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「生きていることが不自然」な世界。【小説】

俊彦は仕事柄、クレームに対応しないといけないことがある。
 
お金を払ってるのだから、それは当たり前だろ。
私の心は踏みにじられた。そっちのミスだ。だからどう誠意を見せてくれるの?
と、返金や、それ以上の金銭の要求や、サービスの上乗せなんかを要求されたりする。言い回しは丁寧な時もあれば、ネチネチと検証も出来ないような例を出されて、そうならない可能性はないですよね? 証明できますか? と長時間問い詰められたり、
、酷い罵声を浴びせられたりする。そんな電話やメールが、俊彦はいつまでたっても慣れない。
 
「ただのイチャモンみたいなものは気にしなくていいから」
と、上司に言われるが、俊彦はなかなか「気にしない」ということが出来ない。しばらくの間、その理不尽な言い分に心を痛める。何日もかけて、それらクレームを「思い出さない時間」を増やしていって、処理をする。向いてないのだ。
向いていないのだけれど、クレームばかり処理しているわけではなく、「たまにくるクレーム」の対応が向いていないだけで、その他の業務はわりと好きだったりする。
なので俊彦は、まあ、嫌なことばかり目を向けて、そこから離脱していたら、それこそどこにもいられないじゃないかと、我慢をしている。
 
理不尽な言動。
そういうことを言ってしまう人の心理。
 
なんで、こんな言葉を言うのだろう。
ああ言っているが、こうは考えられないものなのか?
 
クレーム時の言葉を思い出しては、「そうは言っても」とか「でもそれは」とか「こういえば伝わったのだろうか?」とか考えてしまう。
 
苦しい。
俊彦はある日、ひどく一方的なクレームを受けた。
そのことで気落ちし、頭の中で繰り返し、そのクレーム相手の言葉が反芻され、気がつけば、死にたいと考えていた。
死にたいと考えていたと書くと深刻なのだけれど、俊彦の中では、それは自然なことのように感じられた。
クレームの言葉が反芻され、そこから「なんでこんなに苦しまないといけないのだろう?」と考え、ふと、「まあ、もういいかな」と思ってしまったのだ。
 
そんな考えにいたると、生きていることがとても不自然に感じられた。
 
「……ふぅっ」
 
そこから「生きていることが不自然」な世界が、俊彦の目の前に広がった。
トボトボと歩きながら、いつも目にしていたと思われる日常を眺めていると、横断歩道で信号が変わるのを待つ気難しそうな顔のおじさんや、足を露出した女性や、自転車を整理している警備員のおじいさんや、大げさに笑う男子高校生なんかを眺めて、
 
「生きていることが自然なんだろうなぁ」と思った。
 
何かしらの行動が、誰かの何に影響を与え、刺激し、それによって自らの何かを満たされたような錯覚を覚える。
 
「変なの」と、生きていることが不自然な世界にいる俊彦は思った。
 
「なんだそれ……」
そう、小声で呟くと、少し面白くなった。
クレームを言ってくる人も「生きていることが自然」側の人なんだと思うと、可笑しくて仕方なかった。
生きていこうとしてやがると。
 
「まあいいか」
と俊彦は思った。
 
その日から、俊彦は意識的に「生きていることが不自然」な世界を思い出すようにしている。
そして世の中の大半はどうでもいいと思えたりする。
勿論、誰にもそんなことは話していない。


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奥田庵 okuda-an
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