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T.T 2話-5「引越し手続き完了(ノ^▽^)ノ□」
帰り道
田辺 哲夫さん 貴子さん 宅での些細な宴からの帰り道。
春に特有の草や木の香りに、トラクターで掘り返した田んぼの土の匂いが混じっている。真っ暗で分からないが何処かでカエルが鳴いている。
つる先生と千尋は田植えされたばかりの田んぼの中の農道を二人で歩いていた。幸い千尋はそれほど酔っておらず一人で歩けた。
「……貴子さんのご家族、みんな喜んでましたね……」
「うん 本当に良かったよ」
「貴子さん なぜ……」
千尋は、なぜすぐに入院しなかったのかを尋ねようとしたが最後まで言えなかった。
「うん。ずっと説得はしてたんだけど タカさん 代わりの人が見つかるまでは入院できないって……そう言ってね」
「……」
「だから急募で探してたんだけど……。知り合いにもあちこち声は掛けたし、姉さんにも頼んだんだけど どうしても見つからなくてね」
「まぁ 自分から好んでこんな僻地に来ようって人はなかなかねぇ……」
「千尋さん 本当にありがとう。 君のおかげです。 皆んな感謝してますよ」
(えへへ……(๑'ᴗ'๑) )
そう言ってもらって千尋は何年かぶりに嬉しくって笑顔になってしまう。
それと同時に、何か心の底から込み上げて来るものがあるのを感じて千尋は泣きそうになる。
(なんだろうこれは)
「あっ」
このまま前を向いていると涙が溢れそうなので、千尋は夜空の星を見上げた。
「……星が綺麗ですね」
「ええ」
「とっても綺麗。キャンプしている時も綺麗だったけど、今夜の方がもっと綺麗に感じます。なんでだろう? 何か違うんですかね?」
そう言われてつる先生は答える。
「どうでしょう。同じある場面を見た時に笑う人もいれば泣く人もいる。それは、それぞれの人の経験や知識によって変わってくると言われてます」
「大胆な解説を試みると、例えば 戦争 を実際に体験した老人と戦後の世界しか知らない若者が、同じ戦争映画を見たとしてそれぞれが感じるものはまったく違うんだといいます。老人は自分が体験した実際の景色や目の前で死んでいった戦友や家族を思い出すでしょう。でも若者は想像の中でしかそれを理解できない」
「でももしその若者が戦時中にタイムスリップして実際の戦争を経験してからまた現代に戻って来たとしたらどうでしょうね……」
「老人と同じような感情が……」
「湧いてくるかもしれない……」
「少なくとも戦争を経験する 前 と 後 では感じるものが大きく違ってくるでしょう」
「千尋さんの場合、キャンプ場で見た夜空より今夜見た夜空の方がより美しく感じるのは、その間に千尋さんが何か大切な経験をしたからかもしれませんね」
「大切な経験……」
小松 郁 宅
小松郁は、台所でこの日の食事の準備をしていた。
「叶ちゃん お婆ちゃんお腹空いてしもうたわ。もうそろそろ夕食にしましょうか?」
「……」
「あれぇ お返事は?」
「うん」
叶は本棚にもたれ、憑かれたように叔母である小松ミチルの漫画を読み耽っていた。
「一生懸命に読んどるね。 そがに面白いかい?」
「うん」
「そりゃ良かったねや」
漫画だろうがなんだろうが、一つでも没頭できるものがあって良かったと郁は喜んだ。
「やけんどご飯は食べんとね。食べたらまた続きを見たらええよ」
「うん」
朔日庵
「ところで先生!」
「はい?」
「この棚にずらっと並んだ瓶たちですが……先生はお酒を飲まないのに、なんでここには一杯お酒の瓶があるんですか?」
「あぁ 前任者の近添先生がお酒好きでね」
「へぇ」
「だから運転はいつも僕がやってたんですよ。酔っ払った先生を車に乗せてあちこち診察に行きました」
「じゃあ その先生が任期を終えたので つる先生が後を継いだんですね?」
「あぁいや、近添先生は亡くなったんですよ」
「え!?」
「任期中にね」
小松 郁 宅
郁と叶の二人での食事。
「叶ちゃん」
「うん?」
「春華はあんなこと言いよったけんど、学校なんて無理せんで行かんでええよ。今は気が済むまでやりたいことをおやり」
「……」
「そのうちに、いつか必ず心の底からやりたいことが溢れ出てくるき。そうしたらその道を、がむしゃらになって進んだらええんよ」
「学校なんて、それからでええがよ」
「……」
「やけんどね。こればぁは約束して」
「何?」
「朝 ちゃんと起きてご飯を食べること」
「……」
「夜も ちゃんとご飯を食べて、お風呂に入って、歯を磨いてから眠ること」
「……」
「今、大事ながはそれだけよ」
「うん」
(つづく)
2話-5「引越し手続き完了(ノ^▽^)ノ□」
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