring Ring」が流れる。
その日、僕とおじさんは、32回ほど、「Ring Ring Ring」を聴いた。
少しだけ、なにか分かった気がした。
お礼を言い、都内へ戻り友人に「Ring Ring Ring」を聴かせた。
最初は反応がなかったが、6回目に、僕の顔を見て笑った。
今ではすっかり元気である。
つまり、そういうことらしい。