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いったん「無」にする。【短編小説】

ひどいものを書き始めると、なにかしら「僕」に不具合があるということだと、認識している。

そこでふと立ち止まる。

「いったん「無」にする」
と、呟く。

ひどいものを書いている時期に、よく感じるのが、ものすごく憂鬱な気持ちになるということ。その憂鬱さは、僕自身の深いところにある何かを否定されているような憂鬱さ。

「無駄な足掻きはやめちまえ」
「たくさんの時間を失ったな」
「もう終わりだよ」
「何度やっても同じだ」
「消えてなくなれ」

けど、毎回そんなことを繰り返していると、なにかしらのパターンが僕の中に存在していて、それを飽きもせず繰り返すことで、自滅しているのだなぁと、また呆れる。

心が震えることを確かめるために、僕は毎回、震えなくなるまで、「震え」を効率化しようと、それ自体の構造を分析して、「震え」を何度も再現できるように、定型を探し、結果、その「震え」をつまらなくしている。

そんなことを繰り返していると、心の震えに対し、毎回、どのパターンに当てはまるのかなんて分析して、ただただ、感動を自ら減らしていることに気づく。

なぜ、そんなことをするのか?
結局、怯えなのだなぁと、思う。
説明を求められる怯え、再現性を求められた場合への怯え、感覚的なものへの怯え。
自信のなさ。
自身のなさ。

それはそれで腹が立つ。
何をしているのだと。
もっと自由でいい。
震えを失うぐらいなら、効率などいらない。

僕は今までを思い返す。
こんなことを繰り返さないために、自分の考えを疑い、「曖昧」を曖昧のまま留めておく強さに惹かれる。

「なにも考えなくていい」
「……」
「心が震えるまで」
「……」
「ただ、震えるはずと、信じること」
「……」

「何も考えない、震えがくるまで」それだけのことを怖がっている。
だけど、僕は心の空虚を見つめて、呼吸を整え、試みようと誓う。

心が今、消えている。
それを認めよう。

そしてまた、「震える」と信じる。
光や風を感じ、純粋な笑顔に対し、それをありのまま受け止められるように、ただ信じよう。

いったん「無」にする。
それは祈りに似ている。








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