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好きでもよく分からないこと。【小説】

まだ子供の頃、僕は小さな妹と手を繋いでピアノ教室へ通っていた。
 
僕は大学生になり、妹は高2。
妹はグレた。
 
不登校になり、昼まで寝ていて夜は街へ出かけて行った。
クルクルの栗色髪に、ギャルメイク。
隣の部屋から時折、「ギャハァハ」と高笑いが聴こえた。
 
僕は、どちらかと言えば地味に過ごした。
積極的に誰かと会話をすることも好きではなかったので、友達も多くはいなかった。
けれど、特に不満もなく、ファミレスで適当なものを食べながら音楽を聴き、電子書籍を読んで時間を潰すことが好きだった。
 
ピアノは中学生になる前に止めた。
特に上達もしなかったし、それほど楽しくもなかったから。
妹はしばらく一人で通っていたが、いつのまにか止めていた。
 
ある日、友人と別れて、街中を歩いていると、ピアノの音が聴こえた。
街中に置いてあるピアノ。
誰でも弾いていいですよと、設置してある。
通り過ぎようとしたとき、
 
「ん」
 
ピアノを弾いているのが妹だと気づいた。
特別うまいわけではなかったけれど、嫌な音ではなかった。
誰も聴いていない。通り過ぎていく。
雑踏の中にあるピアノの音。それを弾く、ギャルの妹。
 
「……」
 
ピアノを弾く妹の顔を遠くから眺めた。
久しぶりに顔を見た気がする。
そう言えば、小さい頃、一緒にピアノ教室に通っていた頃、妹はいつも楽しそうだった。
ピアノを弾く妹の顔を見て、それを思い出す。
楽しいんだ。ピアノを弾くことが。
 
妹は、特にうまいわけでもない演奏を終えると、スッとその場を後にした。
 
「……」
 
妹はピアノを辞めた理由を
「よくわかんなくなっちゃったから」
と、母に説明したらしい。
 
よくわかんなくなっちゃう。
そうなってしまうことは、よくわかる。
 
今も分からないのかな。
 
僕はよくわかんなくなるほど、ピアノをやりはしなかった。
よくわかんなくなるほど、好きではなかったのだろう。
 
「……」
 
手の中に、小さな妹の手のぬくもりを感じた。
僕は一瞬、あそこでピアノ弾いてみようかなと思ったが、止めた。
 
そのうち誰かがピアノを弾き始め、僕はその場を後にした。
 
 

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奥田庵 okuda-an
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