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晴子が笑う【短編小説】

晴子という名前はいつも晴れやかな笑顔の子であってほしいと両親が名付けた。

「晴子が笑ったぞ!」

2歳の頃、父親に駆け寄ろうと思い、転んで泣いた。
うぁーん、うぅあぁーん、と声をあげ泣いた。
走ってきた父親が抱きかかえてくれた。

6歳の頃、母親に拾った貝殻を見せようと駆け出し、転んで泣いた。
晴子は、ただ母親を喜ばせたかっただけなのに、なんで転ぶの? と、思って泣いた。

12歳の頃、自分の分の給食を運んでいる途中に転んだ。泣かないようにこらえた。
けれど、みんなが散らばった給食を片付けてくれている途中でこらえきれなくなって泣いた。
それは晴子にとっては、かなり長い間恥ずかしい思い出として残った。

24歳の頃、彼氏と別れた帰り道に路面が雨で滑り転んで泣いた。人がまばらに歩いていたが晴子は大声で久々に泣いた。世界中で一番不幸なんじゃないかと思って泣いた。朝から時間かけたお化粧や、オシャレした洋服や、歩きづらいヒールも、なにもかもが悲しくて泣いた。

36歳の頃、娘が晴子に駆け寄ろうとして目の前で転んで泣いた。それを抱き起こしたいと歩み寄る途中に転んだ。
転んだ拍子に、ぷぅっ、と、屁が出た。
すると、泣いていた娘が、ケラケラと笑った。晴子の周りをピョンピョン跳ねながら、笑った。
晴子は嬉しそうな娘を見て、涙を流しながら笑った。

晴子が次に転んだのは47歳である。
そのとき、晴子はもう泣かなかった。

ただ、一人で立ち上がり、ふと父親のことを思い出して、連絡をとった。
「いま、転んじゃってね」
「泣いてないか?」
高齢の父親が心配そうに尋ねた。

晴子は、
「泣かないよ」
と、言ってケラケラ笑った。
父親も一緒に、電話口でケラケラ笑っていた。







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