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T.T 1話-5「看護師さん緊急募集中!^-^」

翌日

四万十町 野勢診療所


野勢集落には診療所が一つ。
もちろんあちこちの診療所が廃止されていっている現状を考えると、残っているだけでも奇跡かも知れない。

一年前、つる先生は過疎地域医療の勉強という建前で今は前任者になってしまった 近添伸司(ちかぞえしんじ)医師に請われてこの野勢診療所にやってきた。
学生時代、近添医師にお世話になったこともあり、また元々つる先生の母方の家族がこの集落の出身だったので、つる先生は快く野勢にやってきたのだった。


この日、つる先生はまだ完全に納得していない千尋を連れていつもより一時間早く診療所に到着した。
急ぎ新しいナースウェアを千尋に渡して着替えてもらい、診療所内を案内して設備や在庫などつる先生が知っている範囲をすべて説明した。
ちなみにナースウェアに付ける名札はつる先生が昨晩作っておいた。

診療所の職員が揃ったのを見計らってつる先生がみんなを集めた。
「おはようございます」
「おはようございまーす」
「お忙しい中 すみません。皆さんにご紹介したい方がいるき、ちっくとだけお願いします」

「こちら 鷲見野 千尋 さんです」
「鷲見野です」
千尋は胸の名札をみんなに向けて「よろしくお願いします」と言ってお辞儀をした。

「千尋さん いうが? ええ名前やねえ」
「素敵な名前やねぇ」
「ホンマや ホンマや」

また……褒めてくれた。

「先生が、小鳥でタカ無しで名前が つる やろう。千尋さんはワシやき なんやペットショップみたいやね」
「ペットショップに鷲はおらんやろ」
「そうかも知れんね。そがなら動物園か?」
「そうじゃのぉ」
「そやそや」

「千尋さん こちら医療事務の田辺直美さん。こちらは薬剤師の田辺澄江さん。で こちらが看護師の田辺貴子さん。 皆さん『田辺さん』なんで下の名前で呼ばせてもらってます」
「はい。直美さん、澄江さん、で貴子さん」
「大丈夫?」
「あっ はい。でも忘れっぽいんでメモします」
そう言ってメモを出しながら千尋は、しまったなぁなんで メモ帳 なんか持ってきたんだろう と昨晩のつる先生とのやり取りを思い出していた。


ここで十五時間ほど時計を戻そう


野勢
朔日庵

遅くなると怒られるので、美音と菜乃花と季一郎が帰路についた後、
つる先生が用意した夕食を千尋と二人で食べている時だった。

「つる先生?」
「はい」
「つる先生……もしかして」
「はい?」
「もしかして、私が看護師だって知ってたんじゃないですか?」
「バレましたか」
つる先生はそう言って幼児のように可愛く舌を出した。

「なんで分かったんですか?」
「え! そんなの簡単ですよ。」
と つる先生は、謎解きを始めた。

「まず、リュックサックのメッシュのポケットに入っていたメモ帳と医療用ペンライト。ボールペンとライトが一緒になってる便利なヤツです」
そう言ってつる先生は胸ポケットから自分のペンライトを出した。

「色は違うけど千尋さんのそれと同じモノです。 それに千尋さんのウェアの胸ポケットに入ってるのはナースウォッチですよね。この三つは看護師の必須アイテムです」
千尋はそう言われて思わず胸ポケットを手で押さえた。

「え? いつ見たんですか!? まさか!」
「見てないですよ。 最初にバス停で倒れている千尋さんの体制を直す時に、腕が胸ポケットに当たってしまって……その感触から あぁこれはナースウォッチだろうなと。キャンプやトレッキングをする人は比較的腕時計をする人が多いと思うんです。でも千尋さんは腕時計をしていなかった。歩いている時に時刻を確認する場合、今時の大きなスマートフォンを取り出すのはなかなか面倒です。ならどこかに別の時計を持っているはず。簡単に出し入れできる比較的軽いヤツでしょう。で考えつくのは腰まわりだけどパッと見てズボンに時計はついていなかった。すると上半身のうちの比較的出しやすいポケットに入っているはず……と思ったらそれらしい形の感触が胸ポケットに……という推理です」

この人、そこそこ無口かと思ったら、もしかして喋り出したら止まらないタイプかも。

「エッチだ!」
「え?」
「変質者だ。気を失っている女子に何しているんですか!」
「いやいや あくまでも当たっただけですから、触ってないですって」
「腕が胸ポケットに当たっただけで、ポケットの中身が分かる人なんかいないでしょう! しかもそれがナースウォッチだなんて分かる人は一万人に一人もいません! あぁ もう『変態全身触感センサー人間』ですね!」
「なんですかぁー それは!?」


「で千尋さん、今日は貴子さんについてくださいね」
「……はい」

真面目な顔した『変態全身触感センサー人間』……。

「あと、引き継ぎは今日一日だけなので」
「え? 一日!? えぇぇぇぇぇ」 

引き継ぎ一日? ってこれなんの罰ゲームですか?

「タカさん よろしくお願いします。 ナオさんも スミさんも フォローの方どうかよろしくお願いします!」
そう言うとつる先生は三人に深く頭を下げた。
「はい! もちろんです」

この時千尋は、一瞬だけ以前嗅いだことのある特別な匂いを感じていたが、病院では良くあることなので気にはしていなかった。

「じゃあ定刻です。始めましょう!」


「ナオさん、緊急 もしくは 隔離 ありますか?」
「今日はいらっしゃいません」
「じゃあ行きますね」
そう言ってつる先生は診療室を出て待合室に入って行った。

え? ええ? 逆でしょう? 何この人?

そう、普通は一人々々患者さんを診察室に呼ぶ。ところがつる先生は自分から待合室に入って行った。
千尋は、短い看護師生活だったがこんな医師を見たことはない。

「皆さん おはようございます ^ - ^」
満面の笑みでそう言うつる先生に、診療所に来たお年寄りたちが口々に挨拶を返した。
「おはようございます」
「つる先生 おはようございます」
「おはようございます。先生」
「あっそうだ。皆さん 新人の看護師さんを紹介しますね! こちら鷲見野 千尋(すみの ちひろ)さんです」

再び千尋は名札を持って前に出し挨拶する。
「鷲見野 千尋です。よろしくお願いしまーす」
ちょっと笑顔が引き攣っていたが最初が肝心。一ヶ月しかいないかも知れないけど、ここは嫌われるわけにはいかない。

「千尋さんってまたええ名前やねぇ」
「うんうん」
「先生、良かったねや。ええ人が来てくれて」
「また まっこと可愛いのぉ」
「良かった良かった」
「千尋さん。ありがとうね」

ここでもなぜか褒められた。
なんだろう……名前なんて親からもらっただけの、何の努力もしていないことなのに。
褒められると嬉しい。

「じゃあ始めましょうね。録音開始っと」
そう言ってからつる先生は、さっと患者さんを見回してからベンチに座っている一人のお年寄りに近付いていき目の前でしゃがみ下から目線になってから患者さんの両手を取った。
「山本の源さん、二週間ぶりですね。 山仕事はどうですか?」
「まあまあやね」
「山でまた怪我したら、すぐ呼んでくださいね」
「うんうん。つる先生 ありがとうね」
「奥さん 和美さんはお元気ですか?」
「まあまあやよ。 家で待ちゆーよ」
「じゃあお一人で車でいらしたんですね。 で今日はどうしました?」
「血圧の薬をね。もうそろそろやき」
「そうですねもうすぐ切れますよね。じゃあ血圧手帳を拝見しますね」

そうやって話している間、先生は患者さんの目を見たままだし、手も繋いだままだった。血圧手帳を受け取る時にようやく手を離した。

すごい人だ……。 千尋はそう思った。
つる先生は今、所謂『四診』を含め診察に必要な情報収集をわずか数秒の会話をしながら行ったのだ。

まず患者と手を繋いで末端の体温を確認し、その近距離で相手の目を見て視線や眼球の様子を確認。そして会話で問診をしながら、反応速度や呂律や口臭や声に異常がないか診る。これは聞診だ。そして握った手は同時に切診の一つ脈診でもあり、おそらく脈までチェックしているのだと思われる。

やっぱりこの人は『変態全身触感センサー人間』だった。

そして、つる先生が何も言っていないのに、貴子さんが血圧計をスッと差し出す。先生が直接血圧を測るんだ。
「源さん、血圧手帳を見るとだいぶ落ち着いてます。良かったですね」
そう言いながら渡された血圧計を使って源さんの血圧を測る。もちろん二度。
「155の105に150の100。うんいい感じ。じゃあ源さんちょっと二週間薬無しで様子見ませんか?」
「そうやね。つる先生がそう言うならん」
「じゃあそうしましょう。薬はあんまりね、お金もかかるし。食事に気をつけた方がいいと思います。今だとゴボウ・納豆・ひじき・ワカメとかいいですよ。僕のおすすめは粉のウコンとシナモンですね。お茶やお惣菜に毎日ちょっと掛けるといいと思います」
「納豆、ひじきは毎日食べてます」
「いいですね。あと過剰な塩分はもちろん良くないんですが、あまり気にし過ぎるのもまた良くありません。ミネラルが多い海水から作った良質な塩を使うのがいいと思います。でもまた血圧が急に上がるようでしたら、必ず連絡くださいね」
「はい先生」
そう言って山本の源さんは笑った。

その会話を横で聞きながら、タカさんもナオさんもスミさんもメモを取っている。

「じゃあ源さん、今日はこれで大丈夫ですよ。会計でお呼びしますからしばらくお待ちください。次はまた二週間後に会いましょう」
「ええ。先生またね」
「はい」

こんな調子で、つる先生はどんどんと患者さん一人一人の手を握り会話という手法で診察をしていく。
一通り患者さんを診察したつる先生はようやく診察室に戻ってきた。
そして、大急ぎで電子カルテにさっきの診断内容をまとめて入力していく。

それも薬が必要な人を先に処理していく。薬剤師の澄江さんが困らないようにだろう。
これも本来なら、いや ごく普通の病院ならやらないし、基本こんなやり方は教わらない。

普通なら、一人づつ患者さんを診て、電子カルテに入力し、処方箋を書いて、会計に回す。そして次の患者さんを診る。それが当たり前だ。

それをつる先生は、十人ほどの患者を連続して診察し、まとめて電子カルテを入力して、必要な人にだけ処方箋を出した。

革新的な手法ではあるかもしれないが、こういう小さな診療所で患者さんのことをよく理解しているからこそできることであって、どんな人が来るか分からない都会の大病院では全く通用しない。

ただ本来こんな手法をやっていいことなのだろうか? という疑問は残る。

けれども、診察は早いし患者さんに近いことも確かだ。また患者さんの拘束時間と言う面からもある意味良い方法なのかもしれない。

朝、ほぼほぼ同時刻に診療所に来ても、その数分の差で診察の順番が決まり、早く受付できてすぐに診てもらって帰る人と、何時間も後に診察が終わる人との拘束時間の差が出てしまう。
これは今まで仕方がないことだと誰もが思っていた。

だから普通の病院では、診療開始時刻の一時間以上も前に患者さんが待合室に集まっている なんてことはありがちだ。

でもつる先生のやり方なら、診療開始時刻ギリギリでも待合室にさえいてくれればほぼほぼ同時に診察し、薬を処方してもらい、会計もほぼ同じ時刻に終わることが出来るのだろう。

(つづく)


1話-5「看護師さん緊急募集中!^-^」
『T.T (ティー.ティー)』© 2025 Hayase Yoshio


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