T.T 5話-2「つる先生の夜(*˘˘*)🌙。:*」
四万十町 野勢
朔日庵 上弦の間(じょうげんのま)
眠る 小鳥游 龍劔 (たかなし たつるぎ)
たつ君 五歳
角(すみ)先生が僕のことを「たつ君」と呼んだので、以来施設のみんなからも「たつ君」と呼ばれていた。
僕は中学を卒業するまでの約十年間この施設で育った。
その間、角先生が親代わりだった。
角先生は愛知県の出身で、ちょっと三河訛りが入っていたけれどとても親しみやすくて僕を本当の子供のように扱ってくれた。
施設に入った当初は、夜になって布団に入ると父や母や姉に会いたくなって泣いていた。そんな時は角先生が起きてきて僕のことを慰めてくれた。
別れた詩織姉さんからは、頻繁に手紙が来た。
離れて暮らしていても姉さんは僕のことを忘れていないんだと感じることが、施設で暮らしていく中でどれだけ支えになったことか……。
姉からの手紙で、少しづつ分かってきたことがある。
母は神戸生まれで旧姓は有賀(ありが)と言って江戸末期から続く医者の家系で現在でもほぼ全員が医療関係者なのだそうだ。
母は有賀家の一人娘で、幼い頃に決められた許嫁がいた。相手側が有賀の家に婿に入るという家同士の取り決めだった。
それから月日が経ち、年頃になった母は小鳥游の父と出会い恋に落ちた。
母は父のことが好きだったけれども親の強い反対に合い、仕方なく親の命令に従って許嫁と結婚したのだという。
その人と母との間にできたのが姉なのだそうだ。
しかし、その人と母との夫婦生活はうまくいかず、父と母は小さかった姉を連れて半ば駆け落ちのような形で父の故郷である高知に逃げて来たのだそうだ。
そして生まれたのが僕だった。
もちろん有賀の家は父と母との関係を認めなかった。
その後数年が経ち、母が亡くなったことで家を継ぐものがいなくなってしまうことに懸念を抱いた有賀家は、姉を説得して有賀の姓を名乗り家を継ぐことを条件に姉を受け入れることにした。
しかし姉は反発した。
神戸には行かないと……弟と暮らしていくのだと……そう言ってくれた。
逆に有賀は、収入も無くて十四歳の中学生と五歳の幼児がどうやって生きていくのかと強く迫ったという。
それでも姉は、自分が神戸に行ってしまったら弟はどうなってしまうのかと……弟が可哀想だと……。
けれど有賀の家から見れば、母を略奪した父 小鳥游孝史の血を引く子供を感情的にどうしても受け入れるわけにいかなかった。
話は平行線に思われたが、結局は双方が歩み寄った形となった。
弟の僕に対して有賀の家が金銭などで厚く支援することを約束し、それを条件に姉は神戸に行き有賀の姓を継いだ。
そんな旧家の、いずれは当主になる姉に課せられたモノ、しがらみ、周りからの僻み嫉みなど色んなことがあったに違いないが、僕にはそんなモノを一切見せなかったし感じさせなかった。
龍劔(たつるぎ) 十五歳
小学生も高学年になると、友人達は「君」付けではなく「たつるぎ」と呼び捨てで僕のことを呼ぶようになっていた。
姉は兵庫県の医科大学を卒業し国家試験を乗り越えて正式に医師になった後、なんと高知に帰って来た。
もちろん有賀の家は反対したが姉はそれを振り切って戻って来てくれた。
当時僕は中学二年。
姉は一緒に住もうと行ってくれた。
嬉しかった。……とっても嬉しかった。
でも僕は断った。
施設には十八歳まで居られるし、医師になりたてで忙しいはずの姉の負担にはなりたくなかった。
結局姉は、施設の近くにマンションを借りた。
それから僕らは頻繁に会うようになった。
休みになると姉は僕を部屋に呼んでくれて一緒に食事もした。姉は料理が苦手なので料理は全て僕が作った。
父の生まれた野勢の集落にも二人で行った。
朔日庵に住む曽祖父にも会うことが出来た。
そして曽祖父と三人で父と母の思い出を語り合った。とても楽しい時間だった。
僕らは父が違っていても同じ母から生まれた姉弟だった。
何より僕達を愛してくれた父と、そして母の思い出を語り合える 「家族」 だった。
父の命日には野勢にある小鳥游家の墓にお参りに行った。
母の遺骨はそこには無いが、母の命日にも一緒に行って祈った。
僕は姉を尊敬している。
いや失礼、尊敬しています。
たった十四歳の中学生だった姉は、「家族」 と言うだけで全力で五歳の僕を守ってくれた。両親が死んでしまっても、どんなに追い込まれようとも、僕という 「家族」 のために身を挺して戦ってくれた。そこにいた多くの大人達を相手に一歩も引かなかったし怯まなかった。
僕はそんな……そんな姉のような人になりたいと思った。
でも どうすればいいのか分からないから、とりあえず可能なだけ姉の側にいたいし、姉のことをもっと知りたかった。
そしてようやく施設を出る決心がついた。
角先生に報告するととても喜んでくれた。
姉に中学を卒業したら一緒に住みたいと言ったら姉は「ありがとう」と言った。ありがたいのは僕の方なのに……。
これを機に姉は高知の市内に新しい部屋を探してくれた。
異父姉弟の共同生活の始まりだった。
朝食は僕が作った。昼はそれぞれでランチする。
夕食はリクエストがあれば姉の分も作るが、大抵は外で済ましてくることが多かった。ただお腹を空かして帰って来ることも想定していつも多めに作っておいた。もし残れば僕がお弁当として学校に持って行く。
流石に高校三年になると、姉に「将来何になるがか?」と問われた。
「姉さんのような人になる」と言ったら大笑いされた。
「そうやのうて職業のことだよ」と言うので「職業なんてなんでもえぇ」と返した。
「なんでもえぇなら 医者 になりや!」
そう姉が言ったので僕は 医者 を目指すことにした。
(つづく)
5話-2「つる先生の夜(˘ ˘)🌙。:*」
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