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「僕」の物語。

僕の時間を差し出していることに対し、たまに酷く心苦しくなる。
時間を差し出すことによって、僕に戻るのにまた時間が必要になる。
つまり、「差し出す」→「戻る」→「僕」へと流れるのだけれど、「僕」に戻る頃には、既に「差し出す」がすぐそこまで迫っているわけで、「僕」は結局、削られていくのである。
では、全て「僕」のまま、「差し出す」を過ごすことが出来るのであれば、ほぼ「僕」の時間で行けるのではないかと、夢想するわけなのだけれど、それもまた矛盾の中の話で、「差し出す」ということは、結局、「僕」とは共存できないジレンマに陥る。
「差し出す」には、ある種、「僕」を揺り動かす要素が詰まっているのだけれど、それにばかり気を取られていると、結局、「僕」は蝕まれ、削られ、蔑ろにされていくのだ。
しかし、「差し出す」も「僕」の一部だと彼は知っている。
「僕」の内在したものをコントロールして「差し出す」世界で、引いたり、押したり、黙ったり、伺ったりしている。
それにより疲弊し、また「戻る」時間を必要とし、「僕」を軽んじていく。
では、「僕」とはなんなのだろう? と、彼は考える。
そして、沈黙の中で気配のようなものを感じ、少しだけ救いに似た儚さと、可能性に満ちた幻想を「僕」に見つける。

静かに少しだけ息を吸い込み、ゆっくりと吐く。
そして幸運にも集中が途切れなかった場合はささやかな祝福とともに「僕の物語」が始まる。


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奥田庵 okuda-an
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